任務ってなに???

 そして昼休み。僕はロザリーと共に学長室へ向かった。

 ハンロ高校の学長は、学長というだけでなく、我がシャダイ王国王家の血を引く貴族、ダイヤモンド侯爵でもある。失礼があってはならない。


 ハンロ高校に入学して以来、学長室に来るのはこれが初めてだし、ダイヤモンド侯爵と至近距離で話すのも初めてになる。特段表彰されるようなことをしたこともなければ、学長から直々にお叱りを受けるようなこともしてこなかったからだ。

 だから、僕にとって学長室は女子更衣室や女子トイレの次ぐらいに近くて遠い場所で、足が震えるほど緊張していたのだけれど、ロザリーは全く表情を崩さず、落ち着き払っていた。元々伯爵令嬢のロザリーにとっては、侯爵といえども『ちょっと偉い人』ぐらいの感覚なのかもしれない。何だろう、彼女との間に、身分の差とか、育ちの違いを感じてしまう瞬間だった。


 学長室に入ると、鏡のように磨き上げられた黒光りするデスクの向こうで、恰幅のいい白髪の老人が、柔らかそうな革張りの椅子にどっしりと腰掛けているのが見えた。フルネームはアレス・クラウン・ダイヤモンド。式典での挨拶が極めて短いことから、僕達生徒の間では人気のある学長だ。


「失礼します」

「し、失礼します」


 ロザリーは一礼して堂々とダイヤモンド侯爵の前に進み出ていく。伯爵令嬢である彼女はきっと、小さい頃から一人前のレディになるための作法を叩きこまれているから、こんな場面でも動じずにいられるのだろう。僕は彼女の付き人みたいに後を追い、侯爵の前に並んで立った。侯爵は目を細め、おもむろに口を開く。


「こうしてゆっくり話をするのは久しぶりだね、ロザリー。体の方はどうだい?」

「はい、変わりありませんわ、伯父様」


「えっ、伯父様?」


 二人の間で何気なく交わされた会話に、僕は耳を疑った。え、ロザリー? 伯父様?

 ロザリーはこちらを向いて、微笑みながら軽く首を傾いだ。


「そう、まだモーリスには話してなかったね。実は、学長は私の母の兄、つまり伯父にあたる方なの」


 学長、ダイヤモンド侯爵は鷹揚に頷く。


「いかにも。ジュエラー・シンハライトが私の姪であることが知れてしまったら、彼女が実はロザリー・アルバローズだとバレてしまうからね。このことは誰にも、教頭にすら話していないんだ。だから、モーリス・ディサイファ君、君も私とロザリーの関係は内密にしておいてくれたまえよ」

「大丈夫ですわ、伯父様。彼は、私のこともちゃんと上手に隠してくれていますもの」

「ははは、そうか。ロザリーが選んだ男だから、間違いはない、か」


 ロザリーとダイヤモンド侯爵が親戚だなんて聞いてないよ! 学長とか侯爵とかいう立場や身分の問題より、そっちの方がずっと大きなプレッシャーだ。

 ダイヤモンド侯爵は、爪先から頭のてっぺんまで、値踏みするようにしげしげと僕を眺めた。ていうか、侯爵は僕とロザリーの仲を知っているのか。


「はあ、恐縮です」


 威厳のある侯爵の視線に曝されて、どうにか絞り出した一言。学長であり侯爵でもある、それだけでも緊張していたのに、今度はロザリーの伯父、つまり親族だというのだ。僕の頭の中は完全に真っ白になっていた。僕の辞書に載っている言葉のうち、99.99999%ぐらいは失言になってしまうような気がして、何も言葉が浮かんでこなかった。さっきの『はあ』だって、TPOを弁えた返事とはとても言えない。


 そして、侯爵が次に発した耳慣れない言葉に、僕はまた度肝を抜かれることになる。


「ところでロザリー。早速で悪いのだが、次の任務だ。このチトセシティの外れにある廃倉庫を、グリーンフォレストの連中がアジトとして使っているという情報が入った。私の妹夫婦……そして、君の両親を殺した組織だ。興味があるだろう?」


 ロザリーの表情がにわかに強張る。

 グリーンフォレスト。マナの利用に反発し、シャダイ王国内でテロ活動を繰り返す過激派の環境テロリスト集団。そして九年前、アルバローズ家を襲撃し、ロザリーの両親の命を奪った連中だ。

 やはり、彼女は今でも奴らを憎んでいるのだ。両親を目の前で殺された憎しみは、そう簡単に消えるものではない。


「……はい。もちろん。やらせてください、私に」


 ……って、え、あまりに唐突すぎて逆に反応が遅れてしまったけれど、さっき侯爵は任務って言った? 任務ってなに? それにロザリーも、二つ返事でやらせてくださいって……。


「うむ。今回の目的は潜入と偵察だ。奴らの装備や人員の規模を探ってきてくれれば、あとは公安が処理する。君は自分の安全を第一に行動しなさい。場所等の詳細は君の自宅のパソコンに送られているはずだから、しっかり確認して、万全の態勢で臨むように」

「かしこまりました」


 ロザリーは小さく頭を下げた。いや、話が全然飲み込めないんですけど?

 ダイヤモンド侯爵は次に僕を見て、有無を言わさぬ口調でこう言った。


「それから、モーリス・ディサイファ君、君もロザリーに同行してやってくれないか?」

「えっ? は? 任務? 同行? いえ、僕には何が何やら……そもそも、何故ロザリーがそんなテロリストの拠点を偵察しなくちゃいけないんです?」


 侯爵に代わってロザリーが僕の質問に答える。


「私には、それに適した特殊な能力があるから。今の私は、王国から与えられた任務を遂行することで、生活を保証されているの。それに、私が任務を遂行すること自体が、マナ研究の一環でもある。私だって、自分の能力を世の中に役立てたいと思っているよ」


 ロザリーの言葉に、ダイヤモンド侯爵が続ける。


「そういうことなんだ。まあ、詳しいことはあとでロザリーから聞いてくれたまえ。率直に言って、私も不安なのだよ。ロザリーは今まで犯罪捜査に関する極秘任務をいくつもこなしてきた実績があるけれど、武装組織を標的とした作戦は今回が初めてだ。その相手がグリーンフォレストとなれば、尚更ね」

「あ、あの、侯爵……」

「それに、こう言ってはなんだが、ロザリーは精神的に些か不安定なところがある。グリーンフォレストは彼女の両親の命を奪った仇敵とも言うべき存在、いざという時に冷静さを欠くこともあるかもしれない。だが、恋人であるディサイファ君が同行してくれるなら、大丈夫なのではないかと踏んでいるのだよ」


 ロザリーに精神的に不安定な面がある、という部分については、昨日のことで嫌というほど思い知らされた。しかし……。


「でも僕は、特殊な能力なんて何一つ持ってないし、頭も悪いし運動もからっきしで、とてもそんな危険な任務が務まるとは思えません……むしろ、彼女の足を引っ張ってしまうんじゃないかと……」


 すると、侯爵は気分を害したらしく、あからさまに眉をひそめた。


「じゃあ何かね、ディサイファ君、君は自分の彼女が自らの意思で危険な任務に赴くというのに、彼女を一人で死地に送ろうと、こう言いたいのかね?」

「うっ……そ、そういうわけでは……」


 そんな論法で決断を迫るのは卑怯だ! と僕は叫びたかったけれど、ダメ押しとなったのは、やっぱりロザリーの笑顔だった。彼女は僕の手を優しく握り、こう言ったのだ。


「大丈夫よモーリス。私が必ずあなたを守るから。簡単な任務だよ、だから心配しないで」


 この状況で、心配しないでって言われてすんなりと安心できるやつがいるだろうか?

 いや、いないはずだ。

 しかし、だからといって、ここで毅然としてロザリーと侯爵の頼みを断れるやつがいるだろうか?


 いないだろ?


「わ、わかりました、このモーリス・ディサイファ、この身を賭してロザリーを守り抜いて見せます!」


 あぁ、言っちゃったよ……。

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