誰がために春は来る(著者/藍間真珠)

誰がために春は来る

著者/藍間真珠


自分のため、は難しい。

異世界でえがかれる等身大の恋、踏み出す一歩。


 ここではない、どこか。異世界ファンタジー作品です。『宮殿』で暮らすひとびとはみな、何らかの事情があって元いた土地から逃れて来た人たち。技使いと呼ばれる能力者たちは、それぞれ炎を生み出したり土を掘り返したり空を飛んだりなど、様々なことを可能とする力を持っていて、宮殿での仕事に役立てています。主人公・ありかも技使い。補助系の使い手で戦闘には不向きですが、結界を張ることが得意。

 ある日ありかは、『外』から新しく宮殿へ移住してきた青年・乱雲の教育係に任命されます。試験に合格しないと正式な移住を認められないため、規則や施設の仕組みを教えつつ試験勉強をみてあげる役割です。ありかは18歳、乱雲は20歳をすぎた男性。本来なら移住者より歳上の者が教育係を担うのですが、人手不足によりありかに任されたのでした。困惑するありかですが、心に傷を抱えた乱雲と少しずつ距離を縮めてゆき……。

 別の世界のお話ではありますが、登場人物たちの心の動きは、現代社会で恋や仕事に悩むわたしたちそのもの。等身大のラブストーリーと捉えました。

 物語の出だしから、ありかが呼び出されるのは「総事務局」。何の用事だろうと心当たりのないありかが考えるのは「給料の金額訂正……とか」とまるで会社。そう、 『宮殿』はわたしたちのよく知る会社組織そのものなのです。さまざまな人たちが忙しく動き回っていて、見た目には殺風景で、「上からの命令は絶対」、どこか窮屈な場所。

 そんななかで出会ったありかと乱雲、ふたりの恋の物語はさながら職場恋愛のように思えました。

 こういうたとえ話や読み替えは正道ではないかもしれませんが、思わず「中途入社の乱雲さんをOJTしている若手OLありかさん。やがてお付き合いを始めるけれど、社内のみんなには内緒。そろそろ結婚? でもありかのお母さんの体調がすぐれないし…。足踏みしているうちに乱雲さんが遠方へ転勤?!」というふうにありかたちの恋のゆくえを追ってしまいました(さしずめ、乱雲は営業、ありかは内勤でしょうか)。社内恋愛を覗き見るような気持ちでドキドキハラハラします。

 『外回りの仕事はよくメンバーが入れ替わるため、彼には親しい友人が数人しかいない。だから彼が心を許せる場所は少なかった。

 いや、宮殿に住む者は誰でもそうだろう。誰もが競争相手になりうる中で、多くの者に心を許すことは危険だった。彼女だって同年代ではあまり親しい者がいない。だから彼と共にいる時間が、何より大切だった。』

 ファンタジーの世界で展開されるドラマですが、わたしたちの生活の中でも思い当たるなあという感覚や環境で、物語にすっと入ってゆけます。

 気持ちの流れが丁寧に語られていて、ありかと一緒にドキドキしたり迷ったり、すっかり感情移入して読みました。

 ありかも乱雲も、ふたりともあまり押し出しが強くなくて、お互いを思い合っていて……。それゆえ、すれちがったり遠慮しあったりしてしまう。気持ちが通じ合ったあとのほうが悩みが多いのは、ふたりが周囲や仕事のことに気を配りながら生きているからでしょう。ふたりは恋におぼれはしません。いや、できないのでしょう。組織や家族での立ち位置、すべきことがいつも念頭にあり、社会での役割を果たしながら生きている。そうあらねばならないと感じている……。周りのことなんか考えずに気持ちのまま飛び込んでしまえばいいのに! と思わず歯がゆくなってしまうほど。

 後半の展開はあまりしゃべってしまうと野暮なので詳しくは書きませんが、ありかはふたつにひとつの選択を迫られます。第二章第七話に「望まれぬ存在」という題がついていることが、心にずしんときました。また、この回でシイカについて「シイカには逆らえない。それはここにはびこる暗黙の了解のように、小さな頃から体に染みついていた。」と語られていることも唸ります。母と子の関係。ありかにとってシイカはどういう存在なのだろうかと考えます。

 また、宮殿の組織も冷たいようで、ひとりひとりはとてもあたたかみがあります。ミケルダもリョーダもとても優しい人物。

 親子関係も組織も、とてもリアルだなあと感じました。直接やりとりする相手は誰も悪人ではなく、悪意もないのに、なぜだか窮屈に感じられたり素直に生きられなかったりすること。わかりやすい敵味方はありません。それぞれが自分の立場を懸命に生ききっていて、それでも、うまくいくこともそうでないこともある。

 社会生活を営む以上、よくもわるくも、「わたし」は「わたし」というだけではいられないなあと思います。「わたし」は娘であり彼女であり会社組織の一員であり……さまざまな役割を担っています。自分というものは相対的で、気持ちに素直になることは困難です。

 そういったなかで、ありかの選んだ未来とは。彼女の答えは、正しい・正しくないでは結論づけにくいでしょう。ここは読んだ人によって、感じ方はいろいろだと思います。いずれにしても、ありかが精一杯ぶつかり出した答えで、自分の気持ちと向き合ったもの。ひとりの女性が成長し、歩みだした一歩です。その達成に、胸があつくなりました。 

 おじということでいえば、乱雲はもといた場所から、甥を残して宮殿へやってきています。兄夫婦の子ども・青葉。乱雲はかつて兄のパートナーに片思いをしていて、一緒にいるとふたりの関係を壊してしまうのではないかと逃げてきたのでした。宮殿で小さな男の子を見かけるたび、乱雲は青葉のことを思い出して心をいためます。ある日外回りの仕事で出かけた先で、青葉らしき少年を見かけて動揺してしまい……。

 このことを機に、ありかは乱雲の苦悩に寄り添い、ふたりの関係は深まっていきます。物語が進みありかと乱雲が恋人同士になると、乱雲はあまり青葉のことには囚われないように。家族とその周辺(=内を向いた人間関係)から、仕事を通じて得た恋人(=外へ向いた人間関係)へと、乱雲は変化してゆく。青年が恋をして、人生のパートナーを得て、大人になってゆく。そして物語の後半、青葉はありかに——ありかと乱雲に、あるプレゼントを与えてくれて……(と私は解釈しました)。めぐりあわせに、じんとなります。

 また青葉は、本作と世界観を共有する「white minds」で活躍します。時系列としては「white minds」はもっと先の話。ありかや乱雲の気持ちや願いが、次の世代に届いているといいなあと思いました。

 シリアスで切ないお話ですが、せりふややりとりがみずみずしく、またところどころで登場する脇キャラクターたちが和ませてくれます。恋をして、誰かを愛するようになって、自分を取り巻く他者と向かい合うこと。誰かのためを考えることは、自分の気持ちを見つめることと等しいのでしょう。懸命に生きるかれらみんなに、あたたかな春が来ますように。



作者さまおじコメント/兄夫婦のもとから逃げ出した乱雲は、置き去りにした甥のことを気にしながらも、宮殿の生活に馴染もうと奮闘し……。選択を迫られた不器用な者たちの物語です。

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