氷と銃声

「君、バスジャックの事件は、公にはされていないはずだが……その情報は、どこから得たんだね?」


 ……はっ。

 そうだった。

 バスジャック事件については政府による情報統制が敷かれていて、チトセシテイのど真ん中で起こった事件であるにも拘らず、メディアでは一切報道されていない。驚いたことに、ネットやSNSでも、バスジャック事件に関する投稿は見られないのだ。少なくとも、あのバスの乗客たちは全てを目撃しているはずなのに――。いったいどうやってここまで徹底した情報管理ができるのか不思議でならないが、ともかく、あのバスジャック事件は完全に闇に葬られている状態。

 つまり、一般市民であるはずの僕たちは、バスジャック事件について知る術がない。それをすっかり失念していたのだ。


「えっ、それは、その……ネットで、ちょっとした噂になってて……」

「……どこで、だね? 我々もネットには常に目を光らせているが、あのバスジャック事件に関する情報は何をどう探しても見つからなかった。我々も驚いたぐらいなのだよ。どこで見たのか、是非教えてもらいたいね」

「えーっと、いや、チラッと見ただけだったから、どこだったかはもう……」

「ほう、忘れたというのかね? 我々の同胞が死んだと聞いて胸を痛めたと、君はついさっき話してくれたばかりだが……」


 えええ、ない? そういうこと? 好きなものについて調べてても、どこで見たかは覚えてないってこと、普通にないですか? 僕だけ?

 リチャードは何度か床を踏み鳴らす。それが合図だったのか、拳銃を持った男が数人、突然部屋の中に雪崩れ込んできて、僕たちに銃口を向けた。

 あぁ、またやらかした……調子こいて言ったことが全て裏目に出ちゃったよ!

 僕は床に膝をつき、リチャードに必死に頭を下げる。


「あっあのごめんなさい本当に覚えてないだけなんです僕たち別に怪しいものじゃないんです信じてください!」

「モーリス、頭を上げなさい。もう無理よ」


 と、ミヤビ様の声。グリーンフォレストのアジトで、敵と銃口に囲まれても尚、ミヤビ様は落ち着き払っていた。リチャードは勝ち誇ったような笑みを浮かべながら彼女に尋ねる。


「スパイにしちゃぁ、随分若いな……。お前達、公安の手の者か?」

「さあ、どうかしらね」

「ほう、この絶望的な状況でもまだそんな態度を取り続けられるとは、なかなか肝の座ったお嬢ちゃんじゃないか。気に入ったぞ」

「あら、ありがとう。お褒めにあずかり光栄だわ」


 ミヤビ様は眉一つ動かさず、長い脚をゆったりと組み直した。銃口を向けられても全く動じないなんて、彼女の心臓は本当に鋼か何かでできているんじゃないだろうか。いや、喋らないから目立たないだけで、レイさんやロザリーだって、表情一つ変えていない。いったいどうなってるんだ、この人たちの精神構造は。

 リチャードは男たちに目配せをする。


「よし、そこのデカい女は生かして捕える。他の三人は今すぐ殺せ」


 銃を持った構成員たちが一斉にトリガーに指をかけた。

 もうお終いだ――しかも僕が口を滑らせたせいで! 僕は思わず頭を抱えてその場に蹲る。

 しかし、銃口が火を噴くより一瞬早く、ミヤビ様の力強い声が響き渡った。


「アイスフォーリス!」


 すると、水仙を象った無数の氷のシールドが、紫陽花のように重なり合って瞬く間に僕たちの周囲に展開される。それは僕が初めて彼女たちと出会ったときと同じ氷の防御魔法だった。

 銃口から放たれた弾丸は鉄琴のように小気味よい音を立てながらことごとく氷の壁に弾き返され、カラカラと床に転がってゆく。突然目の前に現れた氷の壁に、男たちが大きく狼狽えた次の瞬間。


「スノーフェアリー!」


 結晶の形をした氷の手裏剣が部屋中を乱舞し、男たちの体を切り刻んだ。


「うおっ!」

「うがぁっ!」


 断末魔が響く中、リチャードは慌ててスチール棚の後ろに隠れ、声を裏返らせながら叫ぶ。


「こ、これは……どうなってるんだ!? ま、まさかお前ら、アルビノか!」


 氷の壁アイスフォーリスがパリンと割れ、男たちが動かなくなったのを確認したミヤビ様は、すっくと椅子から立ち上がった。


「まあ、最初からこんなことになるんじゃないかって予感はしてたけど……さ、あんた達、もうここに長居は無用。急いで引き上げるわよ」


 床に倒れた男たちの体を踏みつけながら、颯爽と駆けてゆくミヤビ様。僕も急いで立ち上がり、レイさんやロザリーと共に彼女の後を追う。僕と同い年の女の子のはずなのに、ミヤビ様のこの強さはいったいどこから来ているのだろう。彼女だけじゃない、レイさんだって、テロリストのアジトに乗り込んで涼しい顔をしているのだ。

 リチャードの部屋を飛び出すと、武装した男がさらに数人待ち構えていた。咄嗟に銃を構え、銃口をこちらに向けるテロリスト達。


「ちっ、思ったより数が多いな……アイスフォーリス!」


 ミヤビ様は前面に再び氷のシールドを展開して銃弾を跳ね返した後、


「スノーフェアリー!」


 氷の刃でテロリスト達を八つ裂きにする。

 さっきと合わせて、もう十人以上の敵を屠っているはず。あまりにも圧倒的すぎる……。ダイヤモンド侯爵の前で彼女が言い放った『銃火器が使える程度の連中だったら普通の人間と変わらない』という言葉の意味を、僕は改めて思い知らされていた。

 役目を終えた氷の壁が弾けて消えると、レイさんはテロリストの死体から手早く銃を回収し始める。


「今日は剣を持ってきてないからなあ。ミヤビと違って、僕は剣を持ってないと、一般人とあんまり変わらないんだよね」


 室内を見渡すと、銃声を聞いて逃げ出したのだろうか、さっきまでそこで酒を飲んでいた男女の姿はどこにも見当たらない。地上へと続く階段を駆け上がり、扉の前でじっと息を潜める。扉の向こうからは、複数の車のエンジン音と、車から降りる足音が聞こえてくる。

 ミヤビ様が耳をそばだて、外の様子を窺いながら言った。


「この組織力と対応の速さ……こいつら、ただのチンピラの寄せ集めなんかじゃないわね」

「……どういうこと?」


 僕が尋ねると、ミヤビ様は眉根を寄せ、険しい表情を作る。


「あのバスジャック犯とか、鉄砲玉にされてる末端の構成員なんかは、たしかにそこいらのチンピラかもしれない。でも、あのリチャードやさっき倒した奴ら、それと今外にいる連中は、おそらく訓練を受けた兵士や工作員の可能性が高いと思う」

「……つまり?」

「ホントに鈍いわね、アンタ。グリーンフォレストにはプロの兵士や装備を調達できるような資金力を持った後ろ盾がいるってことに他ならないでしょうが。裏で糸を引いているのが、もし国家レベルの組織だったら、これはテロじゃない、戦争よ」

「……せ、せん……そう……?」


 戦争。

 その言葉が持つ響きの恐ろしさが、僕の体を震え上がらせる。

 テロだけでも十分すぎるほど怖いのに、戦争なんて――。


「相手の装備がわからないのがちょっと怖いけど、ここで待っていても状況は悪化するだけだわ。奴らは私とレイで何とかするから、ロザリーはモーリスを連れて先に車まで戻ってて。できるわね?」


 ミヤビ様の指示にロザリーは小さく頷き、僕の手を取ると、マナの力を使ってロザリーと僕の体を透明にした。廃倉庫に潜入した時に用いたステルス能力である。今度はミヤビ様が大きく頷いた。


「お見事――よし、じゃあ、いくわよ。レイ、扉を開けて」


 レイさんが素早く扉を開け放つと、ミヤビ様はすぐさま氷のシールドを展開する。今度は拳銃の単発の銃声ではない。サブマシンガンのけたたましい銃声が、氷の水仙に力なく弾き返されてゆく。


「スノー・フェアリー!」


 と、浮遊する氷の結晶が舞い踊った後。弾けた氷の防壁の向こうでは、サブマシンガンを握ったまま切り刻まれた男たちが道路に横たわっていた。しかし、息をつく間もなく、路地の向こうからさらに二、三人の男たちがこちらへ駆け寄ってくる。そのうち一人の手には、拳銃でもサブマシンガンでもない、大口径の武器が握られていた。

 ミヤビ様が叫ぶ。


「ロケットランチャーよ! 伏せて! アイスフォーリス!」


 ロケットランチャーが火を噴くのとほぼ同時に、眼前に氷の障壁が展開される。だが今回は、サブマシンガンの時のように易々と跳ね返すことはできなかった。凄まじい爆発音と地響きを立てて氷の壁を直撃したロケット弾。ミヤビ様が築いたその氷の壁には、確かに一筋の罅が入っていた。


「この威力……おそらく対戦車用ね。こんなものを街中でぶっ放すなんて……ここは私たちで食い止めるから、二人は早く逃げて! スノー・フェアリー!」


 再び結晶が舞い、男たちの悲鳴が上がる。だが、それでもまだこちらへ近付いてくる追手の足音は止まなかった。これまでの戦いぶりを見ても、二人ならテロリストにやられることはないはず。僕たちがここにいても、きっと足手まといになるだけだろう。僕はそう判断し、


「わかった、二人も気を付けて! 行こう、ロザリー!」


 と、ロザリーの手を引き、車へ向かって走り出した。

 店舗裏から車の停めてある路肩までは決して長い距離ではないし、ロザリーの能力のおかげで僕たちは透明人間になっている。車の近くでじっとしていれば、見つかることはまずないだろう。そこで二人が戻ってくるのを待つ。それぐらいなら、僕たちにもできるはず。

 店舗の脇を抜けると、銃を持った男が二、三人、また僕たちの前を横切って行った。車はもうすぐそこだ。男たちをやり過ごし、タイミングを見計らって飛び出す。


「いくよ、ロザリー」

「うん」


 しかし、その時の僕は、敵にばかり気を取られていて、自分の足元をよく見ていなかった。

 足に力を込めて勢いよく駆け出した僕は、足元に転がっていた空き瓶を踏ん付けて、


「うわぁぁぁっ!?」


 と奇声を上げながら、道路の真ん中で派手にスッ転んでしまった。しかも、その挙句――。


「……ん? なんだ、あそこでスッ転んでいるアホ面のガキは?」

「スパイはガキらしいぞ。ま、どっちみち、怪しい奴は全て殺せっていう命令だし、これを見られちゃ生かして返すわけにはいかねえが」


 男たちはこちらを振り返り、拳銃をこちらに向ける。

 そう、無駄に勢いをつけて地面に転がった僕は、その弾みでロザリーの手を離し、奴らに姿を晒してしまったのである。

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