第5話

 それにしても外にきたのは失敗だったな。帰されそうになるわ、せっかくお風呂で暖めた身体がまた冷えてきてしまった。


「白夜さん!」


 ビクッと肩を震わせ、恐る恐る私の方に顔を向ける白夜さん。


「……さっきのはその……」


 私を玲央奈さんに連れて行かせる目論見が外れ、バツが悪そうに頭を掻く白夜さんにあることを告げた。


「その事はもう水に流すので、あの~……」


「?」


「……トイレ……」


「えっ!?」


 ……情けない事に、身体が冷えるとどうしても近くなるのだ。



 トイレの後、玲央奈さんが持ってきたお弁当を二人で食べた。一人分を二人で分けたせいで量は少なかった。

 食べている最中、白夜さんは私が左利きだということを物珍しがっていた。

 聞くところによると、あの人はお嬢様なのに自分で作っているらしい。少し味付けは濃いし野菜も少なかったが、案外美味しかった。

 だが私の方が絶対上手く作れるという気持ちは拭えなかった。


「白夜、すまないが携帯電話を貸してくれないか?」


 食事後、一人暮らしのせいか固定電話が見当たらなかった為、白夜さんに電話を借りる事にした。


「ああ、家に電話するのか。使い方は分かるか?」


 白夜さんはそう言いつつ、電話を手渡してきた。スマートフォンというやつだな。持っていると少し腕が痛む。通話に支障は無いが……。


「うむ、お姉……姉が使っていたからな」


 またいらん事言ってしまった。疲れているせいか、あまり頭が回っていないようだ。


「お姉ちゃんいるのか?」


 当然のように白夜さんは食い付いてきたが、


「いや、それは今いいだろう……」


 とりあえず適当に流しておいた。この話をするにはまだちょっと早い。

 私の家庭事情はやや特殊で、白夜さんに電話の会話を聞かれたくなかった。

 寒くなるがまた外に出るか。


「ちょっと外に出るぞ」


「ん? ……ああ、そういう事か。オレが外に出るから、終わったら呼んでくれ」


 私にそう告げ、白夜さんは出て行った。案外聡い人だな。

 しっかし、気が重いな……はぁ。

 私は目を瞑り、深呼吸した後、意を決して発信ボタンを押した。


『もしもしもしもしっ!? 誰か知らないけど美宇ちゃんは!? 美宇ちゃんは見つかったの!?』


 コールすることなく、耳に飛び込んできたのがこのセリフである。


 ――私は一言も発する事なく通話を切った――


 ……マズイな、想像以上に大事になっているぞ。

 これは連絡が遅くなった私の責任だろう。しくじったな……。

 心底嫌だが、気持ちを落ち着かせ、再び発信ボタンを押した。


『アナタでしょ犯人は!? 美宇ちゃん返してさあ早く!! お金ならとっくに用意していたのに残念ね!! 見つけられっこないと思ってたんでしょ!? こっちは施設関係者を総動員して、公衆トイレで用を足していただけのおっちゃんやら、コンビニの前でう○こ座りしていた花の女子高生、警官の格好をしたコスプレイヤーに尋問して、居場所なんてすぐ特定してやるんだから!!』


 私が連れ去られた前提でもう行動に移したのか? 決めつけ感ハンパねぇ。おそらく誰も金銭要求などしておらんだろうに、一体いくら用意していたのだ? 金額も気になるが、それよりも最後の人、本職の方ではないのか。もしそうなら後々問題になりそうだな。とっとと止めさせないと。


「あの、霧原です。……あっ」


 思いっきり間違えた。くっそ、白夜さんめ(完全に八つ当たり)。


『名前なんてどうでもいいわ!! 今すぐ乗り込んでやるから覚悟なさい!! 公衆トイレのおっちゃんが黙ってないわよ!!』


 どこに乗り込むつもりなのだ? しかも全く無関係のおっちゃんを矢面に出すなよ。

 それよか身代金と交換ではないのか? 私が本当に誘拐されてた場合、犯人にドエライ事されそうだが。


「すみません、朝比奈です。朝比奈美宇です」


『美宇ちゃん!? 本人!? 本人なの!? 本人ならスリーサイズを言ってみて!! さん、はい♪』


 「さん、はい♪」ではないだろう。ドサクサに紛れて何を聞きだそうとしているのだ、全く……。


「本人ですよ……。連絡が遅くなりすみません。今日は親戚の家にお世話になるので、そっちに帰らないです」


『えっ、嘘でしょ……。だったら今隣にいる、公衆のおっちゃんはどうしたらいいの?』


 トイレを端折るなよ、誰だか分からなくなる。いや元々分からんが。そのおっちゃんこそ家に帰してやれ! 家族が心配しているぞ。

 その後、『明日は帰ってくるのよね? ね!?』としつこく聞いてくる施設の人を軽くあしらい、外で待っていた白夜さんに声をかけ、部屋に戻ってきてもらった。



 思った以上に腕が痛かった為、白夜さんに歯を磨いてもらった。人に歯を磨いてもらうというのは案外いいものだった。磨き終わってしまうと名残惜しさすら感じた。

 余韻に浸っていると、布団を敷き終わった白夜さんが独り言を呟いた。


「あ、布団一式しかねぇんだった……」


「何か問題あるのか?」


 一人暮らしで二式あっても、邪魔になるだけだから当然だろう。


「布団臭かったらゴメンな。一応休みの日に干してんだけど。じゃあオレはあっちで寝るから」


 白夜さんは入り口の方へ立ち去ろうとした。私は彼の腕を掴み、それを引き留めた。


「何故だ?」


「え? いやだってほら、恥ずかしいじゃねぇか……」


「何を気にしてるんだ、キミは……。どうせ裸をバッチリ見せ合った仲だ。一緒に寝れば良いだろう」


 さて、いまさらだがここで入浴時の告白をしよう。白夜さんは終始、私から目を逸らしていたから気付いていなかっただろうが、私は彼のある部分を凝視していた。どうなっているのか大変興味があったのだ。感想? プッ。


「別に見せ合ってねぇだろ。あれは不可抗力だ。……いいのか一緒でも」


 確かに一方的に私だけが見ていたな。お粗末様でした☆


「問題ないぞ」


 私は先に布団に潜り込み、白夜さんに入ってくるよう催促した。顔を上気させながら、彼は布団に入ってきた。おお、一気に暖かくなったな。


「寝る前に二つ三つ聞きたい事があるのだが、いいか?」


「いやどっちだよ……。……何だ?」


「ここの家賃は結局いくらなのだ?」


「えっ? そんなの聞きたいか?」


 私がここに住むようになれば、当然家賃は折半する事になる。白夜さんだけに払ってもらおうとは思っていない。先に聞いておかねば。


「……今は、払っていない」


「払っていない? やっぱり踏み倒しているのか?」


「やっぱりって何だ!? 人聞きの悪い事言うなっつうに! 最初は払ってたんだけど、大家さんが代わった時に、『今までもらい過ぎていたので、しばらく支払わなくていい』って通知がきたんだよ。今までもすっげぇ安かったんだけどな」


「変わった人もいるんだな」


「アンタが言うなよ……。あとの聞きたい事って何だ?」


 そうだ、家賃よりもこっちの方が重要なのだ。


「この事を考えているせいで、最近眠れないのだが……」


「……そこまで深刻な悩みなのか?」


 私は頷きつつ、重々しい雰囲気を出しながら語り出す。


「ああ、男同士のアレでも【祝☆卒業】となるのか? ぜひ、教えて欲しい!!」


「知らねぇよ!? てか考えた事ねぇし、これからも考えたくない……」


「くっ、【マエストロ】と呼ばれているキミですら分からないのか? 仕方ない、明日も全く同じ質問をするから、友達に聞くなり、ちゃんと答えを用意しておくようにな。宿題だぞ♪」


「【マエストロ】なんざ呼ばれた事ねぇよ!? そんなもん友達に聞けるか! なんスか、その罰ゲーム……」



 しばらく眠った後、不意に目覚めた私はある事を考えていた。


 ――トイレに行きたい――


 腕の具合を確かめるとまだ痛い。むしろ今がピークな気がする。

 腕が痛くなくても、暗くて怖い。まいったな、どうしよう?

 隣で眠っている彼を起こそうか? でもこの程度の理由で、人の安眠を妨げるのも気が引ける。


 仕方ない、我慢するか。朝になったら白夜さんを叩き起こそう。

 我慢するのはいいが、今何時だろう。私はあと何時間、我慢すればいいのだ?

 私がモゾモゾしていると、唐突に声を掛けられた。


「……美宇、どうした。眠れないのか?」


「おわっ!? ……び、白夜さん? 起きてたんですか!?」


 ビックリした~。もうちょっとで私のイメージが台無しになるところだった。危ねえ危ねえ。


「……いや、何となく目が覚めただけだよ。どうした? トイレか?」


「よく分かりましたね……。……えっち……」


「何でだよ!? ……そういう時は起こしてくれていいから」


「でも、折角の夢精中に蹴り起こすのは……」


「してねぇよ、バカか!! ほら、行くぞ」



 トイレで憂いを一掃し、布団に戻ったのだが、今度は寒気を感じた。人肌が恋しい。


「あの、白夜さん。もっと抱きしめてもらっていいですか?」


「触れてもいないんだが!?」


「もう、白夜さん。女心より複雑な、兵庫県民の心境を読んで下さいよ。こういう時は「悪かった」と言って、優しく抱きしめ体温で暖めるが正解です。さあ、張り切ってどうぞ♪」


「……ったく、寒いのならそう言え。奇をてらい過ぎて、訳分かんねぇよ……」


 言いつつ、私をふんわりと包み込むように抱きしめる白夜さん。おお、暖けぇ~。


「白夜さん。もうついでなんで頭を撫でて下さい。私が次に目覚めるまでずっと!」


「こっちが寝れねぇだろうがよ!! 寝るまでは撫でててやるから、早く寝ろ!」


 心地良さと安心感に包まれ、身体だけでなく心まで温かくなってきた。

 ここが私の居場所だと確信できた。こうなったら三日といわず、ずっとお世話になる事にしよう……。

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