言語つながりでここにたどり着きました。
こういう異世界構築のための考察って結構面白いですよね、似非科学好きな私も結構妄想してたりしますが、残念ながら私自身は物語を書く機会というか時間がなさそうなので、ここで棚卸代わりに披露しておきます。
時間の概念と言えば、他の人も書かれている通り、やはり「歩く」というのがメジャーですよね。『陸マイルと海マイルの由来について』で検索すると出てくるように、マイルなんかはもともとは「歩幅」から来てるらしいし、片田舎のあまり文明的ではない社会なら「領主の城までは朝から夜まで頑張れば歩いて6往復できるぐらいの距離」みたいな書き方なんてどうでしょう?みたいなね。
この地球というか、今の私たちの世界だと、巨大なドラゴンも居ないし背に乗って空を飛べるような鷲も居ない、それにヒトの体なんて鍛えたところで三階から飛び降りたぐらいで足は骨折するぐらいの脆弱さを知ると、既存の空を飛べたり魔獣を使役したりするようなファンタジーに出てくる主人公はちょっとどころではなく生物としてあり得ないよねーみたいに思ってしまう。
ということで私たちの知っている物理学を捻じ曲げることなくファンタジーな世界を満喫できる設定はあり得るのか?
ひとつの案は「ヒトの成人身長が10~20cm」でその他の動植物のサイズは変わらない世界、ですね。そこでは戦士は馬ではなくネコに乗って軍団を率いているとか、火は吹かないけれどワニやキリンなんかはもうリアルに超巨大な魔獣になるし、ここでは鷲に乗って空を飛ぶことさえ出来るし、何と言っても体重が軽くなるので例えばヒトの身長の10倍の高さから飛び降りることが普通に出来るようになるとか、先日火打石の話題を見たけれど、あれな世界ではその火花も大魔法のように見えるに違いない、で、例えば VRMMORPG なんかも単純に身長2メートル弱のヒト族ではなく、20センチの身長にすることで、リアルではないのにリアルだっていうね、別の世界を表現することが出来ると思うし、
まぁ、脳みそのサイズも小さくなるから、この世界以上に能天気な連中しかいないだろう、とか、まぁあれですね、なろう小説もいろいろ出尽くしてきた感もあるわけで、個人的には過去にこんなファンタジーな世界があったというのはそろそろ卒業して、現在知られている科学と政治をベースにして私たちの世界のそれも近い未来に如何にファンタジーな世界を作れるか?、を読者に見せてくれる物語を読みたいなー、書いてくれないかなー、10年ぐらいなら全然待ってても大丈夫だよー、ということで、今後の物語に期待してますね!
タイトルでは『一行で書くのを諦めた』とありますが、実際に読んだところ『マリー』という人物名が出てきた時点で挫折しているような気もします。
現代ファンタジーや現代ドラマならそのままの意味で受け取れる文章も、異世界ファンタジーだと文章に含まれる意味が大きく変化する、ということが、この作品を読めば分かります。
その世界で使用されている単位。世界の成り立ち。マリーとは本当に人間なの? この世界と異世界は全く何の繋がりも本来は無いわけですから、自分たちの常識とかけ離れた世界になっていてもおかしくないのです。
そう考えると、世の中に出回っている異世界ファンタジー作品って全部展開の都合が良すぎると思えてきます。なぜ全くの別世界に、地球と同じく植物や馬や魚が存在しているのでしょう。
これは中々どうして奥が深い。異世界ファンタジーに書くのにあたって、何をどうすれば異世界っぽくなるのか……。人とは違う容姿をしている? 表記が違う? 方向や言語が異なる? 魔法の唱え方? 価値観? 地形? 種族?
そう考えこんでいる内に思考の坩堝に嵌まり、そして気付いたら抜け出せなくなっている。しかし、個人的には嵌まった先に異世界ファンタジーの楽しさがある気もしますw
確かに色々と考えるのは大事ですが、かと言って深く考え込み過ぎて物事が進まなければ元の木阿弥もいいところ。やはり適度にやり易いと思うやり方で小説を書くのが一番かなと個人的には思いますw
しばしば思うのだけれど。
あなたが書く「異世界」の対概念は「地球」なのですか?
ならばその「異世界」、単なる「別の惑星」ではないの?
(いや、惑星には限らず、恒星か衛星かもしれないけど)
異世界ファンタジーのあら探しをしたいわけじゃない。
作品世界に身を委ねて、たっぷり楽しみたいだけだ。
だからこそ矛盾が目に入らないように書いてほしくて。
でも、理詰めでやりすぎると、とんでもないよね……。
まじめに考えれば考えるほどドツボにハマってしまう。
そんな苦悩が書かれた本作、シュールにしてユーモラス。
本気でガッツリ悩んだからこそだよね、と思うと、
笑ってしまうと申し訳ないのだけれど笑ってしまう。
異世界ファンタジーが好きな人も苦手な人も、
ちょっと読んで「なるほど」と思ってほしい。
あるいは自作の異世界に行き詰まっている人には、
作品づくりの参考になるのではないだろうか。
私たちの住んでいる世界とは異なる場所を舞台にするということは、私たちの世界とは何か異なるところがあるということになる。
月がふたつあるやら、ドラゴンが住んでいるやら。
そのほかの部分を私たちの住んでいる世界と同じにした時、変えたところと矛盾がなければよいのだが、そんなつごうの良いことは少ない。
つじつま合わせに新しい設定を考えると、さらに矛盾などが出てくる。
困るのは、その整合性が図れたとしても、当初イメージしていた世界とは大きく異なる、望んでいない世界ができてしまう時である。
しかし、そこまで行けるケースは稀であり、たいていは一行目でキーボードが止まり、その世界は終わりである。
そのように世界を終わらせたことのある人が読むと、古傷をなめられたような気分になるよいエッセイだと思う。
合わせて、このエッセイを読んでいると、そもそも自分の生きている世界のことをあまり知らないことに気づかされる(自分で異世界を作っている時もそうだが)。
物理法則などは「そうなっているから」で片づけていることが多い。
昔の人はどうやって火を起こしていたのか、などなど。
異世界を考えさせるのは、教育手段としても良いかもしれない。
異世界は書くのも読むのは楽しい。なぜならば物理法則を無視して、好き勝手に世界を描くことができるからである。魔法が使える、神様がいる、魔物がいるなど、我々が暮らす平凡な地球よりも魅力的に感じやすい。
しかし、良く考えれば、その作られた異世界はある程度、秩序が無ければ、その世界に住むものとしてはいい迷惑だ。たとば、時間が把握できなければ、約束事も出来ないし、組織(異世界ものではギルドに相当するもの)を作るのに困る。これだと、魔王を倒しに行く場合ではなくなってしまう。そう考えれば、著者のいう通り、設定だけで筆が止まってしまう。そうすると、やっぱりガッチリとした設定が必要となる。
この著者が夢を抱いた異世界ファンタジーを実際に書くかは知らないが、こんな構想するのも面白いものだ。
P.S.
このレビューを書いている本人もこんなことを考えながら、自分の作品を書いています。皆さんも物語を作るときに『一行で書くのを諦めた異世界ファンタジー』を参考にしてみてはいかがですか?
今作では触れられてなかったが、まぁファンタジーで良くあるのが魔法の理論だと思う。
大概は魔法とか種族の成り立ちだけ決めたら発車となるのだが、それを更に突き詰めるという内容。
もはや綿密なプロットを組み立てようかというレベルのものであり、これを突き詰められれば 新たな世界 を生み出せるでしょう。
異世界などというふんわりした、読者に想像をブン投げるレッテルではなく、かといって既存のどこかにある世界を借りる手法でもなく、読者を惹き込む世界の造り方、とも言えるのではないでしょうか。
完成させる労力は途方もないでしょうから、作者さんもタイトルで前置き成されているのかもしれません。
ファンタジーは何を書いてもいいので、テンプレ作品ではなくオリジナルな設定のものが欲しい……という声を聞くことがあります。
ですが、徹底的にオリジナリティにこだわり、世界を細部まで作り込もうとすると、このように書き進めることができなくなってしまうのもありがちなことです。
もし本当にオリジナルな、細部まで整合性を保つ世界を作ることができたなら、それはファンタジーよりもSFに近いものになるのかもしれません。
結局、人間の想像力には限界があるので、ファンタジーの世界がある程度現実と近いものになるのはやむを得ないことなのでしょう。
「世界を創る」ということについて色々と考えさせられる作品です。
さらに https://kakuyomu.jp/users/plummet_846/news/1177354054882663383
ここで議論されているような問題が兼ね合うとよりこの地獄は深まります。例えば指が6本あることが作中のある種のギミックとして機能するならば、それを登場人物が自覚していないことは作品上意味のあることですが、別に指の数が問題がないときに、自分が創作した世界の中で、マリーの指は六本ある、とか登場人物は絶対思わないので(我々が登場人物の描写をする際に、彼女には二つの瞳があって、顔の中心には鼻があった、とかわざわざ言わないように)(工夫の仕方はありますよね。マリーは孫指を折って、とか独自の指の呼称を設定することで、この世界では指の数が違うんだなと悟らせるみたいな。でもそれ、絶対伏線だと思われるよね)、それを記述することすらできなくなる。じゃあ三人称で書くか? というとこんだぁ俺らは設定資料集でも読まされてんのかとなるわけですよ。話が進まねーよって言われる。
このように読者の立場からすると「知るか」って話なんですよね。いや中にはファンタジー警察みたいな人もいると聞きますけど、多くの人はそこまで考えてなくて、まあドラクエ的世界であれば問題ないわけですよ。俺は少なくともそうで、あとは話が面白ければぜんぜんそれでいい。とどっかで分かりながらどーーしても気になる。理屈では分かるが感情が邪魔をするんですね。そしてその感情というのは理屈が通らないぞ! という感情なので、なんかすごい迂回路を通ってる気がする。つまりそういう病です。治療法はない。少なくともアマチュアの我々にはないでしょうね。プロフェッショナルで、それで糊口を凌ぐとなったら話が変わってくるかもしんないけど、だってそこでこだわんないで我々は他にどこで何をこだわりゃあいいんですか?
という話なので同病の皆さんは相憐れみましょう。もっとなんていうか、専門的、かっこいい議論ができる人のレビューも読みたいなぁとか思います。謎の願望ですね。普通にこれの続きでもいんですけど。俺は議論には参加できないけどひとが議論してるのを見たい欲はあるんだ……。
あと作者に期待することを書いてもいいらしいんでそれも書いときますが、時間とか宗教体系とか、そういうのを全部一から作り上げるめんどくさいファンタジー、読み手は確かに若干めんどくさいんですよ。でも好きですよ。なので、なんていうか、適当に勧めちゃいますけど諦めずに頑張って書いて、そんでこの創作論に思いついちゃった益体のない疑念、疑惑、継ぎ足してけばいんではないですか。それは読みたい気もします。
これ「本格SF」でも当てはまるなあ、と思いました(感想)。まあ「本格」というのが何を指すかは知りませんし議論したくもないですが……。