第2話
すったもんだの末、ようやく勝負が始まる。
「ボールをくれないか」
「ほれ」
少年からボールを受け取り、ゴール下に歩み寄る。
ちなみにドリブルはしない。話が長引き、雪が溶けたせいで地面が濡れているのだ。ドリブル出来ない分、少しリズムが掴みにくい。
それにしても勝つのが当たり前のゲームも嫌なものだな。
スリーポイントの成功率は、どんなに上手い人でも4~5割程度(あくまで試合のだが)。
すぐに決着はつくだろう。
私はシュートモーションに入った。
左手から離れたボールはボードに当たった後、リングに吸い込まれていった。地面に落ちる前にボールを受け止める。
――一本目成功――
「次はキミの番だ」
私はフリースローラインに立っている少年にボールを投げ渡した。
ボールを受け取った少年はスリーポイントラインまで離れていく。
リングに向かって振り向き、深呼吸をした後シュートモーションに入る。
洗練されていないフォームで放たれたボールがリングに向かっていく。
――ズボッ――
…………酷く耳障りの悪い音を放ち、リングからボールが落ちてきた。
イラッとしたと同時に、意地でもバスケのイロハを教えたくなってきた。
私は二本目を当たり前のように入れ、少年の二本目。
…………またしてもリングにぶち込まれた。あぁ、耳が痒い。
しかし外さなかったか。だが幸運もそうは続くまい。
雪もパラついてきたし、次で最後だ。
――ここから私の思いとは裏腹に、勝負はかなり長引くものとなる。
……今……何本目だ?
……腕が重い……体が鉛のようだ。何より寒いを通り越して眠くなってきた……。
――だがまだ終わらない――
「くっ……」
私の両手から放たれたボールがボードに当たる。
弾んだボールはリング上をクルッと回り、その後リング内に落ちていった。
「……ふぅふぅ……。はぁ……」
今のは肝を冷やしたな。いや寒いからではなく……。
ホッとし視線を落とした私の頭上で、もはや聞き慣れてしまった音が響く。
――ズボッ――
…………マジか~~。こんにゃろう全然外しやがらねぇ……。
落ちてきたボールを取り、少年の方に振り返ると、妙ちくりんなフォロースルーのまま佇んでいた。
「……なぁ、もう終わりにしないか?」
私と視線が合った少年は、こちらに近づいてきながらそう言ってきた。
「はぁはぁ……どういうことだ?」
「いや雪が降ってきたし、空が暗くてリングが見えにくくなってきたし、引き分けにしないか? もう十分だろ?」
確かにその通りだが、それではダサい両手打ちに切り替えてまで勝ちにいった、私の気が収まらん。
「ふぅふぅ……ダメだ、決着はつけるぞ!」
「つってもなぁ……」
「ふんっ!!」
私は少年が言い終わる前にシュートを放った。もはやシュートというより放り投げに近いが……。
何とかボールはリングに収まり、事無きを得た。
「はぁはぁ……キミの番だ……」
私は少年にボールを投げ渡……す事無く、両手で持って彼に差し出す。
「すまないが取りに来てくれないか?」
もう投げる体力は無いのだ。腕がプルプル震えているし、さっきの放り投げでもう限界である。
少年は呆れたようなため息をつきながら、ボールを取りにこちらに向かってくる。
私からボールを受け取った瞬間、少年は慈しむような視線を私に向けてきた。
ボールを持ったままスリーポイントラインに向かう少年。
ライン上に立つとリングに振り返り、深呼吸をする。
二度ボールを地面に叩き付けた後、珍妙なシュートモーションに入り、ボールを放つ。
――ガンッ――
今までと違い、ボールはリングに当たり、宙に舞っていた。
――長い長い勝負だった……が――
「……私の勝ちだ……少年……」
そう言うと私は気が抜け、意識は遠のいていった――
「…………お~い……おいって……アンタ、大丈夫か!?」
……誰かが私を揺り起こしている……?
何なのだ、せっかく久し振りに気持ちよく眠れていたのに……。
目を開けると、心配そうに私を見る、名も知らぬ男の顔があった。
「まさか…………事後か?」
これは野獣の目の前で寝てしまった私が悪い。
「そんな訳ねぇだろ!?」
名も無き男は必死に訴えてきている。
「はぁ……アンタ、そこまでして遊び相手が欲しかったのか?」
私は別に遊んで欲しかった訳では無いのだが、説明するのが面倒だ。そういう事にしておくか。
「そうだな、名も無き少年」
「名前ぐらいあるわ!
霧原白夜……さん、か。
「ふむ、私は
「ちょっと待った。いきなり呼び捨てかよ!」
これからコーチをするのだし、名前は呼び捨てで構わんだろう。それに、
「同じ一年生なのだから問題あるまい」
「いや一年ってアンタは小学校のだろ……? あれ、一年? その身長で? ホントに?」
私の身長は既に140ぐらいあるからな。驚くのも無理あるまい。ちょっとした優越感だ。
「そんなしょうもない嘘をついてどうする?」
「……もしかしてそのせいでイジメに遭ってたりするのか? それで友達が……」
何か変な勘違いが始まったぞ。さっき説明を省いたのがマズかったか。ここはちゃんと否定しておこう。私のイメージが悪くなる。
「むしろ逆だな」
「イジメてるのか? やめろよ、カッコ悪い!」
白夜さんは私を汚物でも見るような目で睨んできた。勘違いも甚だしい。とっとと話題を変える事にしよう。
「ああ、説明が悪かった。心配しなくてもいい、イジメなどしない。それより話の続きだが、さっさと退部届けを握りしめ、泣きながら顧問のおばはんの眼前に叩きつけてこい! 何なら私も付いてってやろうか?」
「付いて来なくていい! てか何で泣きながらなんだよ、顧問の性別も換わってるし! なぁ退部届けは明日でいいだろ? まだ書けてないし、何より服が濡れて寒いんだよ。もう帰ろうぜ!」
言われてみれば私の服も濡れてベチョベチョだな。
ただ私は帰りたくないんだよな。上手く白夜さんの家に転がり込めないだろうか。
「本当に明日、退部届けを出すつもりか? 何より明日の放課後ちゃんとここに来るのか? もう近づかないつもりではないのか?」
白夜さんがビクッとした後、私からゆっくりと視線を外した。……図星か。だがこれでやりやすくなったぞ。
「……先程キミがワザと負けてくれたのは知っているが、約束は約束だ。よし、退部届けを出すのを見届ける為、今日はキミの家に泊めてくれ」
「アンタ気付いて……? 最後何て言った? 家に泊めろって?」
シュート前にボールが水で滑るように、バウンドさせていたからな。あれは気付かない方がおかしい。
「ああ、これからずっとな!!」
「今明らかに悪化させただろ!? はぁ、今日一日ぐらいは構わない、か……」
かなり葛藤していたが、何とかなりそうだ。
白夜さんが心変わりする前に、ここは早めに行動へ移すべきだな。
「よっし、では早速出発しよう」
私は自分の鞄を拾って持ち上げようとした瞬間、
「ひぎぃっ!?」
腕に激痛が走った。えっ、何だこれ?
「おい、アンタ大丈夫か?」
自分の荷物を取りに行っていた白夜さんが、私に駆け寄ってきた。
「な、何でもな……くぅっ……」
私は白夜さんに心配かけさせまいと再び鞄を持ち上げようとするが、腕がプルプルするだけで一向に上がる気配がない。何より痛い。
「なぁ、アンタの腕……筋肉痛なんじゃねぇか?」
そういえば、最近バスケしていないしな。体が鈍っていたのか。
「しょうがない、アンタの鞄はオレが持つよ」
そう言って白夜さんは私の鞄を持ち上げる。
……そうだ!
「白夜さん!」
白夜さんは私の声にビックリして私に振り返ってきた。
「いまさら、さん付け? 何、触っちゃマズかった?」
「いえ、そうではなく……、ついでなんで私の事おぶって下さい!」
「……口調が……? ついでって何だよ……。……まぁ、いいか」
私は言質を取ると、すぐさま白夜さんの背中に飛び移った。
「っ痛て! アンタ急に飛び乗んなよ!! …………見た目に反して軽いな……」
「そんな分かりきった独り言を呟いてないで、さっさと私を連れ去ってくれ!」
「……人聞き悪ぃなぁ、もう……」
しばらく白夜さんの背中で揺られていると、再び眠気が襲ってきた。
うつらうつらしていると、不意に彼が声を掛けてきた。
「着いたぞ」
私は寝惚け眼をこすりながらゆっくり目を開けると、そこにはボロっちいアパートが今にも崩れそうに建っていた。
おいおい、こんな所に泊まると体が痒くなりそうなんだが。判断早まったかもしれん。
しかしいまさらやっぱり帰るとも言えないし、泊めてもらう以上は取りあえず何かしら褒めておくか……。
「……なかなか情緒のある建物だな。ある意味素晴らしい……」
「無理に褒めなくていい! ここビックリするほど家賃が安かったんだよ……」
いくら安いといっても家族で住むのにここは……。ふむ、出来るだけ白夜さんが気分を害さないように聞いてみるか。
「つかぬ事を伺いますが、貴方様のおウチは貧乏なのですか?」
「どんだけ綺麗な敬語で尋ねてくるんだよ、逆に失礼だぞ。……ここにはオレ一人で住んでいる」
「なるほど、それで私を連れ込もうとしてるんですね。分かります!」
「よし、アンタもう帰れ!!」
そう言って白夜さんは私を背中から下ろした。
いかんいかん。白夜さんが一人暮らしだというのに舞い上がってしまって、いらん事を言ってしまった。一応これでも道中に、彼の家族への挨拶を考えていたのだ。
ただこれで腹は決まった。これからしばらくここに住みつこう。
取りあえず今すぐ帰されそうなのを何とかしなければ。なあに、中に入ってしまえばこっちのもんだ。
「帰る前にいいか?」
「何だ、どうした?」
「いやちょっと寒気がな……」
これは本当だ。さっきまでは白夜さんの背中に引っ付いていた分、まるで寒さを感じていなかった。
「ああ、体冷えちゃったか」
これには白夜さんも心配そうだ。
「早く帰ってお風呂に入りたいのは山々だが、私の住む場所はここからかなり歩くのだ。このオンボロアパートの風呂を貸してくれないか?」
「やっぱボロいと思ってたんだな……。それよりそんな遠いのか?」
遠いどころかここからだと道が分からないぞ。
「そうだ。風呂を借りてやる! ありがたく思え!!」
「なんで偉そうに言い直したんだよ!? そういやアンタ着替えは持ってんのか?」
「当然だ。こうした不測の事態に対応出来るよう常に持っている。キミと一緒にしないでくれ!」
「何でオレ今バカにされたんだ!?」
「う~、寒い……。凍えそうだ……」
私は身体を両腕で抱きしめるようにして、震えてみせる。
「あーもうわぁーったよ、んじゃまぁ入ってくれ」
「おっじゃましま~す♪」
「めちゃくちゃ元気じゃねぇか!?」
見事白夜さんをねじ伏せた私は、悠然とアパートの中に入っていった。
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