大久保と関、メインふたりの愛すべきくせ者っぷりがとにかくすごいのです!そんなくせ者同士の名コンビっぷりはさらに凄まじくて、あっという間に骨抜きにされました。
人間性の良い部分と良からぬ部分が表裏一体に描かれていて、その人間味が好きで好きでたまりませんでした。……というか現在進行形で好きです。読んだら好きにならざるを得ないのですよ、これは!待ったなしです!!
そんなふたりが一緒にいるだけで面白いのに、ストーリーもことごとく面白くて、本当最高なのです。
連作短編形式で、どのエピソードでも一貫して真摯に心が見つめられていて、それでいて切り口の違う様々な種類の面白さが各話ごとに存在してるのですからもう、読むのが楽しくって仕方がありませんでした。
最後の最後までふたりの距離感と関係性が素敵で、読了後も熱いものが胸に残り続けています。
すでに多くの★が集まる人気の作品ですが、もっともっと多くの人に愛され続けていって欲しいです。
相棒ものがお好きな方、怪談がお好きな方、連作短編がお好きな方、昭和レトロな雰囲気がお好きな方、どんな方にも幅広くオススメいたします!
百物語にはひとつ足りない、「怪談」と呼ぶには色合いが淡い。
此岸に留まる死者たちの情念は少し怖くて物悲しく、儚く弱い。
昭和初期の帝都を舞台に、酒飲みで怖がりの三文文士の大久保は、
学生時代からの悪友で胡散臭い新聞記者の関に引っ張り出され、
新聞掲載の怪異譚の取材のため、数々の不思議と出会っていく。
大久保の視点の柔らかな筆致によってレトロな東京が物語られる。
短編連作の形式で、情感にあふれながらも各話に深入りしない。
だからとても読みやすく、大久保と関の人間臭さが親しみやすく、
あっという間に全話を読破してしまった。すごく面白かった!
飄々として傍若無人なくせに実は一途で脆い関がかわいくて好き。
私はもともとホラーを怖がらない人間なので基準がわからないが、
怖がりの人にも読める味わいのホラーではないかと思うので、
怖い話に挑戦しようという初心者の読み手におすすめしてみたい。
関のキャラを気に入ったら、怖くても、第漆話までぜひ頑張って。
続編と番外編もあるとのこと。
今夏の楽しみにしようと思う。
帝都東京という舞台を思い浮かべる時、そこは黄昏の橙色に染まっています。私以外にも、そういう人は少なからずいるはず。程なく訪れる大日本帝国の終焉を予期しているからでしょうか。
この物語に現れる怪異は、そんな逢魔ヶ刻に差す濃厚な影のような存在です。人の想念の器たちたる彼らは、にじり寄るように、あるいは唐突に姿を現します。
喉の奥から絶叫するような恐怖は、心臓が張り裂けるような恐怖は、ここにはありません。恐るべき脅威に知恵と勇気を振り絞って立ち向かうヒーローのような存在も、やっぱりいません。
切々として繊細な語り口で描かれる夕闇の帝都と、そこに在る、怪異と、人間の物語です。
主人公である大久保と関は、良い所より悪い所が先に目につくような素朴な連中で、言い換えればまったく人間的な二人です。
彼らは時に調査者となり、時に当事者となり、様々な形で怪異に触れて行きます。
怪異たちは時に有害で、時に無害で、時に強烈で、時に瑣細で、時に人間的で、時に意味不明で、時に笑い、時に涙する、そんな存在です。
そしてそんな人間と怪異の描き出す物語も、全てが決着する事があれば、どこか濁りを残して終わる事もあります。
怪異は人間と隔絶された異世界の存在ではなく、隣人のようにあるのだから、描かれる物語も人と人のそれと同じく、決まったものなどではないのです。
だからこそ私はこの物語に心掴まれ、ハラハラさせられ、次の話、次の話と読み進める事になりました。終の終まで、あっという間です。
今、この感想を読んでいるあなたも、この九十九語りを通して黄昏る帝都の影に少しばかり浸ってみてはいかがでしょうか。
温かくも恐ろしい時間を過ごす事ができるに違いありません。
私は、バディものが大好きです。それも、どちらかに主導権があるのではなく、パワーバランスはあってもあくまで対等で、その根底に損得なしの友情が垣間見えるバディが、大好きです。
この物語の主人公、大久保と関はまさにそれです。大久保は、アル中の内省的な怖がり。関は、人の心がわからぬ快活な切れ者。パッと見ると、関が大久保に対して上から目線だったり、大久保が関に対して卑屈だったりしても良さそうなものですが、それはない。関は大久保の弱味を握っているし、大久保は関を邪険にしているけど、二人の関係はフラットです。
だから、この二人が話しているところを見るのは楽しくて、例え状況が恐ろしいものだとしても、二人にいれば大丈夫だろうという安心感で、読み進められるのだと思います。
また、お話自体も完成度が高く、流麗な筆致は怪談特有のこの世ならざる美しさや儚さを十全に表現しています。
そして、その世界を闊歩する二人を見ているのが本当に楽しい。
恐怖は控えめ。怪談の切なさや美しさを味わいつつ、愛せるキャラの掛け合いをみたい人には、手放しでおすすめです。
古き良き日本への郷愁もあれば、現代と地続きの近代の価値観に前近代の蛮性を併せ持った不思議な時代、それが昭和初期だと思っています。
狂言回したる仕掛け人の外道記者「関信二」と怖がり役のアル中「大久保純」はいかにも悪い大人と駄目な大人の二人組ですが、胡乱さに対しての社会の許容度が高いだろうこの時代、薄暗がりに入り込める強かさがあって実に面白い。
まったく頼もしくはなく、自身が怪異の孵化装置の前に立っている危うさもあるのですが、やはりこの職に就いている輩はスパイかこの手の類と思うと、闇の王道を歩まれる設定、ある種の安心感があります。
ちなみにこのレビューを書いたのは第一話読了時点です。
読むという作業はてっきり視覚のみに頼るのかと思っていましたが、いつの間にかその当時を歩いたこともないはずの帝都に放り込まれた錯覚を覚えました。
じわり、脊髄や腹、心臓になにかよくわからないものが貯まっていく感覚があり、奇妙な味が口の中に湧き出てくるようです。
ある種のユーモアもあり、恐怖のみならない不思議な読後感を受けました。今後の怪異譚も、実に楽しみでなりません。
三流新聞社の冷血記者の関と、彼の旧友であるアル中三文文士の大久保。
そんな二人の社会のはみ出し者が、今日も怪異の取材に挑む。
あまり人間的によろしいとはいえない二人の軽妙なやり取りと、
彼らが挑む人間の悲しくも愚かしい心が生んだ怪異のコントラストが、
発展を遂げながらもまだ成長しきっていない帝都の雰囲気と相成って
実に奇妙な味わいになっているのが面白い。
様々な形で彼らの前に現れる怪異。
そのおどろおどろしさと、それに向き合う際の大久保と関、それぞれの心理心境。
そうして怪異と関わる中で起こる、二人の心境の変化……。
そこに見える普段のダメさとは違う人間性もまた、この作品の魅力であろう。
昭和初期の日本国首都を舞台に、二人のダメ人間コンビが織りなす怪異譚。ぞっとする描写を挟みながらも、思わず顔を背けたくなるような恐怖ではなく、すっと上品に入るスパイスのように効かせるバランス感覚がうまい。というか、全体的に文章が巧みで読みやすい!
関が語る「死者」の捉え方を始め、出て来る怪異はそれぞれの死者としての在り方を持ち、怪異としての曖昧さとキャラクター性を持っているように見受けられます。惨い死に方をしても、ある者は恨みを持って顕現し、ある者はそんなこととは無関係に愛しいものの傍へいく。
超常現象に出会った時、交流するのがファンタジー、逃げるのが怪異、解くのがミステリーというような言説があったなあなどとぼんやり思い出すのですが、怪異に対して一線を守る関のスタンスが、まさにこの作品をホラー足らしめているのだなと思います。
雪山であった友人のエピソードとか、さらっと語られただけですが、この作品がホラーである理由がぎゅっと濃縮されている。
さて、自分はいわゆるゾンビ物が大好きで、死んだ後もゾンビや幽霊になって、少しの「続き」があるといいなあ。などと日頃考えている者です。でも、続きがあれば、それを見る人が存在するんですね。
では、それを見る人は、そこに何を思うでしょう……?
終盤のとあるエピソードを見て、怪異に対する自分のあさはかな憧れを突かれたのが、なんとも胸に痛く、そしてこの作品に対する思い入れが一段と深くなるのを感じました。
関は霊能者や霊感人間ではなく、しかし、「周りにゴロゴロと転がっている」怪異と遭遇してしまう、「見るもの」です。怪異を、死者を見続けてきた、見送り続けてきた彼の心境、語り手の大久保とともに、是非本編を読んで確かめて下さい。