風まかせ(著者/木村凌和)

風まかせ

著者/木村凌和


疾風吹きすさぶ家族、十六年の疾走。


家と血から逃れ、風は世界のことわりを超えてゆく。


 タイトルのとおり、風が吹いている物語でした。渇いた、つよい風です。砂を海を街を吹き曝し駆け抜ける風は、読者であるわたしたちの身体もここではないどこかへ吹き飛ばします。風まかせ、その場のなりゆきに任せて行動すること。

 なりゆきや時勢の正体とはなんでしょう。誰かの思惑や、風習、偶然の積み重ねでしょうか。血縁による因縁やしがらみは、多くの場合みずから望んで背負うものではないでしょう。なりゆきとは、抗うことのできない風のように思えます。けれど雑踏を構成する足音のひとつが自分の靴音であるように、おそれる血脈も正体不明の風も自分自身の一部であるのかもしれない——そんなことを思いました。

 本作は、中・短編により構成された十六年間の物語と、年月のあいだを吹き渡る掌編群からなる作品です。少女と少年が娘を授かり、家族になる。けれど彼らを取り巻く環境は殺伐としていて、互いを思いあうだけでは一緒にいられない。思いそのものも、よじれ、とぎれ、それぞれが人生を御することのできないまま、年月は重なってゆき……。吹き荒れる風がままならず、ヒリヒリとした手ざわりの現代ファンタジー作品です。

 主人公・白伊颯(さつ)は名家の生まれ。白伊家に仕える瑠璃家の青年・流風(るか)と身分違いの恋をし、子どもを産みます。白伊家は現代の日本にあって、「正気とは思えない"名家"」。計画された「交配」をおこなう閉鎖的なしきたりで、瑠璃家を使って暗殺までおこなう——歪んだ家系のなかで育ち、颯も流風も、家族や愛情を知らずに育ちます。

 出産当時、颯は16歳、流風は17歳。まだ少女・少年といってよい年齢です。互いに家のしがらみから逃れたくて家出し、若さゆえの衝動で子どもをもうけたように見えます。ふたりの名前からとって、娘は嵐と名付けられます。

 三人が一緒にいられたのはほんのわずかな時間。交配計画から逃れるため、颯は、流風と幼い嵐とは離れ離れになってしまいます。互いに家を出て逃亡生活を過ごしますが、会えないまま。やがて流風と嵐は生き延びるために日本を出、別の世界へ越境します。竜が空を飛び魔法のある、ここではないどこかです。颯はふたりと再会することができるのか、そもそも再会したいのか——。

 何をもって、ひととひとは家族になるのだろう。離れていても、会えなくても、捨てても、捨てられても、家族であるといえるのか。烈烈とした語り口の物語が訴えかける命題が、胸に突き刺さります。

 私が本作でとても興味をひかれ、そしておそろしく感じたのは、白伊家・瑠璃家の交配計画をおこなう中心人物、いわば悪の根源は物語にすがたをあらわさないところです。

 いや悪役と呼べるキャラクターはいます、交配計画を利用し出世しようとする榊麻耶がそうでしょう。けれどあくまで彼女はしきたりに乗っかっているだけ。また交配にかかわる医者・朱伊皐月も登場しますが、彼も白伊の人間でこそあれ中心ではありません(颯の恋人として登場します)。また白伊家、瑠璃家の思惑のなかで暗躍する瑠璃夏子葉も一筋縄ではいかない人物ですが、彼女の動機は颯たちへの愛憎で、家のしきたりそのものを推し進めたいわけではないでしょう。

 颯・流風・嵐を追う、憎むべきしきたりの「顔」は見えません。しばしば拳銃で対峙する相手はあくまで末端です。

 颯も流風も、家のしきたりに振り回されど、かれらの心は家そのものからは離れています。家の制度を憎み、出て行くものとして思いは固まっており、そこに葛藤はありません。それでも離れ離れになってしまうのは、家のしきたり・血のしがらみにより生まれた周辺人物の思惑や期待で、まさに「なりゆき」の風でしょう。登場するひとたちはみな、中心になって家を動かしたり賛美したりはしませんが、倒すことはできないし、しない。なりゆきの風は、雰囲気であり空気であり呪詛で、とらえどころがありません。すがたの見えない何か。そこが現代的なえがきかたで、とても面白く読みました。

 颯たちは(読者に)見えない何かに翻弄され、逃げ回ります。悪を倒すことはあたわず、生きるために別の世界へ向かいます。通信や越境そのものはすんなりとおこなわれ、家族の再会を阻む最大の障害は家の制度よりむしろ、ままならない三人の気持ちであるように思えました。かれらはとても不器用に、互いを思い合います。

 颯のキャラクターが魅力的です。美しく強い肉体。男まさりな口調で名前の通り颯爽とした女性ですが、心のうちはとてもナイーブ。よるべなさを鎧うように強くあらねばならなかったというような人物です。彼女は名家のお姫様という立場から連想される女性ではありません。流風の弟・翼とともに家を出、瑠璃一族の助けを得つつ会社勤めをしながらアンダーグラウンドな仕事に身を投じてゆきます。銃を握り、自宅のマンションは荒れ、目的のためによその男に身体を預けることも。

 そもそもの流風との関係もあまり良いものとは言い難い。颯は、自分は「独占欲と嫉妬」から子どもを産んだのではと振り返ります。流風・嵐と離れているあいだは流風の妹・夏子葉と関係し、その後の長い逃亡生活のなかではべつの恋人もできます。医者の朱伊皐月は、流風よりも優しく、「まっとうな恋人」(流風自身も、「夜のあれこれを教えなければならなかったから、寝ただけ」と述懐しています)。

 自分は母親といえるのか、誰を愛しているのか、どうしたらいいのか。ままならない気持ちを抱えて、流風と嵐に会いに行くことができずにいる颯。嵐の誕生日には毎年ケーキを買い、チラシのベビー服を眺めては記憶の中の嵐に着せてみる…。世界の境界を超えてからも、嫌われていたらどうしようと足踏み。強さと美しさで覆い隠したさみしさが、痛々しく、人間らしいキャラクターです。

 そういったなか、娘・嵐と、嵐の叔父である翼、ふたりのやりとりは清涼剤です。翼は流風の弟ですが、流風のことを好ましく思っておらず、颯の弟を名乗っています。颯と一緒に家を出て暮らしています。

 颯は、流風・嵐にずっと会えません。が、翼があいだに立ち、逃亡の手助けをします。娘の嵐は、環、イオレと名前をかえて成長してゆきます。嵐(このときは環)が7歳のとき、翼は高校生。ばらばらの家族の緩衝材のような少年です。

 嵐(環)がシロツメクサの花冠を作るのにつきあってあげ、銃を向けられた際は少年ながら必死で守ります。一緒に砂丘を駆け、笑いあう。流風に託された嵐のアルバムを、颯に渡してあげる……。

 交配により家族構成がぐちゃぐちゃで人間関係も歪むなか、翼が三人のあいだに立ってあげていることは、ちいさな奇跡のように思えます。血の繋がらない颯を姉と呼び、生活の助けをし、颯にべつの恋人ができた際は弟として腹を立てる。実兄・流風のことは好きではない、それでもコミュニケーションは成立し、立派に流風と嵐の手助けをする。嵐のアルバムをみて、喜ぶ。

 血の繋がりの有無も、愛憎も、一緒にいる時間の長短も、家族の必須要件ではないのかもしれません。心のうちでそう思い合うならば、家族といえるのではないか。翼によって示され、その後、世界の境界をこえて「家」から離れる三人を見ていて、そう思いました。

 本作の表紙は風見鶏です。鶏の向く方向によって風向きを知ることができますが、雄鶏を形どることが多い。警戒心の強い雄鳥の習性から魔除けの意味もあるそうです。そうしてみると、本作の男性、流風と翼の風向きを眺める姿に注目したくなります。嵐とともに日本を出、別の世界へと渡る流風。三人のあいだに立ち、感情をぶつける翼。なりゆきの風、さまざまな思惑や期待が若い家族を離れ離れにするなか、どうにか風のなかであがいている。

 かれらの行動をうけ、颯がどうするのか。颯は母親として嵐に会えるのか。流風とどう対面するのか。抗えない風とは、かれら自身の思いのよじれも含まれるのでしょう。風の吹き曝すに任せて走らされているようで、かれらはかれらの意思で、家族であろうとし、じっさい家族として駆けてきたのかもしれない。吹きすさぶ風は、それぞれが制御できないみずからの心ともいえるのでは——そんなふうに思いました。

 物語はサスペンスタッチで、スピード感あるアクションや魔法も登場しますが、あくまでかれらが悩み乗り越えようとするのは、自分たちの気持ちのこと。力点は家族のありように置かれています。烈しく切実な愛情の軌跡を見届けてほしいです。



作者さまおじコメント/メインは母親(主人公)と、父親と、その娘の話なのですが、娘の叔父にあたるキャラクターが登場します。主人公に非常に恩を感じていて、姉と慕っている男子高校生です。彼は、上記父親の血の繋がった弟でもあるのですが、嫌いなので、母親の弟を名乗っています。姪の危機に、父親の弟ではなく母親の弟として助けに行き、つかの間のふれあいがあります。

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