終わった後の「続き」。それには、観客が居/要るのです。

 昭和初期の日本国首都を舞台に、二人のダメ人間コンビが織りなす怪異譚。ぞっとする描写を挟みながらも、思わず顔を背けたくなるような恐怖ではなく、すっと上品に入るスパイスのように効かせるバランス感覚がうまい。というか、全体的に文章が巧みで読みやすい!
 関が語る「死者」の捉え方を始め、出て来る怪異はそれぞれの死者としての在り方を持ち、怪異としての曖昧さとキャラクター性を持っているように見受けられます。惨い死に方をしても、ある者は恨みを持って顕現し、ある者はそんなこととは無関係に愛しいものの傍へいく。

 超常現象に出会った時、交流するのがファンタジー、逃げるのが怪異、解くのがミステリーというような言説があったなあなどとぼんやり思い出すのですが、怪異に対して一線を守る関のスタンスが、まさにこの作品をホラー足らしめているのだなと思います。
 雪山であった友人のエピソードとか、さらっと語られただけですが、この作品がホラーである理由がぎゅっと濃縮されている。

 さて、自分はいわゆるゾンビ物が大好きで、死んだ後もゾンビや幽霊になって、少しの「続き」があるといいなあ。などと日頃考えている者です。でも、続きがあれば、それを見る人が存在するんですね。
 では、それを見る人は、そこに何を思うでしょう……?
 終盤のとあるエピソードを見て、怪異に対する自分のあさはかな憧れを突かれたのが、なんとも胸に痛く、そしてこの作品に対する思い入れが一段と深くなるのを感じました。

 関は霊能者や霊感人間ではなく、しかし、「周りにゴロゴロと転がっている」怪異と遭遇してしまう、「見るもの」です。怪異を、死者を見続けてきた、見送り続けてきた彼の心境、語り手の大久保とともに、是非本編を読んで確かめて下さい。

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