泣草図譜文鳥編(著者/うさうらら)

泣草図譜文鳥編

著者/うさうらら


におわせる、においたつ。


少年の目で眺めた従兄とその家族。


 図譜とは、図や写真を集録・分類し、説明をほどこした書物をいいます。図鑑のやや古めかしい言い方でしょうか。「9種類の草花を詠んだ短歌と物語のシリーズ」とのこと。季節のくさばなを集めて、そこからたちのぼるうた、流れてゆく物語。

 挿絵ということばでは言い表せないように思えます。うさうららさんの作品は、文章と絵と、どちらかがどちらかの引き立て役ということではなく、絡まり合って物語をつくっているようで…。やわらかな和紙に刷られたうつくしい絵(色がとてもきれいです……!)と、流れるようなことばが、丁寧な和綴じでつづられた一冊。めくり、読み、眺め、物語と溶け合う読書体験でした。

 親戚の家にひとりで遊びに行くのは、子どもにとってワクワクする体験でしょう。ひとりで電車を乗り継いで、着替えやおみやげをリュックに詰めたりなんかして。子どものひとり旅はなかなかゆるしてもらえないものですから、親戚の家に行く、というのはいい口実だったりもして。そうして親しいつきあいがあっても、やはり「よそのうち」。ふだんの生活とは異なる場所はドキドキするものです。つまり、ちょっとした冒険。

 そして、いとこ(またはおじ・おばなど)のちょっと歳上のおにいさん・おねえさんに会えるのは、なんだかいい時間です。きょうだいや学校の友だちとはちがう距離感。大人の世界を垣間見たり、知らないことを教えてもらったり。もしかしたら、淡い恋のような感情を抱くこともあるかもしれない……。

 子どもが両手両足を伸ばして小さな旅に出る。日常から外に出る。ささやかではありますが、かれらは「異界」を覗くのでしょう。

 本作は、少年が春休みにいとこの家を訪ねるお話です。舞台は福井県小浜。北陸アンソロ掲載作「海柘榴」との関連作です。「海柘榴」の語り手・徹と、いとこのおにいさん・勝。「海柘榴」ではすでに大人になっている徹ですが、「泣草図譜 文鳥編」は、かれらふたりの少年時代の物語です。

 徹は小学生。分厚い時刻表をおともに、東京からひとりで電車に乗って小浜へやってきます。いとこの家は呉服屋をやっていて、春は忙しい時期。遊びに来た徹は夏に両親と訪れたときとのちがいを感じますが、違和感はそれだけではありません。いとこの勝は中学生で、遊びに来たのに出迎えてはくれず部屋にこもりきり。顔を合わせてもよそよそしく、伯父や伯母のようすもなんだかちがって…。

 徹の目線で眺めた、いとこの勝と家族のこと。短い滞在のなかでそっとふれあう心が、春の空気のなかでゆらめいているように思えました。花や潮のにおいたつ春です。

 子どもの視点でえがかれた物語の魅力の一つに、見知った世界をちがった角度で「発見」することが挙げられます。本作のふとした描写にハッとします。徹の子どもゆえの気づきと、子どもだから理解がおいつかない点(読者はなんとなく察することができるのが絶妙です)とがあちこちに織り込まれていて、物語は流れ、立ち止まり、たゆたう。浜辺に寄せては返す波のようです。徹と一緒に異界を訪ね、ささやかな驚きやドキドキを感じるということ。

『夏なら午前中に宿題をするとか午後は浜へ泳ぎに行くとかなにかしらやることがあったのに春は特段することがない。』

『小学生の徹にはまだわからない言葉を遠慮なく使う勝の気の置けない態度が徹はむしろ嬉しい。』

 小学生の徹がみたもの、ふれたもの、感じたこと、みずみずしいそれぞれを追体験するような手触りです。

 簡潔な文章と、思いや関係性をにおわせる絵、短歌とのバランスがとても好きです。たとえば横綴じのページ見開きでざわざわと押し寄せる波に、人物の不安や時間の不可逆、抗えない運命のようなものを感じます。そして物語のはじめに置かれた短歌、『口にしただけで春めくハルジョオン 君の名前のかわりに呟く』で、徹が勝をどのように思っているのか、現在の距離感などが伝わってきます。

 また、小道具やせりふが洒落ていて、ニヤリとしたり、ドキッとしたり。個人的には、つぶれたスナックからもらってきたアイスペールをヒヤシンスの球根を育てるバケツがわりに使う…という箇所がとても好きです。ディテールがこまかいのにわざとらしさがなくて、どこかの風景を覗き見しているようです。ここの絵、勝の表情がなんともいえずドキっとして……。きっと、徹がみた勝の顔なのだなあと思いました。

 におわせるということ。ことばと絵とうたと、それぞれ説明しすぎないのが粋だと思います。読者に噛み砕きと想像の余地を残してくださっていて、だからこそ、物語の中へすっと入っていけるのだなあと思います。いや、いつのまにか物語のなかに「いる」「包まれている」といいましょうか。行ったことはないはずの小浜の風景の中に、たしかに私も立ち、風やにおいを感じたのです。徹の目で耳で手で、勝とことばを交わし、春の空気を胸いっぱいに吸い込んだようでした。 

 本作の伯父は、釣りとスナック通いばかりのおじさん。徹にとっては優しくて気さくな伯父さんです。甥の徹と、息子の勝と、それぞれの立場によりみえかたは異なるでしょう。そしてまた勝のことも、母親や父親(徹の伯母・伯父)と、徹が見て感じたことはことなる。ひとの姿もまた、花や波のように咲き/揺れ、相対的なものだろうと思います。だからこそ、いとしく思ったり焦がれたりするのかもしれません。そう、ここでもまた、ひとがひとを愛する(ということばはいささかおおげさかもしれません、心がふれあい、ざわめく)ときのにおいや手ざわりを、少年のこころで「発見」したのでした。

 本作に「図譜」という題が与えられていることが興味深いです。わたしたち読者は、物語をめくりシーンや人物を眺めて、こころのふるえを蒐集しているのかもしれません。



作者さまおじコメント/春の小浜は花がつぎつぎと咲いて綺麗だ。でも勝くんが言うには伯父の頭ん中は年中お花畑なんだって。今日もきっといまごろは店番をサボって釣りに行ってるってほんとかなあ。

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