街にて赤灯る(著者/磯崎愛)

街にて赤灯る

著者/磯崎愛


「夢使い」の男は兄から伯父へうつろう。

ひそやかな呼吸で紡がれる、官能が崩れたあとの時間。


 蚕のつくる繭は、一本の糸です。始まりから終わりまで一本でつながっており、まるい繭には糸の端が隠れています。糸口を手繰り、撚りながら糸にまとめていくのは、蚕の呼吸をたどることのように思えます。一本の糸のなかに、太いところや細いところがあり、こぶが見つかることもあります。生き物の息は均一ではありません。

 「街にて赤灯る」の主人公・大桑糺は、夢使いであり養蚕教師。夢使いとは、夢を贖う——客の望む夢をみせることを生業とするひとのこと。夢は夜、寝床でみるものですから、客と一夜を共にすることもあり…。夢使いという職には性のにおいがただよいます(そしてそのことへの偏見や差別もあるとえがかれています)。また養蚕教師は、蚕農家に技術を指導してまわる仕事。いずれも相手のところへ赴く仕事であり、さすらう仕事でしょう。

 作者の磯崎愛さんは、夢使いについての小説をいくつも書かれています。それぞれの物語は紡ぎ出された糸であり呼吸であり、ひとつの繭から生まれたものと捉えられるかもしれません。さて本作は、ひそやかな息で紡がれた物語のように思えました。静かで、どこか死のにおいです。廃れていくもの、消えていくもの、すでになくなってしまったもの。試し読みと関連作のテキレボアンソロを読みましたが、散り、枯れてゆく花の官能を予感しました。続きがたいへん楽しみです…!

 本作はテキレボ新刊「百花王」の〝紅牡丹〟の物語(〝白牡丹〟はうさうららさんの作品です)。色気と死とがひと続きのように思えるのはなぜだろう。糸を手繰りつつ考えます。

 テキレボアンソロ「嘘」の作品、「あにといもうと」は、本作の前日譚です。「あに」が主人公の大桑糺。幼い頃、糺の妹となった幸恵。ふたりは血の繋がらないきょうだいで、互いにどこかきょうだい以上の感情を抱いている雰囲気です。子ども時代の糺と幸恵とのやりとり、糺の生い立ち、そして幸恵が嫁ぐ前夜のことが語られます。現在よりすこし前、昭和の物語です。

 さて、作品の冒頭に引かれた与謝野晶子の歌「おりたちてうつつなき身の牡丹見ぬそぞろや夜を蝶のねにこし」は、「庭に下り立って、ぼんやりと夢見心地で牡丹の花を見ていた夜。牡丹の花に蝶が共寝していた」といった意味合いの歌です。なんとも色っぽい。牡丹が幸恵、蝶が糺でしょうか。

 蝶は飛び回るものですが、糺もまた、あまり家に寄り付きません。夢使いの弟子入りを始めてからは師匠の家で過ごすことが多く、着るものはほとんど師匠のおさがりの着物。その後も遠くの大学に進学し、製紙工場に勤め、帰省もせずにいます。幸恵の結婚相手は、糺のひとつ歳上で糺とは古くから親しい友人である晃一。実家と距離を置いていた糺は、妹と友人が結婚するのを直前まで知らずにいました。

 糺と家族との距離感や、幸恵へ向ける思いが、なんとも読み手の心を軋ませる手ざわりです。久しぶりに帰ってきた実家の家は建て替えられていて、客間に布団を敷いて寝る……。かたちばかりの床の間、妹の踏んだ畳の縁。直接そうと書かれているわけではなく、折り重なるいくつもの情景やちょっとした人物の描写で、糺の抱える孤独やふたりの関係性が伺えるのが巧みであり粋だと感じました。生活の周辺からのぞくほのかな色気を感じる作品です。

 さて、それを踏まえた本作の試し読みです。時は流れ、大桑糺は四十半ば、中年の男になっています。物語は、大桑が晃一から受けた相談、娘の成人式に振袖を見立ててほしいという話題から始まります。晃一と幸恵の間の子ですから、大桑にとっては姪。

 大桑は夢使いと養蚕教師で生計を立てていますが、あまり芳しくない様子。いっぽう晃一は不動産業に就き、見た目も生活も貫禄がある。そして、幸恵はすでに亡くなっています。「十三回忌をしたのが何年前だろう。」——「あにといもうと」から長い年月が経っており、世の中は大きく変化しています。

 呉服屋の知人の勧めもあり、大桑は幸恵の振袖を広げてみることに。初めて大桑が眺めたそれは、大輪の赤い牡丹の柄で……。

 成人にあたり母親の振袖をあたってみること。仏壇に飾られた写真、死んでしまった犬。ディテールに昭和のにおい、時間の移ろいを感じる風景です。語り口もどこかふるい小説や映画を思わせます。

 わたしが本作をとても好きだなあと思うのは、そういったいろいろをことさらに懐かしみ讃美するわけではなく、ただそうであったと、少しずつ移ろってゆくことがあくまで静かに語られているところです。「妹と思ったことはなかった」妹の遺した牡丹の着物と向かい合い、大桑は何を思うのでしょう。「あにといもうと」で引用された与謝野晶子の歌は蝶と牡丹の歌ですが、「街にて赤灯る」の大桑は蝶というより、蚕の成虫としての蛾を思わせます。家畜として改良された蛾は、飛ぶことがあまり得意でない。 

 牡丹の花は、枯れることを「崩れる」と表現します。大きな花弁がばらばら落ちてゆくさまは、たしかに花自体がかたちを失って崩れ壊れていくように見えます。

 げんざい着物で生活するひとはまれで、養蚕は衰退産業、姪も甥も夢使いの血を引き継いでいない。本作でえがかれるいくつもは、崩れてゆく・崩れたものたちです。

 妹が亡くなったあとですから、大桑は兄ではなく、立場や役割は伯父。「あにといもうと」での湿度や官能はいくぶん息をひそめ、老いや死のにおいが漂います。色気と死とが連続したもの、表裏一体のもののように感じるのは、咲いた花はいずれ枯れることと似ているように思えました。

 ところで牡丹という花は、ふやすのが難しい花だそう。種をまいても親と同じものは咲かず、また種のできない品種もあります。試し読みでは姪の歩、甥の進は話題には出てきますが、登場はしていません。幸恵の子であるかれらがどのような人物で、どのように大桑と接するか興味深いです。

 なお、夢使いに関する磯崎さんの作品は、北陸アンソロジー「ホクリクマンダラ」でも読めます。アンソロジー掲載の「海柘榴」という作品はうさうららさんのコミックとのコラボ作品です。「海柘榴」では大桑が夢使いの仕事に小浜を訪れるシーンがえがかれます(語り手は客の青年)。また、この「海柘榴」の関連作、主人公と従兄の青年の物語が、「百花王」うさうららさんの作品、"白牡丹の物語"だそう。「百花王」と「海柘榴」、あわせて読みたい作品です。また、夢使いの仕事については、現在カクヨムで連載されている「夢のように、おりてくるもの」を読むといっそう世界が広がるように思います。

 繭からつむがれる糸が縦横に織りなす物語群は、生活に立脚しながら、官能的で幻想味を帯びています。

 本作の、物静かな息遣いに耳をすませるような読書体験は、なぜだかこっそりおすすめしたい佇まい。花びらをめくるように、秘密の手紙や贈り物のように眺めたく、ドキドキしています。



作者さまおじコメント/大桑糺(おおくわただし)はいつも着物、この時代に洋服を一枚も持っていない。職業は養蚕教師にして夢使い。ごくたまに夢だけでなく、色も売る。男にも、女にも。色白の二枚目半。靴は持っていないが靴下は履くことがある。

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