四人目の推薦人
さて、知り合いをかき集めてどうにか三人になったミヤビ様の推薦人だが、その後の推薦人探しは難航を極めた。
二人ぐらいすぐ集められるはずと僕もミヤビ様も当初は楽観視していたのだけれど、その見込みがガムシロップのように甘いものだったことを、僕たちは知らされる羽目になった。それでもミヤビ様が日頃の態度を改めて素直にお願いして回ればもしかしたら可能性はあったかもしれないが、それは彼女のプライドが許さないらしい。
ただでさえ男子の中でミヤビ様の人気はあまり高くない。ルックス的にはロザリーやレーヌにも全く引けを取らないはずなのだが、いつかラニが言っていた『高慢、高飛車、高身長』という三高、つまりミヤビ様の性格とかパーソナリティの部分が大きなネックになっているらしい。普段からもうちょっと愛想良くしていれば、レーヌほどではないにせよ男子からの人気も高かったはずなのに。脚フェチの男子って意外と多いし。
男がダメなら女はどうかと視点を変えてみても、まず女子のほとんどはミスコンの存在すら知らず、興味もない。それにミヤビ様は、レイさんに関わる妬みややっかみのせいで女子からの人気も人望もほとんどない。むしろどちらかと言えば嫌われているのだ。
とまあそういうわけで、ミヤビ様がミスコンへの出場を決意して三日、推薦人探しは早くも暗礁に乗り上げてしまった。昼休みの屋上で、レイさんと、数日ぶりに登校してきたロザリーを交えて今後の方針について話し合うことになったのだが、当然誰からも妙案は出てこない。つーか、人気投票で決まるミスコンにミヤビ様が出ること自体がそもそも無謀なんだ。
屋上のベンチに長い脚を組んで腰掛けたミヤビ様は、大きく背伸びをしながら空を見上げる。珍しく落ち込んでいるようだ。
「はぁ……あと二人。たった二人なんだけどなぁ」
「雅さん、別に、ミスコンに優勝したからっていいことがあるわけでもないし、無理に推薦人を集める意味もないんじゃないかな」
日傘をさして静かに佇む去年の優勝者ロザリーの言葉も、今の彼女には何の慰めにもならないようだった。いや、むしろロザリーがさりげなく使った『無理に』という言葉に、ミヤビ様はちょっぴり傷ついたようにも見える。
「そうだよ雅、レーヌが気になるのはわかるけど、何でもかんでも対抗心を燃やす必要はないと思う」
レイさんも暗に諦めたほうがいいと諭しているような口ぶりだ。
ミヤビ様はゆっくり空から足元へ視線を下ろすと、また大きなため息をついた。
「わかってるって、それぐらい……」
いつも強気なミヤビ様がここまで意気消沈しているのは、レーヌに勝つどころか同じスタートラインにすら立てそうもないことに対する落胆がそれだけ大きいからだろう。彼女ほどの美貌の持ち主なら、自分の女性的魅力についてそれなりの、いやかなりの自信を持っているはず。だからこそ、ミスコンに出てレーヌに勝ちたいという発想が出てくるのだ。
しかし、彼女が思っていた以上にミヤビ様はみんなに嫌われていた。自業自得と言えばそれまでなのだが、彼女の不器用さを知っている僕には、その姿が何だか気の毒に思えてしまうのだった。
肩を落として足元を見つめるミヤビ様。よく晴れた空の下、僕達の一角だけは重苦しい空気に包まれていた。
と、その時。
「……ん?」
足元からふと顔を上げたミヤビ様の瞳が、ある角度でぴたりと止まった。彼女の視線は僕達を通り越し、どこか一点を凝視している。何だろう、と僕達三人はほぼ反射的にミヤビ様の視線を追ったが、そこには何の変哲もない見慣れた貯水槽があるばかりだった。
「どうしたの? ミヤビ様」
という僕の質問を無視して、彼女はつと立ち上がり、脇目もふらずに貯水槽の方向へと早足で歩いていく。
「何かあったのかな……」
「まあ、きっとすぐにわかるよ」
レイさんはいつもの仮面のような微笑で言った。彼はミヤビ様が見つけたものの正体を知っているんだろうか。
レイさんの言う通り、答えはすぐにわかった。
すたすたと貯水槽の向こう、こちらから死角になる場所に回り込むミヤビ様。その動きに合わせるように、貯水槽の裏から一人の女の子が忍び足で手前側にやってきたのだ。
セミロングの黒髪に、血色の悪い白い肌、分厚い黒縁眼鏡をかけた小柄な女子。黒いパーカーの下にハンロ高校の制服を着ているから、うちの生徒であることは間違いない。
ミヤビ様が首を傾げながら手前側に戻ってくると、女の子はその様子を窺いながらまたひょこひょこと貯水槽の裏側へと戻ってゆく。まさかたまたま逆方向に動いているわけでもないだろうし、ミヤビ様から隠れているのは明らかだ。
「……なんだ? あの子」
「このところずっと、雅の周りをうろついていた子だね」
レイさんが何気ない口調で言った。
「レイさん、あの子のこと知ってるんですか?」
「いや、知ってるってほどじゃないけど、雅の後を
「ええ……大丈夫なんですか? まあ、たしかに見たところ無害そうな子ではありますけど」
「だろう? むしろ、あんな素人の尾行に、雅が今の今まで気付かなかったことのほうが問題だよ。平和ボケしてるか、もしくはよほどミスコンの推薦人の件で頭がいっぱいだったんだろうね。もうちょっと周囲に気をつけてもらわないと」
「はぁ……なるほど。でも、知ってたなら教えてあげてもよかったんじゃないですか? もし万が一あの子がグリーンフォレストの一味だったりしたら、ロザリーだけじゃない、ミヤビ様やレイさんが標的になっていてもおかしくは……」
「そんなヤバい気配を放っている奴が周りをウロウロしていたら、さすがに僕だって忠告するし、雅だって気付くだろう。僕は幼い頃から命を狙われたりしていたからね、直感的にわかるんだよ、何となく」
レイさんはそう言うと、僕にウインクをして見せる。それは彼のファンならその場で卒倒してしまいそうなほどに爽やかで魅力的な仕草だった。が、その表情とはかけ離れた言葉をレイさんはさらりと口にしたのだ。僕は尋ねた。
「幼い頃から命を狙われてたって、レイさんも、やっぱりスターリング一族に?」
しかしレイさんは僕の質問を軽い微笑で流し、ロザリーの方を向いた。
「ねえ、君も何となくわかるだろう? ジュエラー・シンハライトさん」
ロザリーはやや複雑な表情で頷く。
「たしかに、あの子は私も無害そうだと思う」
「きゃっ!」
貯水槽の方から小さな悲鳴が上がり、僕たちは貯水槽へと視線を戻した。悲鳴はもちろんミヤビ様のものではない。
「さあ、捕まえたわよ」
不審者を捕まえて得意げなミヤビ様と、憐れにも制服の首根っこを掴まれて子ウサギのように小さく震える可哀想な女の子。
ミヤビ様はそのままこちらへやってきて、捕えた女の子を僕たちの目の前に突き出した。小柄なその女の子は、ミヤビ様と並ぶと胸のあたりまでしかない。眼鏡が分厚いため瞳の表情はわからないが、体はぶるぶる震えているし、ひどく狼狽えているのは明らか。肌の白さと怯えた様子から、ウサギかハムスターのような印象を受ける。『蛇に睨まれた蛙』という慣用句はこんな状況のためにあるのかと僕は思った。いや、この場合は『まな板の上の鯉』のほうがピッタリだろうか。
「さて、どこの誰の差し金なのか、きっちり吐いてもらいましょうか。あたしの何を探ってたわけ? つーか、まず、あんた誰よ」
ドスの利いた声で尋問を始めるミヤビ様に対して、女の子が震える唇で最初に発した言葉は、
「あわ……あわわ……」
という、まるでボディーソープのCMみたいに間の抜けた一言だった。
その妙な微笑ましさに、さしものミヤビ様もちょっぴり気勢を削がれたようで、何故か微妙に決まりの悪そうな顔でもう一度尋ねた。
「あ~、別に獲って食おうってわけじゃないんだから、そんなにビクビクしないで、落ち着いて喋りなさいよ」
「あごご……ごめんなさい……あわ、私、あの……憧れの雅さんと、こんな近くでお話できるなんて……」
彼女の発言の中で僕が最も驚いたのは、そのイントネーションだった。メチャクチャ訛っているのだ。僕の母さんも方言はキツいけど、それとは全く種類の違う訛り方。おそらく、シャダイ王国の中でも北の方、相当田舎の地域の言葉ではないかと思われる。
僕は訛りが気になって話の内容が全く頭に入らなかったのだけれど、ミヤビ様は狐につままれたような顔で、最後の一言を問い直す。
「あ、憧れの……? 雅さん……? って、あたしのこと?」
女の子は小刻みに何度も頷く。
「そ、そうです! 私、子供のころから根暗だし体が弱くて、よくいじめられてたんです。それでも勉強だけは得意だったから、頑張って都会のハンロ高校に入ったんですけど、田舎者だし友達も全然できなくて、このままじゃまたいじめられるかもって不安で……。でも雅さんは、みんなにハブられても全然へこたれなくて、すごいなって……こんな風に強くなれたらって思いながら、ずっとこっそり見てたんです」
女の子は少し落ち着きを取り戻したようで、さっきのキツい訛りも消えていた。問題なく標準語を話せるが、慌てたりすると素が出るということだろうか。
「いや、あたし、嫌われてるだけで、別にハブられてるわけじゃないんだけど……そんな風に見えてたのね……」
ハブられてると言われたミヤビ様は若干傷ついたようだったが、さらに質問を続ける。
「で、あなた、名前は?」
「わ、私、一年の
多民族国家であるシャダイ王国では人種や民族のルーツによって名前のパターンは異なる。ファーストネームが先に来るタイプが大多数なのだが、一部では通例として名字を先に名乗る地域もあるらしい。この女の子、巴旦杏アイの故郷はそういう地域なのだろう。
憧れの、と言われて悪く思う奴はいない。ミヤビ様は先程よりかなり態度を軟化させ、照れ隠しに一つ小さく咳払いをした。
「おほん。アイちゃん、でいいかしら。あなたがいじめられたのは、根暗だからでも体が弱いからでもない。いじめっていうのは、人間社会が抱える構造的な問題なのよ。人間の集団の中には必ずヒエラルキーが生まれる。ここは学校だから、スクールカーストと言い換えてもいいかもね。その中で自分がより高い階層に位置するために、意図的に弱い存在を作り出すの。みんなで結託して、叩いてもいい奴を作って、自分たちが優位に立っていると思いたい。それが俗に『いじめ』と呼ばれているものの実態だと私は思う」
「錯覚……?」
「たしかにターゲットにされやすい人はいるかもしれないけど、それはいじめられる人間が悪いわけじゃなくて、集団心理の負の側面によって起きる現象に過ぎないの。人間の理性と知性があれば撲滅できるはずなんだけど、残念ながら人の心ってのは低い方に流れていくもんなのよね……。いじめられたりハブられたからって自分を責める必要は全くない。自分が間違ったことをしてないって自信があればそれで十分だと思う。人は皆、死ぬときは一人だもの。個体として、一人の人間として常に強くあればいいのよ」
ミヤビ様の口調は次第に熱を帯びていった。彼女が今語ったことはきっと、彼女の哲学、ポリシーなのだろう。
普段接していて、ミヤビ様が本当はそんなに強い人間じゃないことぐらい、鈍い僕にも何となくわかる。最大の理解者であるはずの家族を幼い頃に亡くし、辛く寂しい思いをしてきたはず。その孤独を乗り越えるために、彼女は強くならざるを得なかったのではないか。たとえそれによって周囲との軋轢が生じたとしても。そのことを、いじめによって心に傷を負ったアイちゃんに伝えたかったんだろうな、と僕は思った。
真剣な表情で語り終えた後、ミヤビ様は一転しておどけたような苦笑を浮かべながら肩を竦める。
「ま、それはそれで、人集めなきゃいけないときに困るんだけどね。今みたいに」
それなんだよなあ。一人で強く生きて万事解決できればそれに越したことはないけど、人望とか民主主義とか人気投票とか、そういうのには滅法弱くなっちゃうんだよな。
しかし、ミヤビ様の自虐めいた一言に対して、アイちゃんは身を乗り出して声を弾ませた。
「み、ミスコンの推薦人を集めてるんですよね? なりますよ、私! 推薦人になります!」
「え? アイちゃん、ミスコンのこと知ってるの?」
「いえ、つい最近まで知りませんでした。でも、雅さんが推薦人を集めようとしてるのを、私、陰からずっと見てたから……」
アイちゃんが一瞬浮かべたゾッとするほど不気味な笑みはガチストーカーのそれだった。ミヤビ様は若干引きつり気味の笑顔で答える。
「あ、ありがとう……じゃあ、アイちゃん、私の推薦人になってくれるのね?」
「はい、もちろんです!」
ミヤビ様はアイちゃんの手を取り、固い握手を交わす。
その様子をじっと眺めていたロザリーの元へ歩み寄り、僕は彼女に耳打ちした。
「とりあえず、推薦人が一人増えたみたいでよかったね」
「……そうね」
「……えっ?」
この時の、無表情のロザリーが発した『そうね』という言葉の冷めた声色を、僕は一生忘れないだろう。
戸惑う僕に気付いたのか、ロザリーは慌てて作り笑いをした。僕にはそう見えた。
ロザリーは言う。
「よ、よかったね。推薦人、あと一人集まればいいんだよね?」
「う、うん。そうだね」
「見つかるといいね」
と微笑を浮かべるロザリーは、いつもの優しいロザリーに戻っていたけれど――。
兎にも角にも、これで四人目の推薦人が集まった。
ミヤビ様がミスコンにエントリーするために必要な推薦人は、あと一人。
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