第2話

 それからが凄かった。

 男の子はメイドさんにあやされてぴたっと泣き止み、更に同心さんに預ける間もなく、親御さんの方から声をかけてきた。何やら人だかりがあると近づいてみたら、思いがけず中心に我が子がいたらしい。ありがとうございましたと大の大人がメイドさんに頭を何度も下げる光景は、ちょっとシュールではあった。

 しかし助かった。正直なところこういう案件にどう接して良いかわからないものだから、てきぱきと解決してくれたのは本当にありがたい。

 ぼくもお礼だけ言おうと思ったその時、イチハさんがすかさずメイドさんの両手を取った。

「弟子にして下さモガ!」

 モガ、とはぼくの手で突然口を塞がれたイチハさんが思わず発した音である。頑張ってキャラ付けしようとした結果ではない。

「てめえ何すんだヒビくん!」

「いや、変なこと言おうとしてたから、止めようと」

 しっけいな、とぷんすか怒るイチハさんに、ぼくは肩をすくめる仕草をした。

「野郎ぶっ殺してやる!」

 両手を振り回しながら迫り来るイチハさんの頭蓋を押さえて、なんどか宥めようとする。そんなぼくらを見て、メイドさんは口に手を当ててふふと笑顔をこぼした。

「仲、良いんですねっ」

 はたと我に返ったぼくは、自分だけでも印象を良くしようとメイドさんに向き直った。

「先ほどはありがとうございました。助かりました」

「い、いえいえいえ! わたし、何もしてませんから!」

「いや、そんなことはありません。正直ぼくらじゃどうなってたか」

「そうですよ。やっぱりモノホンのメイドさんは違いますね。ホントパネえっす!」

 目をキラキラさせて言うイチハさん。ぼくはその言葉に首を傾げた。

「モノホン?」

「そう、ヒビくん、このお方は伝、本物の職業メイドさんなのですよ」

「……何で、断言できるの?」

 疑問を口にすると、えっへんと言わんばかりに(薄い)胸を張って、

「メイド服自体、普通のと違うでしょ?」

 確かに、とぼくは頷いた。マンガとかアニメで見たり、町でビラを配っているようなメイドさんの服ってのは、もっとフワフワでヒラヒラな感じだ。目の前の人が着ているのは黒と白のツートンカラー、フリル一切なしの男らしいメイド服である。スカートは縦に長く、足首まで届きそうな勢いだ。袖はきっちり手首まで隠しているし。

 そういう意味では本来の作業着として相応しいデザインだ。エプロンを外してローブを被れば、シスターとしても通用するかもしれない。

「舐め回すように上から下まで見るんじゃねえ!」

 イチハさんに怒られた。そんなつもりじゃなかったのに。

「何より立ち振る舞いが違いますなあ。静謐と気品を湛えた、奉仕の構えと呼ぶべき佇まいですな、こりゃ」

 何言ってんだこの人。

 しかしメイドの格好をしているのは事実だ。ぼくは恐る恐る尋ねてみることにした。

「……ホントなんですか? メイドをやってらっしゃる?」

「はいっ」

 は、はいって言った! 半信半疑で聞いてみただけなのに!

「メイド喫茶じゃなくって!?」

「はい。わたし、侍従をやらせて頂いております!」

 ぼくはあんぐり口を開けた。

「マジじゃんか……」

「言ったでしょ。この人はモノホンだって」

 びっくりだ。今日日本職のメイドさんがいるのもだけれど、イチハさんが迷いなくそれを言い当てたのにもびっくりである。声は下っ足らずだし、仕草も慌しいし、元気印で売り出し中のバイトさん@メイド喫茶だと思っていたのに。

「でも、何でメイドさんがここにいるの?」

「はい、ご主人様からお暇を頂きまして」

「お暇?」

「遊んでおいで、と」

「一人で?」

「急に言われたものですから……」

「そりゃまた、酷い」

 そう言ったけれど、メイドさんは笑顔でいいえ、と首を振って、

「と、とんでもありません。ご主人様がわざわざ私にお暇を下さったんですよ。とても光栄なことと存じます」

「でも一人じゃ楽しくないでしょ」

「そんなことはありません。こうして皆さんとお会いできましたしっ」

 にこり、と笑われると、そうなのかな、と思う。でもぼくだったら、こういうところに一人で来るのは、ちょっと気が引けるのに。

 するとイチハさんがぼくを押しのけて、メイドさんの手を取った。

 目がぎらぎらと輝いている。嫌な予感がした。

「じゃ、あたしたちと一緒に回りましょ!」

「え」

 まーたこの人は何を言い出しておるのか。

「え、えっと、イチハさん?」

「こうしてあたしたちと会えたのも何かの縁だし、ご主人様だってこういうのを予見してたんじゃいかしら?」

「まあ」

 メイドさんは目を瞬かせると、

「確かに、ご主人様は聡明な方でいらっしゃいますから」

「でしょでしょ?」

「でもよろしいのですか? わたし、お邪魔虫じゃありません?」

 小首を傾げるメイドさんに、ぼくは、

「邪魔だなんてとんでもない。いや、メイドさんさえよければ、ですけど」

 笑顔で言うと、イチハさんも大きく頷いた。

「そーですそーですよ、コイツのことなんて気にしないで下さいって!」

 あははは、と笑いながらぼくの肩をバシバシとしばくイチハさん。

 ……気のせいだろうか。かなり強く叩かれている気がする。こう、バシン、みたいに、体重が乗っている感がすごい。

「あたし、高幡一葉って言います、イチハって呼んでね。で、コイツはヒビくん」

「イチハちゃんにヒビくんですね! わたしはオトハって言います!」

「なんと! 名前、似てる! ねえ似てないヒビくん!?」

「うん、似てる、似てるから」

 襟を掴んでガクガクと揺さぶられながら同意を求められるぼく。視界が歪む、これが揺さぶられっ子症候群というやつであろうか。

「じゃじゃじゃ、さっそく、三人で夏の始まりを満喫と行きましょー!」

 勝鬨を上げるが如く腕を振り回し、通りを進むイチハさん。彼女の背中を追いながら、その言葉にぼくは独り得心するものがあった。

 夏の始まり。この時期になって漸く梅雨が明けきり、するといよいよ本格的に真夏がやってくる。京都の住民にとって、宵山は盛夏の到来を告げる風物詩という意味合いもあった。

(今年も、もう夏が来たのか)

 京都の夏は容赦がない。四方を山に囲まれた盆地の底には熱が溜まる一方で、立っているだけでも汗が吹き出てくる始末。この季節になると鴨川沿いの店が川床を作って涼を取ろうと試みるけれど、それもはっきり言って焼け石に水だ。寝ても醒めても悩まされるこの時期は、ぼくが一番嫌いな季節だった。

「浮かない顔をされてますね」

 気がつけば、ふとメイドさんと目が合った。微笑まれると、ドキリとしてしまう。

「そうですか」

「ええ」メイドさんはニコニコと相好を崩したままだ。「何か、悩み事でも、あるんですか?」

「いえいえ」ぼくは頭を振って、汗を拭った。

「暑くって、やんなるなって。昔はもうちょっとは涼しかった気がする」

「そうですねー」同意してくれるけど、メイドさんの額には汗の玉一つ浮かんでいない。

 黒で長袖のメイド服は、幾ら生地が薄かろうと暑いに違いないのに。

「温暖化もございますしー」

 ……なんか、メイドさんに温暖化とか言われるとちょっとシュールである。

「それでも、これだけの方がいらっしゃるんですね」

「そうですね。みんな、ヒマなんだな」

 言うと、メイドさんはくすくすと笑った。

「だって、こんなに楽しそうなんですもん。誰だって、つい顔を出したくなっちゃうんじゃないでしょうか」

「そうかなあ」

「ヒビくんさんだって、こうしてここに来ているじゃないですか」

 いえ違うんです、と言い掛けて、ぼくがここにいる理由を思い出した。そもそもぼくたちは単に祇園祭を冷やかしに来たんじゃなくて、都村君と八田ちゃんをくっつける口実でやって来たのだ。すっかり忘れていた。

(彼らはどうしてるだろうか。上手いことやってるかな)

 心配事を抱えて、いちいち説明するのが億劫になったぼくは、とりあえず首肯することにした。

「まあ、似た者同士ではありますよね」

「似た者?」

「いや、祭囃子に惹かれて、楽しそうだなって、ふらふらと来てみたと言うか」

「ヒビくんさんは、楽しいですか?」

「まあ、楽しいですよ」

「本当に?」

「ええ、まあ」

「――本当に?」

 オトハさんの歩みが止まる。

「本当に楽しいって、ヒビくんさんは思ってるんですか?」

「――――」

 彼女の言葉に、

「何を、根拠に」

 理由もわからず、何故だかぼくは内心、激しくうろたえた。うろたえた結果、自分の頬に血が集まってくるのがわかる。動悸は激しく、収縮に合わせて全身の筋肉が波打つのが感じられた。

 混乱していた。自分について判るのはそのことだけだった。

 何故これほどまでに混乱しなければならないのか、何故これほどまでに理性を失っているのか。熱で思考と意識が切り離されている様な感覚だ。言葉は数多浮かんでくるが、どれも強度は等しく弱い。意味のない囁きに、脳の全てを埋め尽くされている気分だった。

「わたし、人を見る目って結構あるんですよ。この人はこういうことを考えてるんだろうなー、とか、そういったことが、大体わかるんです。

ヒビくんさんは、なんだかぽんやりしていて、楽しいって人の顔じゃない風ですねー」

「……あ、ああ、そうですか」

 笑みが引き攣るのを感じる。どうやら彼女の指摘というのは、女性特有の、占いに近い思い込みから来ているものらしい。根拠のない曖昧な言い方がその証拠だ。同じ口調で霊感があると言われたらそれらしくなるだろう。

 だがそれらの感情は、オトハさんの笑顔を見た瞬間、ぞっとするような怖れにとって変わった。

 彼女はニコニコしながら、

「不思議ですねえ。とっても不思議です」

 一歩近づく。彼女の黒く丸い瞳が、ぼくの視線を捕らえて離さない。

「あなたは、わたし達と、同じなんですね」

 含む様な言い方に、熱気の中、空寒いものを感じた。

「――え?」

 胸がざわつく。不安で堪らない。断片的で意味のない筈の言葉はしかし、ぼくの裡に暗い滓を残していた。

 どういうことですか。聞こうとしたその時、ポケットでスマホが震える。画面に表示された名前をみて、ぼくは心底ほっとした。

「もしもし、薫子さんですか」

「――だ――」

 電波が悪いらしい。口元を押さえながら、声のトーンを上げた。

「もしもし!」

「――離れろ」

「は?」

「それから離れるんだ、響君!」

 ヒステリックなまでの薫子さんの声に、ぼくは身を竦める。

 しかし、それ、が何を指すのかまでは分からない。首を伸ばして辺りを見回すも、特別おかしな様子は、

「薫子さん、それって――」

「君の横のメイドのことだ!!」

 メイド? ぼくの、横の?

 視線を左右に巡らせると、

「わかりました、お姉様」

 果たしてそこにはオトハさんがいた。彼女も電話をしていたらしく、耳元から手を離すと、

「……え?」

 突然スカートの裾をつまんでたくし上げた――かと思えば、中に手を入れた。

「ち、ちょっと」

 一瞬、何やらセクシーなハプニングが、と期待に胸が高鳴った。

 が、そんなぼくの下劣な思考を嘲笑うかの如く、スカートから抜かれた彼女の右手には似つかわしくない無骨な太刀が握られており、

「あ」

 口を開きかけたまま、固まってしまう。

 オトハさんは剣を振り上げると、近くにいた男の人目掛けて斬り下した。

 袈裟に引かれた線から、赤い液体が迸る。

 飛沫が吹き上がり、あたりに降り注ぐ。

 その様はぼくの左腕が飛んだ時と、よく似ていた。

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