第10話

「ねえねえ、びゃっ君、頼みたい事があるんだけど……」


 玲央奈さんは顔を赤らめて白夜さんに話しかけている。


「どうした?」


「びゃっ君はわたしが緊張しいなのは知っとるよね?」


 この人上がり症だったのか。それにしても何故関西弁で確認したのだ? 兵庫県民の私に対する挑戦だろうか。


「ああ、そうだったな……」


「それでね、その~……」


 施設長と対面する時、一緒に居て欲しいとかだろうか? それだと白夜さんには、もれなく去勢が待っているのだが……。


「びゃっ君の今穿いているパンツを貸して欲しい! いえ、むしろ頂戴!!」


「「はぁ!?」」


 何をぬかしているのだ、この人は!?

 そういえば、今朝この人はアパートで私と白夜さんの下着を強奪していたな。変態なのか?


「お嬢様! それではただの変態になってしまうッスから、あたしから説明をば」


 珍しくやる気を出してきたな、メイドさん。よっし、バスッと説明してくれ。


「お嬢様はちょっとイタいくらいの匂いフェチなんスよ。それで白夜様のパンツでエッロエロになって施設長を誘惑し、交渉を有利にしたいんス!」


「それ変態の上に淫乱なだけじゃねぇか!?」


「玲央奈さん、施設長は女性ですよ……」


 白夜さんは憤りながら、私は呆れ返りながら玲央奈さんを見た。


「ち、違うよ琉川さん! 違うの、信じて美宇ちゃん!!」


 だから何で私なのだ!?


「びゃっ君の匂いを嗅ぐと落ち着くのよ! えっちくなんか……ちょっとしかならないんだからね!! もうびゃっ君の、ばか……」


「何でオレが悪いみたくなってんだ!?」


 ――むっ?――


 ここで私に流れる兵庫県民の血がざわめき出した。ふむ、彼女の性癖は心底気色悪いが、あえて全力でこの淫乱変態天使に乗っかってみるか。


「白夜、キミが悪い」


「へっ?」


 私の突然の物言いに、ビックリした様子の白夜さん。


「キミが『必要以上に尻から垂れ流している豊潤なフェロモン』が、一人の女性を狂わせているのだ。責任を取るべきだ!」


「そんな訳ねぇだろ!?」


「ああすまない、数多くの男性だったな」


「そこじゃねぇよ!?」


「何であれ白夜の脱ぎたてパンティがあれば、そこの淫ら……彼女は落ち着くらしいのだ。さあ、男らしく脱ぎたまえ!」


「それむしろ人としてダメだろ!? マジで勘弁してくれ……」


 ちょっぴり涙目になりながら、自らの身体を両手で抱き締め、私に懇願する白夜さん。この姿はこう……。


「何か……そそるッスね……」


「びゃっ君……えっちい……」


 二人が私の気持ちを代弁していた。どうやら私達三人共、S寄りのようだな。彼は……取りあえず暫定ドMでいいか。


「分かった、こうしよう。パンツはいい、インナーを脱げ!」


「変わってねぇじゃん!?」


「……私は助け船を出したつもりだが?」


「……上でもいいって事か?」


 白夜さんは「それなら……」と言いながら、ゆっくりと上着を脱ぎ始めた。


「大丈夫、びゃっ君。わたし、見てないからね~」


 両手で目を押さえつつ語る玲央奈さん。もちろん当たり前のように指の間からシッポリ見ている。


「こんなおいしいシチュエーションになるのなら、カメラ持ってくれば良かった……」


 ボソボソッと小声で後悔しながらも、スマホのカメラ機能を起動させるメイドさん。アンタ、語尾のッスはどうした?

 ちなみに私は仁王立ちで、白夜さんの事をガン見している。昨日も見てたから飽きたんじゃないかって? あの時私は、彼の可愛いムスコと無言の面談中だったのだ。私での反応をじっくり見ていたのだが……。結果? 結果は……、


「この腑抜けが!!」


「いきなり何!?」


 白夜さんはTシャツ一枚になっていた。だがそこから進まず、モジモジしている。


「何をしている? 早くそれを脱がないか!」


「くっ……」


 彼は羞恥に悶えながらも、Tシャツを捲り上げる。


「はぁはぁ……だいじょうぶ……はぁはぁ……みてない……から……はぁはぁ……」


 もはや指の間どころか、手を双眼鏡の様にして、ネットリ見入る玲央奈さん。全く見ていないとはどの口がほざくのか。ああ上の口か。


「あたしのホントバカ……解像度が全然足りないじゃないの、もう……」


 私にしか聞こえないであろう、か細い声でスマホの解像度に文句を言うメイドさん。シャッター音が鳴りまくっている。


「ほら……これでいいのか?」


 白夜さんは私に脱ぎたてほやほやTシャツを手渡してきた。玲央奈さんとメイドさんが私の近くに寄ってくる。


「なぁ……おい……」


 彼の声を無視し、私達はお互い生気を失った顔を見て頷きあった。そして……。


 ――すんすんすんすんすんすんすんすんすんすん――


 生肉に群がるゾンビがごとく、猛烈な勢いでTシャツの匂いを嗅ぎまくった。


「えっ、何やってんの!?」


 ――永遠とも思われる時間が経った頃、私達はツラそうな顔で白夜さんに振り返った――


「びゃっ君…………」


「白夜様…………」


「白夜…………まだ匂いが染みついていないから、もう一度コレを着てちょっと走ってこい!」


「アンタら鼻血を流しながら何ぬかしてやがる!?」



 花も恥じらう乙女三人が、鼻にティッシュを詰め込むというシュールな状態で、車は施設に向かっていた。

 白夜さんは私の隣、後部座席の端っこで、【好きでもない男に掘られたのに感じてしまった自分を恥じらうかのごとき表情】で、流れゆく景色を眺めていた。


「……美宇、今変な事を考えていただろう?」


 ん? 白夜さんめ、私の心が読めるようになったのか……あれ? いい傾向ではないか。


「何故そう思う?」


「窓ガラスに反射したアンタの顔が半笑いだったから」


 何だそういう事か。いかんいかん、しっかりせねば。私のイメージが台無しになっちまうぜ。


「いや、先程のキミの様子を思い返してちょっと、な……」


「……もう忘れてくれ……」


 私達のやりとりを聞いていたのか、助手席に座っている玲央奈さんが振り返ってきた。


「さっきはごめんね、びゃっ君……」


「申し訳ないッス、白夜様」


 二人共、恭しく謝っているな。私も謝りついでにフォローの一つ入れておくか。


「ちょっとばかり悪ノリがすぎた。すまなかったな、白夜。だが、素晴らしい乳首だったぞ!」


「はぁ!?」


 うむ、会心のフォローだ。流石私、白夜さんも元気になった。


「うん、綺麗なエンジェルピンクだったよね!」


「あたしはフェアリーピンクに見えたッス!」


「私にはチェリーピンクに見えたぞ?」


「「それだ!!」」


 この色こそ童貞の彼には相応しい。


「アンタら、人のちく……」


「あ、着いたッスよチェリー様♪」


「何でメイドさん嬉しそうなんスか!?」


「ただでさえキミのせいで予定より遅れているのだ! 早く降りないか、この非処女の童貞が!!」


「オレ誰にも掘られてねぇよ!?」


 生まれたての赤ん坊に聞かせたいくらい健やかな会話をしていると、施設にたどり着いた。白夜さんはやり切れない顔をしていたが、何でだろうな(すっとぼけ)。

 私と玲央奈さん、見送りの白夜さんが車から降り、門の前に並び立つ。


「じゃあ玲央奈、悪いけど頼んだぞ」


「うん、任せて。行こ、美宇ちゃん!」


 二人して白夜さんに詰めていたティッシュを押しつけ「ちょっ何でオレ!?」という切ない声を背に、施設内に悠然と入っていく。

 ちなみにワンピースだけでは明らかに寒そうだった玲央奈さんは、白夜さんの上着を借りてホクホク顔である。

 それなら白夜さんのTシャツを剥ぎ取らなくて良かったのではないか、というツッコミは無しの方向で。あの時は確か、彼自身がそういう雰囲気を醸し出していたのだから自業自得だろう(当時の記憶はやや曖昧だが)。

 そのTシャツは玲央奈さんのハンドバッグに真空パック詰めで入っている。


 入り口で靴を履き替えたところで、玲央奈さんは私の手を繋いできた。ふと見てみると、爪の手入れの行き届いた綺麗な手だ。少し震えているのが気になるが……。

 私達はまず事務所に向かい、施設長に着いた旨を伝えてもらった。本日交渉を行う事は、事前にメイドさんが連絡してくれている。施設長は三十分程手が離せないらしい。応接室で待っているよう言われ、玲央奈さんと共に向かった。

 そこそこ手広い応接室に入ると、玲央奈さんは上着を脱ぎ、ハンドバッグに顔を突っ込んだまま、白夜Tシャツの匂いを嗅ぎ始めました……。


「はぁぁぁ~~~…………落ち着くわぁぁぁ~~~♪」


 天使と見間違う程のスーパー美少女が、アレな表情で顔中からありとあらゆる汁を垂らしまくっている。はっきり言ってドン引きである。

 いくら緊張を紛らわす為とはいえ、このままでは施設長に会う前に私のライフがゼロになる。隣の淫獣とは打ち合わせておかなければいけない事もあるし、そろそろ正気に戻ってもらおうか。


「玲央奈さん、お楽しみのところすみません」


「はぁぁぁ~~~…………? あれ?」


「お楽しみのところよろしいでしょうか?」


「えっ? あ、うん……? あれれ……何でだろう、パンツが???」


 なるほど、垂らしていたのは顔だけじゃ無かったんですね! ……はぁ、この人一体何をしにここに来たのだか……。目的を見失ってもらっては困る。


「そのパンツは後で焼却処分するとして、私達は親戚という事になっていますので、そのつもりでお願いします」


 外泊の許可を得る時、確かそう言ったはずだ。


「焼却処分? 何故かちょっぴり濡れちゃってるだけなのに!? え~っと、親戚だっけ?まだその程度の関係なんだ、わたし達……」


 最後の方ボソボソ言っていたが、何だ? まあいい。さほど気にする事でもあるまい。

 しかし、打ち合わせといってもこの程度だな。この際だから、気になっていた事を聞いておこう。


「あの~、白夜さんのアパートの家具の事ですけど……」


「ああ、あれ? びゃっ君気に入ってくれてるのかな~?」


 やっぱりこの人だったか……。


「びゃっ君、全然感想を言ってくれないから困っちゃう。お礼だけは言ってくれるけど……」


 玲央奈さんはプンスカしているが、感想など言えないだろう。むしろ困っているのは、不相応なものをあてがわれた白夜さんの方だと思う。しかし、それにしても……。


「何故買ってあげたんですか?」


「……罪滅ぼしかな。わたしのせいでびゃっ君、小学校の頃友達作れなかったし……」

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