潜入・グリーンフォレスト
雪舞を一人、いや一頭残して、僕とロザリーは忍び足で倉庫群へと接近する。
全身真っ白なロザリーは、月明かりを浴びて、暗闇の中にぼんやりと浮かんでいるように見えた。これって、闇に紛れて任務を遂行する上でハンディにならないのだろうか。白という色は光の反射率が高く、暗い中でも視認されやすい色だ。そう思いながら進んでいると、いよいよ倉庫群が目前に迫ってきたというところで、ロザリーは僕の手を引き、物陰に導いた。
そこは倉庫群の周囲に巡らされたフェンスの外側で、足元にはカンやらビンやらビニールやら、たくさんのゴミが落ちていた。スニーカーで歩いていても躓きそうになるぐらいだから、裸足で歩いたらきっと、足が傷だらけになってしまうだろう。
「わわ、なに、ロザリー?」
ロザリーはすかさず人差し指を立て、僕の口に当てた。そうだ、どこにグリーンフォレストの連中がいるかわからないのだ。迂闊に口は開けない。僕は顔の前で両手を合わせた。ロザリーは小さく頷く。彼女の瞳は銀色に光っていた。
そして次の瞬間、彼女の姿はマジックのように、僕の目の前からフッと消えてしまったのだ。
僕は慌てて辺りを見回した。しかし、ロザリーの姿は影も形もない。
「大丈夫、私はここにいるよ」
「わっ!」
突然耳元でロザリーの声がして、僕は驚きのあまり息が止まりそうになった。またしても間抜けな声を発してしまったことに気付き、僕は慌てて両手で口を塞ぐ。再び耳元でロザリーの囁く声がした。
「驚かせてごめん。先に説明しておけばよかったね」
「え……どうなってるの、これ……ロザリー、そこにいるの?」
「全身にマナを集めて、光を透過させているの」
「光を透過……つまり、透明人間になったってこと?」
「うん、まあ、語弊を恐れずに言えば、そうなるかな」
いわゆる光学迷彩というやつだろうか。でも、マナを使っているってことは、違うのか……?
彼女の言っている意味が、僕には全くわからなかった。そもそも、現代科学の粋を極めた国立マナ研究所をもってしても未だに解明できていないらしい彼女のマナに関する謎が、一言説明されただけの僕にわかるわけもない。戸惑う僕の手にロザリーの柔らかい手のひらの感触が重なり、いつの間にか、僕の体も透明になっていた。
「私に触れていれば、モーリスも透明になれる。便利でしょう?」
便利というか、なんてインチキな能力なのだろうと僕は思った。でも確かに、この能力があれば今回のような偵察任務は楽勝だろう。僕は頷いてみせたけれど、これは彼女に見えているのだろうか。
「でも、これを使っている間は音を遮断することができない。だから、ここから先、絶対に喋らないで。そして、絶対に私の手を離さないでね」
一緒に透明人間になっても、彼女の姿は依然として見えないままだ。僕の姿も見えていないに違いない。無駄だとは思ったが、僕は再び頷いて見せた。
何故この任務に僕が同行させられるのか、その必要性は未だによくわからない。ロザリーにこんな能力があるのなら、僕が彼女にしてやれることなんて何もないと思うからだ。
本当に彼女のメンタル面でのサポートだけなのだろうか。むしろ、彼女の足を引っ張ってしまわないかがとても不安だった。とはいえ、危険な任務にロザリーを一人で行かせるつもりか、なんて言われると、断るわけにはいかなかった。
まあ、今更そんなことを考えてもどうにもならない。ロザリーの能力のおかげで任務は簡単に終わりそうだし、この透明人間体験はなかなか刺激的でもある。
そして、この任務が終わったら僕、ロザリーとさっきの続きをするんだ……。
と、わかりやすい死亡フラグを立てて、僕たちはいよいよ廃倉庫群への潜入を開始した。
姿が見えず、声も聞こえない。繋いだ手の感触だけが、僕にとっては唯一の頼りだ。
手前から一棟目と二棟目の倉庫には人の気配はなかったが、三棟目の倉庫の窓からうっすらと光が漏れているのを発見した。他の倉庫の窓ガラスはほとんど割られていて、廃墟になってから相当荒らされたことが察せられる。でも、三棟目だけは全ての窓にちゃんとガラスが嵌め込んであって、いかにも人の手が入っている感じがした。
明かりのついていた倉庫の周辺を探索してみると、幸いなことに入り口は開いていて、僕たちはすかさず中に潜り込んだ。
倉庫の中は、錆びたドラム缶や鉄パイプなどが乱雑に投げ捨てられ、まさに荒れ放題だった。外と同様、足元には注意を払わなければならないが、周囲に仕切りのようなものはなく、すぐに倉庫内全体を見渡すことができた。
ロザリーの手が少し汗ばんできたような気がする。
倉庫の中ほどの壁にライトが取りつけてある。その下には、何かの部品や工具でぐちゃぐちゃに散らかったテーブル。テーブルの下には、缶ビールの空き缶らしきものがいくつも転がっている。
そして、テーブルの近くの椅子に、ダウンジャケットを着た男が一人座っているのが見えた。あれがグリーンフォレストの工作員なのだろうか。壁に身を寄せ、息を殺して様子を窺う。距離がありすぎて、テーブルの上にあるものが何なのかまでは確認できない。だが、今回の任務は偵察だけだ。無理に接近する必要はないはず。
そのまましばらく観察していると、背後、つまり倉庫の入り口の方向から、床に散らばったガラス片を踏むシャリシャリという音が聞こえた。振り返ると、そこにはコートを羽織った髪の長い女の姿があった。
距離にして約三メートル。すぐ後ろに人の気配を感じた僕は思わず飛び上がりそうになったけれど、女の視線はテーブルと男のほうにまっすぐ向けられている。これだけ近くにいても、あの女には僕たちの姿が全く見えていないのだ。
女は足元に潜んでいる透明人間に気付くことなく僕たちの真横を通り過ぎ、コツコツとヒールを鳴らしながら、男のほうへ歩いて行った。女は男に声をかける。
「こんばんは、デニム。どう、爆弾のほうは。順調? ……なに、また飲んでるの? アルコールって火気でしょう、爆弾作ってる傍で酒なんか飲んだら危険なんじゃない?」
男は女に軽く手を上げながら答えた。その手に握られた缶ビールの銀色の缶が、ライトの光を反射してキラリと光る。
「ルビーか。ああ、バッチリだ。さっき爆弾が出来上がって、一杯やってるところさ。作戦の決行は明日だな?」
「ええ。チトセシティの市庁舎のパソコンに侵入して、私たちの工作員がいる事務用品メーカーに発注をかけたわ。あとは、その爆弾を荷物に仕込んで発送するだけ。いつも注文しているメーカーだから、疑われることもないでしょう。本来ならマナ研究所を狙いたかったところだけど、そっちはセキュリティが厳しすぎてまだダメね」
「へえ。やっぱり、ロザリー・アルバローズが匿われているのは国立マナ研究所なんだろうな」
「そう見て間違いなさそうね。ロザリー・アルバローズを殺せば、我々の宿願の一つが果たされる。だから失敗はできない。今回はその爆弾の威力を試す意味もあるわ。成功したら、次は国立マナ研究所よ」
ビンゴ。間違いない、ここはダイヤモンド侯爵が言っていた通り、過激派環境保護組織、グリーンフォレストのアジトのようだ。しかも、話によると、どうやら明日爆弾テロが決行されるらしい。この情報を持ちかえれば、被害を未然に防ぐことができるかもしれない。いきなりの大きな収穫に、僕の心は高揚していた。
だがその直後、僕はロザリーの手が小さく震えていることに気が付いた。グリーンフォレストの奴らは、今でも彼女の命を狙っている。あの二人の会話から、それがはっきりとわかってしまったのだ。怯えるなというのは無理だし、僕だってはらわたが煮えくり返るような気持ちだった。
それだけではない。ロザリーにとって、このグリーンフォレストは両親の命を奪った仇なのだ。本当なら、今すぐにでも襲い掛かりたいような気持ちだろう。だが、相手はテロリスト。爆弾テロを起こそうというぐらいだから、銃を持っている可能性もある。
もし万が一のことがあったら、僕がロザリーを止めなくては。そうか、今回同行させられたのはこのためなのかもしれないと、僕はようやく合点がいった。
僕は彼女の不安、怒り、あるいは動揺を鎮めるため、彼女を抱き締めて、安心させてあげようと考えた。僕にできることといえば、それぐらいしか思いつかなかったからだ。
「そういえばさ、さっきここに来るまでの間に、やたら色白で美人の女が、男連れで馬に乗って街中を歩いてたって話を聞いたんだけど……」
「うん? それがどうした」
「やたら色白で美人の女といえば、ほら……ロザリー・アルバローズは幼い頃から目鼻立ちの整った子供だったし、成長した今なら、衆目を集めるような美人になっていてもおかしくないと思ってね」
「ハハハ。おいおい、このチトセシティに何百万人人間がいると思ってるんだ? アルビノが生まれる確率は数万分の一だろ、このチトセシティだけでも、アルビノは百人以上いる計算になる。だいいち、あのロザリー・アルバローズがそんなに堂々と街を歩いてるわけがないだろ」
「そうかしら……なんだか、私は妙に気になるのよね。女の勘ってやつ」
「今回の作戦が成功したら、次は国立マナ研究所を狙うんだろ? もしそこにあの女がいなかったら、また改めて考えればいい」
ロザリーの手の震えが大きくなった。僕は、彼女の手の感触を頼りに体の位置を推測し、ロザリーに体を寄せる。
カチャッ
足元の割れたガラス片が、微かに音を立てた。
「誰だ!」
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