4.

 美穂とのカウンセリングを報告書にまとめ終えると、帰宅時間を過ぎていた。

 病院を出た辺りで、携帯電話が鳴る。見ると、先週会ったばかりの由香からだ。何か緊急の用事かと慌てて出たが、近くに来ているから夕食を一緒にどうかという誘いの電話だった。

 断る理由は無いので、早速駅前で落ち合って適当なレストランを選んだ。


「急にごめんね。もうさ、誰かに愚痴りたくてさ」

仕事帰りなのであろう由香は、地味なポロシャツにジャケットを羽織っていた。確か、中学校のスクールカウンセラーだったはずだから、派手におしゃれするわけにもいかないのだろう。

「僕は気楽な独り身だしね、友達からの誘いは嬉しいよ」

「そうなの? じゃあ雄一からも、気軽に誘ってよ」

「いや、忙しくて迷惑かなって考えたりすると、なかなか自分からは誘えないよね」

「相変わらず、受け身なんだから」


 院生の頃から、由香には説教めいたことを言われることが多かった。主に、優柔不断、受け身、自信が無さすぎ、といった内容のことだったが、悪意から来る糾弾ではないので、有り難く聞かせてもらっている。

 注文を済ませると、さぁ話し始めるぞという感じで由香が水を一口飲んだ。愚痴りたいというのは本当らしい。


「私がスクールカウンセラーやってる学校でさ、援助交際の未遂があったのよ」

「未遂?」

「そう。実際に相手と会う前に止めることが出来たの」

「それは良かったけど……中学校だったよね?」

頷いた由香を見て、僕は少し驚いていた。援助交際とは、大人とデートしてお金をもらうことだろう。デートどころか、セックスの対価としてお金をもらうこともあるようだ。女子高生にそういうことをする者がいるとは聞いていたが、中学生にもいようとは。


「三人で女の子が、出会い系サイトに書き込みをしていたんだけど、いざ合う段になって、その中の一人が怖気づいて姉に相談したらしいの。その姉が常識的で助かったわけなんだけど、親が学校に怒鳴り込んで来ちゃってさぁ。保護者同士も、罪のなすり付け合いしてるっていうか」

「それは大事だね。巻き込まれたくは無いなぁ」

「巻き込まれたのよっ!」

身を乗り出して眉間に皺を寄せた由香を見て、反射的に「すいません」と謝ってしまった。


「親も校長先生も、三人の子供達に、カウンセリングしろって言うのよ!」

鼻息も荒く言い放った姿からは、相当の怒りが感じられる。この様子では、下手な返しをすれば、僕までとばっちりをくらってしまいそうだ。

「カウンセリングか。するのも悪くはないだろうけど、求められているのは本来のカウンセリングとは違うんだろ?」

「その通り! 要は、叱って反省させて、二度と同じことを繰り返さないようにさせろってことよ。しかも、時間を掛けずにね」

「なるほどね……」


 由香の怒りの理由が解った。カウンセラーは教師ではないから、子供を叱りつけて「ごめんなさい、もうしません」と謝らせたりはしない。今回のことで言えば、援助交際を行おうとした理由、きっかけを聞き、何か問題が隠れてはいないかと探る必要がある。例えば、親子関係が上手くいっていなくて、常にストレスを抱えているとか、家庭に金銭的な余裕が無く、お小遣いが貰えていない可能性もあるだろう。


 隠れた問題が潜んでいるとしたら、それは簡単に聞き出せるものではない。ゆっくり話をしながら、本人にしっかりと問題の原因と向き合ってもらわなければならない。そういった過程を無視して、叱って反省させろと言われてしまっては、カウンセラーとしての存在意義を失ってしまう。


「私はね、まずは養護教員に保健体育的な指導をしてもらって、後は三人それぞれにカウンセリングをしていったらどうかって提案したんだけど。先生は忙しいし、そんな悠長なことはしていられないって言われちゃって。たまには役に立って下さいよ、だってさ。最悪!」

「うわぁ……」


 学校という組織の中で、由香は役立たずの部外者なのだろう。由香本人に能力が無いということではなく、そもそもカウンセラーなんてもんは、信用できないし役に立たないもんだと決めつけられて敬遠されているということだ。


「結局さ、知らない大人とセックスする危険性やら、レイプやら薬物投与やら、三人の女子中学生相手に講義したのよ、私。スクールカウンセラーの仕事じゃないって解ってるけど、ここで逆らって仕事を無くすのもね……悪い評判が立てば、再就職だって厳しいし」

「……そうだね。お疲れさま」

 組織の中で働いている以上、意に染まぬこともやらなければならないのは当然であろう。しかし、由香が憤慨しているのは、やりたくないことをやらされたせいではないのだ。


 子供相手に教師のように振る舞ってしまえば、子供からは当然、教師として認識されることになってしまう。そうなれば、教師に話せないことはカウンセラーにも話せないということになってしまい、スクールカウンセラーがいる意味が無くなってしまう。由香はそれを恐れているのだ。


 注文したパスタが運ばれて来ると、由香が溜め息を吐きながらフォークを手に取った。力を込めてイカを刺した様子を見ると、落ち込んではいないようだ。


「それで、三人の中で問題を抱えていそうな子はいるの?」

「一人いるわね。親と上手くいってないようだし、既に何人かとセックスの経験がありそうだった。三人とも、個別にカウンセリングはしていくつもり。色々打ち明けてもらうには時間がかかるだろうけど、諦めないわ」

「うん。それは良かった」


由香の大人の事情は、子供には関係の無いことだ。スクールカウンセラーには苦労が多いだろうが、子供達の為にも踏ん張って力を発揮してもらいたい。偉そうに思ってはみても、僕にはとても出来ない芸当だけれど。


「私は、嘆くだけでは終わらないからね!」

「おぉ、いいね。かっこいい」

拍手して見せると、「からかってるでしょ」と睨まれて、皿からエビを盗まれてしまった。

 ニンマリしながら僕のエビを食べる様子に、思わず笑みがこぼれてしまう。気安くて、いかにも仲良しと言う感じがして嬉しかった。


「臨床心理士、カウンセラーってものにプライド持つのは結構だけど、不当に扱われるって嘆きは何か違うと思うの。東日本大震災の時、一週間後の被災地に駆け付けた臨床心理士の友達がいたんだけどさ、帰って来てすごく嘆いていたのよ。ボランティアの肉体労働ばかりすることになっちゃって、被災者のカウンセリングが出来なかったって」

「嘆く……?」

「そう。被災者は被災者同士で励まし合ったりしているから、カウンセリングを申し出る人はいなかったって。そりゃそうよね。外から来たよそ者に、私は臨床心理士だから辛いならお話を聞いてあげますよって言われてもうざいだけだわ。

 臨床心理士として出来ることを探すのはいいけれど、臨床心理士が求められていると思うことは間違いだと思う。それはただの思い上がりよ。私はそうはなりたくないの」

「まぁ、被災地に行ったお友達の意見には驚かされたけど、反面教師としては良い例なのかもしれないね」

「そうね……でも、本当にびっくりよね。声を掛けたおばあちゃんに、宗教はいりませんって言われたらしいわよ。どんだけしつこく営業かけてたのかしら」

思わず吹き出した僕を見て、由香の表情が柔らかくなった。


 話し続けた由香はすっきりしたのか、パスタを平らげて満足げにフォークを置くと、ふぅっと一つ息を吐いた。

「くじけない由香へのエールを込めて、今日は僕が奢ろう。デザートも食べるといい」

「やったー! ワインも一杯だけ飲みたいなー」

「頼みなよ」

笑顔でメニューを開いた由香の姿は可愛かった。


 付き合っている彼女がいた頃は、女性とのこんなやり取りは普通のことだと思っていたけれど、独り身が長くなると懐かしくも恋しくも感じるようだ。

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