国立マナ研究所

「あ、もしもし、母さん?」

「モーリス? ちょっと、あんた大丈夫なん?」

「うん、大したことないよ」

「大したことないわけないやろ。何があったん? ちゃんと説明せいよ」

「う、うん、ちょっと、その、ジュエラーと二人きりになれる静かなところがないかなと思ってあの廃倉庫群に行ったら、なんか爆発に巻き込まれちゃって……」

「な~にアホなことやってんの、あんた! そんで、ジュエラーちゃんは大丈夫なん?」

「うん、幸い大きな怪我はなかったよ」

「それは不幸中の幸いやな……お金持ちのお嬢さんにもし万が一怪我でもさしたら、うちじゃ賠償できへんからな」

「(気にするのはそこかよ……)ああ、うん……気をつけるよ」

「はあ……もう、うちらがどんだけびっくらこいたか考えてみ? なんや今日帰り遅いなぁと思っとったら、急に警察から電話がきよって、『テロリストのアジトで爆発が起こって、おたくの息子さんとその彼女がその現場に居合わせた、事情を聞かなければならないのでしばらく身柄はこちらで預かる』ゆうて……もうホンマ、何が何やら」


 なるほど、僕が国立マナ研究所で治療を受けていると両親に話してしまうと、何故僕とジュエラーが国立マナ研究所に運ばれるのか、という疑念を持たれてしまう。それを避けるため、僕たちは爆発事件の関係者として警察で身柄を確保されている――両親はそういう説明を受けているようだ。

 ロザリーに関する嘘が、いよいよ国家機関を巻き込む大芝居になってしまった。まいったなあ、もう……。


「あ~どないしょ、シンハライトさんのご両親にお詫びにいかなあかんやろな……」

「いや、それは……いらないんじゃないかな……忙しい人みたいだし」

「そうはいかんやろ! 菓子折りでも持ってお詫びせなあかん、それが礼儀ってもんや」

「……じゃあ、一応ジュエラーに聞いておくよ」


 まあ、ロザリーにいちいち尋ねるまでもなく、詫びるべき相手がいないのだから、詫びようがない。彼女の両親はもうずっと前に亡くなっているのだし、『宝石商のシンハライト氏』だって実在しない。全てはロザリーのために作り上げられた虚構なのだ。


「それはそれとしてな、あんた、そんな人気ひとけのないとこにジュエラーちゃんを連れ込んで、よろしくやろうと思ってたんやろけど、ホテル代ぐらい小遣いから出したらええやろ、そういうとこケチる男はそのうち愛想尽かされるで」

「ホ、ホテ……そんなんじゃないってば!」

「金がなくても最低限どっちかの部屋にしいや、別にあんたの部屋でもいいんやから、うちに連れて来たらええやないの。あんたらの年頃いうたらやりたい盛りやもん、それぐらいあたしも見て見ぬふりしといたるし」

「だから、そういうんじゃ……」

「ま、声聞けて少し安心したわ。あとどれぐらい警察におらなあかんの?」

「え~と、あと二、三日かな?」

「帰ってこられるときはまた連絡しいや。ほなな」


 母さんはそう言って、一方的に会話を切った。


「元気なお母さんだね。リットー出身?」


 近くで会話を聞いていたネブラ医師が笑いながら言った。


「ええ、まあ……」


 我がシャダイ王国には、首都チトセシティがあるシコツ地方の他に、東にミホ地方、西にリットー地方がある。僕の母さんはリットー地方の出身で、バリバリのリットー弁話者なのだ。

 廃倉庫群での事件から三日が経ち、僕の左足の銃創は順調な回復を見せている。

 これまでの三日間ずっと外部との連絡は制限されていたのだが、ネブラ医師の監視下なら、という条件付きで、今日は初めて両親への連絡が許可された。家族の声が聞けて僕も少し安心したけれど、今の会話を聞かれた恥ずかしさの方が遥かに勝っていた。ホテルがどうとか、そんな話、何も今しなくたっていいじゃないか……。

 ロザリーはちょうどさっき飲み物を取りに行ったばかりで、医務室にはいなかった。もし彼女が近くで聞いていたらと思うとゾッとしてしまう。


「エネルギッシュでいいじゃないか。なんか、こう、ずっと研究所に篭もっているとね、根暗で大人しいやつとしか話す機会がないから、ちょっと羨ましいな」

「全然よくないですよ。うるさいし、あんまり会話が成立しないし……」

「ははは、近くにいると、その良さがわからないものだよ――あ、早速で悪いんだけど、ちょっと立ってみてもらえるかい?」

「あ、はい……よいしょっ、と」


 僕はベッドから足を下ろし、まず撃たれていない右足を床についてみた。問題なし。それから、撃たれた方の左足で慎重に床を踏んでみる。


「どう? 足をついてみて、痛みはある?」

「……いえ、大丈夫です」

「よし、じゃあそのまま立てるかな? 痛かったら無理はしなくていいからね」


 ネブラ医師に言われるまま、僕は左足に力を込め、ベッドからゆっくりと腰を浮かせる。まだほんの少し痛みはあるし、力が入りにくい感じはする。でも、普段の倍以上の時間はかかったものの、なんとかその場に自分の足で立つことができた。


「思ったよりすんなり立てたね。今度は、ちょっとだけ歩いてみようか」


 左足を持ち上げる。前に踏み出す。そして右足も同じように……。右足を上げると、全体重の負荷が一時的に左足に集中する。少し怖かったけれど、僕の左足はバランスを崩すことなく僕の体重をしっかり支えてくれた。

 ネブラ医師は目を丸くして大きく手を叩く。


「おお……すごいすごい。驚異的な回復だね。いや、あんまり無理しないで、今日はこの辺でやめておこうか」


 その時、医務室の扉が開いて、両手に飲み物を持ったロザリーが入ってきた。自分の足で立ち上がった僕の姿を見て、彼女の表情もパッと明るくなる。


「モーリス……もう、立てるようになったの?」

「うん、ほんの少しだけど、歩くこともできるよ」

「よかった……本当に、よかった……」


 噛みしめるように呟くロザリーの瞳から、大粒の涙がぽろぽろと溢れ出した。僕は慌てて彼女に駆け寄ろうとしたが、まだ不完全な左足はロザリーの一歩手前でバランスを崩し、


「あっ、危ない!」


 危うく転びそうになったところを、ネブラ医師とロザリーに抱え上げられた。ロザリーが持ってきた飲み物のカップは床に落ち、中の液体が床に水溜まりを作っている。


「ほら、だから言ったじゃないか、まだ無理はするなって」

「……す、すみません……」

「もう、モーリスったら……」



 それから数日。僕は医務室でリハビリを続けながら、色々な検査を受けた。

 すぐに完治というわけにはいかなかったが、それでも僕の回復速度は常人を遥かに上回るスピードだったようだ。もしそれがロザリーの血を輸血したことによるものならば、マナの活用について新たな可能性を見出せるかもしれない――ネブラ医師がそう話していた。血液検査、血圧、心電図などなど、検査が多岐に渡ったのはそのためなのだろう。

 だから、入院生活で退屈を感じることは全くなかった。医務室の中であれば基本的に何をしても自由だったし、ネブラ医師がゲーム機とモニターを持って来てくれたから、暇になったらロザリーと一緒にゲームをして時間を潰したりもできた。


 思えば、これだけ長い時間ロザリーと一緒に過ごすのはこれが初めてのような気がする。さっきの母さんの言葉ではないけれど、僕の家にロザリーを泊めたことはないし、逆もまた然り。だからこれがロザリーとの初めての外泊ということになる。

 気を遣ってくれているのか、ネブラ医師も勤務時間を過ぎるとそそくさと自分の部屋に帰って行って、僕とロザリーは医務室に二人きりになった――のだが、この国立マナ研究所では全室に監視カメラが設置されているとあらかじめ聞かされていたから、あまり大っぴらにイチャイチャすることはできない。監視カメラさえなければ……。


 マナ研究所で慌ただしく検査とリハビリの日々を過ごしていたら、あっという間に一週間が経ってしまった。僕の傷跡はもう日常生活に何ら問題のないレベルにまで回復し、いよいよ退院――もとい、退所の日。

 ロザリーに連れられて、僕は研究所の屋外にある芝生の庭にやってきた。冬枯れした芝生は真夏のような瑞々しさはなかったけれど、ところどころ萌黄色の部分も残っていて、踏むとカサカサと乾いた音を立てる。


「どうしたの、ロザリー。こんなところに……」

「ふふ。ほら、見て、あそこ」


 ロザリーが指差す先には、のんびりと芝生を食む雪舞の姿があった。その美しい白毛の体には、赤黒い僕の血のあとがべっとりと残っている。


「雪舞がいなかったらきっと、モーリスを助けることはできなかった。だからね、帰る前に、一緒に雪舞の体を洗ってあげたくて。いいでしょ?」


 僕たちの気配に気付いたのか、雪舞は顔を上げ、じっとこちらを見つめながら耳を立てていた。出血多量で生死の境を彷徨った僕が迅速な治療を受け、今こうしてロザリーと一緒にいられるのは、あの日の夜、雪舞がこのマナ研究所まで全速力で駆けてくれたからだと聞いた。ならば、ロザリーと同様、雪舞もまた僕の命の恩人(恩馬?)なのだ。

 雪舞にも何か恩返しをしたい。マナ研究所で入院生活を送る中で、僕はずっとそう思っていた。


「うん、もちろん!」

「モーリスならそう言ってくれると思ってた。雪舞、おいで! 一緒に水場に行きましょう!」


 それから僕とロザリーと雪舞は、芝生の近くにある水場に行き、ホースでぬるま湯をかけながら雪舞の体を洗った。


「こんな寒い時期に体を洗って、風邪ひいたりしないの?」

「ちゃんと乾かして、馬着を着せてあげれば大丈夫だよ」

「馬着……って、なに?」

「馬のコートみたいなものかな」

「コート? 馬にも服があるんだ?」

「うん。雪舞には、私が特別に誂えた馬着があるの」


 シャンプーで体を綺麗に洗い流し、タオルでしっかり水分を拭き取ったあと、両手に一つずつ、計四個のドライヤーを使って乾かす。それが終わると、僕たちは雪舞に馬着なるものを着せてあげた。ロザリーが特別に誂えたという雪舞専用の馬着は裏地にふかふかのボアがついたとても高級そうなもので、表面には細かい花柄の刺繍がびっしりと施されている。きっと、僕がうちで使っている布団の何倍も値が張る代物だろう。


 血だらけになり裂けていたはずの僕の制服もいつの間にか新調されていて、病衣から制服に着替えた僕と白いドレスのロザリーは、その日の夕方、一週間前と同じように雪舞に跨って国立マナ研究所を後にした。

 輸血後の経過観察のため、僕は一、二週間に一度研究所で検査を受けるよう、ネブラ医師から指示を受けた。我が国で最高レベルの機密情報を扱う研究機関に通わされるなんて、いよいよ大変なことになってしまったなあと、つくづく思う。


 しかし、何はともあれ、今日は久しぶりに自分の部屋でのんびりできる。マナ研究所ではずっとロザリーと一緒にいられて、それはそれで楽しかったけれど、人間やっぱり自分の部屋が一番落ち着くものだ。今日は寄り道せず真っ直ぐ家に帰って、母さんの手料理を食べて、思いっきり寝よう。久しぶりにゆっくり羽根が伸ばせるなあ。


 雪舞の背に揺られながら、僕は呑気にそんなことを考えていた。この後すぐ、僕たちに更なる災難が降りかかるなんて思いもよらずに――。

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