12月21日 晴れ……だったかな?

第6話

「お~い、起きろ」


 聞き心地の良い声を掛けられ、体を揺さぶられている。……まだ眠い。


「……今何時?」


「5時だよ」


 昨日のうちに白夜さんのスマホで、小学校の位置を調べておいたのだが、それほど距離は離れていない。もっとゆっくりできるはずだ。


「まだ早いだろう。もう少しこの快楽に身を委ねていたいのだが?」


「快楽って、何でアンタはいちいちやらしい表現をするんだ!? それよか教科書とか持ってきているのか? 無いなら取りに行かないとダメだろ」


 そういえば、そこまでは流石の私も持ってきていない。面倒だな……。

 いや待てよ。ついでにここの生活に必要な物全て取ってくるか。

 となると、白夜さんに付いて来てもらわねば。この腕では大して運べないし。


「それはそうと身動きがとれないのだが?」


「アンタがガッツリ抱きついてるんだろ!?」



 買い置きしてあったパンを食べながら、私は白夜さんにあるお願いをした。


「私の荷物を取りに一緒に行ってくれないか?」


「えっ、荷物? 今日学校で必要な物だけ持って、そのまま学校に行けばいいんじゃねぇか?」


「……色々あってな、あそこにはそう何度も寄り付きたくないのだ。もう二日ここに泊まる為の荷物を取って来て、一度戻ってきた後、学校に行くようにしたい」


「放課後じゃダメなのか?」


「放課後はキミの練習を見なければならんだろう。この時期暗くなるのが早いから、そんな事に時間を使いたくないのだ」


「分かった。しょうがない、行くか」


 白夜さんは渋々ながら了承した。


「先に言っておくが、建物内で誰にも見つからないようにな」


「は?」


「見つかったら、まず去勢させられる」


「まず!? その時点で終わってんじゃん!?」


「裏口から入るから大丈夫だと思うが、人生最高レベルの危機感を持って、事に臨んでくれ! 頼んだぞ!!」


「……アンタ、一体どんな所に住んでんだ?」



「ここがそうだ」


 白夜さんのスマホを頼りに、私の住んでいた建物に辿り着いた。白夜さんのアパートからは、かなり離れている。


「おお、でかいな……」


 この児童養護施設は定員200名、五階建てで日本有数の大規模な施設だ。白夜さんが驚くのも無理はない。


「私の部屋は最上階だ。では裏の非常階段から上ろう。私が先行して、合図をしたら全力ダッシュで来てくれ。絶対に見つかるなよ……」


「ああ、見つかったらシャレにならないからな……」


 見つかるとヤバイのは事実だが、今は施設の朝食時間である。ほぼ全員が食堂に集まっているはずなので危険は少ない。

 正面突破はともかく、裏口から上がる分には別々に動く必要は全く無いのだが、この状況が楽しくなってきたので、ちょっとおちゃらけることにした。


 私は周囲を探り、時たま身をかがめたり、木に隠れたりしながら、建物の裏手に着き、白夜さんに合図を送る。

 彼は無意味な全力ダッシュで、息を切らせながらこちらにやってきた。

 お次は非常階段である。ここで見つかる可能性はない。どうするかな?


「階段を上る音で気付かれる可能性がある。キミは何か動物の鳴き真似は出来るか?」


「鳴き真似? う~ん、猫ぐらいなら出来るかな……」


「下手なら他を考えねばならん。一度やってみてくれないか?」


「えっ……。ニ、ニャ~ン?」


「プッ、キミのムスコばりにカワイイ。よっし、では行こうか」


「ムス……? はぁ!?」


 顔を真っ赤にし、無駄にメンタルにダメージを負った白夜さんと共に階段を上った。

 非常階段の扉を静かに開け、通路に人がいないのを確認した後、忍び足で私の部屋の前に向かった。そこには頑丈な扉と……。


「ん、電子ロックなんざ付いてるのか? すげぇ厳重だな」


「ああ、私の部屋だけな。特別に付けてもらった」


 そうしないと来客だらけで落ち着かなかったのだ。


「みうちゃんちゅきちゅきあいちてる」


「は?」


 私のセリフで呆気にとられた白夜さんの目の前で扉が開いた。


「何だ今の?」


「もちろんパスワードだ。もしかしてキミは、私がおかしくなったとでも思ったのか?」


「いや、アンタは間違いなくちょっとおかしい」


「……まぁいい。一度閉めるから、キミも言ってみてくれ」


「何で!?」


「私にもしもの事があれば、キミ一人で何とかしてもらわなくてはならないからだ」


「ぐっ、分かったよ……。……み、美宇ちゃん好き好き愛してる……」


 ――しかし扉は開かなかった――


「白夜ふざけているのか!? 時間が無いのだ、大きな声で!!」


 今のこの状況で大声はどう考えても矛盾しているのだが、テンパっている白夜さんはそれに気付かなかったようだ。


「うぅ……、み、みうちゃんすきすきあいしてる……」


 ――しかし扉は開かなかった――


「もっと感情を込めろ! 一語一句、魂を注ぎ込め!!」


「えぇい、くそっ!! みうちゃんちゅきちゅきあいちてるっ!!」


 白夜さんの魂の叫びを聞いた私は、電子ロックに先程と同じように左手人差し指を押し当てた。指紋を認証した扉が開いていく。音声認識? 何だそれは?


「さぁ……入ろうか」


「…………アンタあのセリフ、パスワードだって言ったよな?」


 白夜さんは怒りで体を震わせている。


「? そうだが、何を怒っているのだ?」


「今、指で……」


「ああ、この扉はな」


「……どういう事だ?」


「さっきのセリフで私の心のロックを開いたのだ。礼を言おう」


「……アンタ……マジで……」


 ふむ、彼だけに言わせたのはアンフェアか。


「白夜、私も愛している」


「!?」


 呆然と立ち尽くす白夜さんの脇をすり抜け、私は施設の部屋に入っていった。



「ここが私の部屋だ」


 まだ若干顔の赤い白夜さんにそう告げた。


「……これ、凄ぇってもんじゃねぇぞ……」


 私の部屋は白夜さんの部屋以上に広く、設備は白夜の部屋にあったものに加え、クローゼット等も完備されている。


「施設の部屋はどこもこんななのか?」


「いいや、この部屋だけだ」


 今年の4月に改装作業が始まり、夏に終わったのだ。つまり私がこの施設に来てからである。


「ここをアンタ一人で?」


「そうだな……」


 この部屋は施設でもっとも優秀な者だけが使える……と公にはなっているが、実際には私専用だ。

 こう説明すると白夜さんは、驚いた顔を私に向けてきた。


「アンタ、意味も無くませているだけじゃないんだな……」


「おい、褒めるならもっとちゃんと褒めろ!!」


 全く失礼な。大人な私に向かって……。

 気を取り直し、私はアパートへ持って行く物を選別することにした。

 出来ればここにはもう戻りたくない。が、白夜さんが持てる量には限度がある。私はホラ、腕がアレだから。


 ――その結果がコレだ――


「……後二日だってのに荷物多くねぇか?」


 白夜さんは両手にバッグを持ち、リュックサックをお腹と背中に乗せ、ついでに頭に鞄を引っかけている。見事なまでの夜逃げスタイルだ。もしかして流行る……訳がない。カッコ悪い。


「女性にはいろいろあるのだよ」


 私には二日で終わらす気などないのでな。結局、全ての私物を詰め込んである。白夜さん、マジで頑張れ。


「……荷物の多さはいいんだけど、これじゃ見つかった時逃げられないぞ」


 言われてみればそうだな。しかもこれは見つけてくれと言わんばかりだ。目立ち過ぎる。


「ふむ……、よっし分かった。私は正面から入ろう」


「は? どういう事?」


「私が施設内の全員を引きつけている間に、白夜は裏口から堂々と出てくれ」


「全員? そう上手くいくのか?」


「キミは施設での私を知らないのだったな。だが説明する時間はない。幸い今は朝食時間だ。食堂に私が姿を現せば、全員もれなく駆け寄ってくる。任せろ」


「まぁ、任せるしか無いんだけど……」


 それでも不安そうな白夜さんに、私はアドバイスを送ることにした。


「無事施設外に出られても油断するなよ。白と黒のシャレオツなツートンカラーの車が走ってきたら、敬礼するようにな。それで何とか躱せる」


「躱せてねぇよ!? むしろこっちに向かってくるわ!!」


 訝しむ白夜さんへ10分後に部屋を出るよう指示し、私は足早に正面玄関に向かった。



 話し声一つ聞こえない、お通夜のような雰囲気の食堂のドアを開けると、入り口の近くにいた女の子数人が私に振り返ってきた。


「「「「「「「「「「美宇様、帰ってきた~~~」」」」」」」」」」


 その声に反応した食堂内の女の子や女性が、一斉に私のところに駆け寄ってきた。……二百人近くが全員である。想定していたとはいえ、ちょっとした恐怖を感じた。


「あの……、その……、皆様にはとんだご心配を、……うげっ!?」


 私は謝罪の途中で、ある女性に勢いよく抱きつかれた。


「いいのよ美宇ちゃん!! アナタさえ無事なら、他の事なんてどうでもいいわ!!」


 このやたら熱い人は、ここの施設長である。昨日の電話に出たのもこの人だ。

 無事も何も、私は親戚の家に泊まるとハッキリ言ったはずである。連絡の前に勝手に勘違いして、突っ走ったのはこの人だ。相変わらず意味が分からん……。


「やっぱり美宇ちゃんには、この施設内で勉学に励んでもらうべきだわ!! 外に出るには早過ぎたのよ!!」


 いきなりの軟禁宣言である。このままではこの人、本気でやりかねん。早く切り返さねば。


「施設長、すみません。後二日程、親戚の家でご厄介になる事になりました」


「えっ? まさかそこの男に恋したんじゃないでしょうね!?」


 こういう事には鋭いな。だがこっちも嘘は得意だ。自慢にならんが……。


「違います。そこにいるのは中学1年で、飛び切りの美少女ですよ。ただその美少女の成績が『ちょっとアレ』でして、誰かが勉強を見て上げないとシャレにならないみたいで。三日後の補習テストである程度の点を取らないと、お小遣いがもらえなくなると泣き付かれまして。頭の方は『ちょっとアレ』ですが、気のいい美少女なのでなんとか力になってあげたいと思い、付きっきりで勉強を見てあげたいのです」


 私は美少女を強調しつつ、これ以上施設長にペースを握られないよう、矢継ぎ早に答えた。ちなみにこの美少女のイメージは玲央奈さんである。勝手にアホキャラにして申し訳ないが……。


「美少女? 美少女だったらしょうがないか~」


 施設長が迷いだした。この人察しの通り、レズである。しかもかなりの面食いだ。


「美宇ちゃんなら、中学程度の勉強なんて楽勝だろうし許可するわ!! でもちゃんと三日後には……」


「あっ今日日直だったような気がしないでもないのでこれで失礼しまっす!」


 私は施設長が言い終わる前に、施設を飛び出した。許可するところを他の人にも聞いてもらったし、昨日のような騒ぎにはならないだろう。

 施設長も言いかけていたが、このまま何もせずにいたら、三日後にはここに戻らなくてはいけなくなる。それまでには何か対策を練らなくては。

 とりあえず重い荷物を持ったまま、待ち惚けている白夜さんのもとへ向かおう。

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