第2話

 つくねちゃんと京都駅で別れたぼくは、そのまま家路にはつかず、駅ビルの中に居を構えている百貨店に足を向けた。薫子さんが言った、ステンレスの剣、という言葉が気になったからだ。でも理由はそれだけじゃなかった。二人のことについて、少し考える時間が欲しかったからだった。

 長いエスカレーターに乗りながら、ぼんやりと思索を巡らせる。二人の仲は、一体いつごろからこんな決定的に決裂してしまったのだろうか?

 確かぼくが腕を失う前後――だった気がする。その前までは全くの逆だった。つくねちゃんは薫子さんを慕っていて、薫子さんもつくねちゃんのことを可愛がっていた。でも一年前からだんだんすれ違いが表面化して、気づけば深い溝が二人の間に広がっていた。つくねちゃんは薫子さんに敵意を隠さず、薫子さんも冷たい態度を取るようになった。そのくせつくねちゃんは薫子さんの一挙手一投足から目を離さないし、薫子さんもつくねちゃんを気にかけている。どこまでもちぐはぐな二人だった。

(なんとかしたいよなあ)

 時間が経てば解決の糸口も見えるだろうけれど、果たしてそれまでぼくの精神がもつだろうか。

(……もたないんじゃなかろうか)

 自問するけれど、ポジティブは答えは返ってきそうになかった。

 エスカレーターを乗り継いで、更に高い階に向かう。どの百貨店でもフロアのラインナップって言うのは大体決まっていて、それはここでも同じだった。一番上はレストラン街、その下に催事場と、刀を取り扱ったフロアがある。迷わずぼくはそこで降りた。

 一角に目をやると、意外とにも人はちらほらといた。平日の夕方なのだから、働いているお侍がいるわけもないというのに。ぼくみたいな学生の冷やかしなのだろうか。

 正面に堂々と展示されている目玉が飛び出そうな額の古刀を横目に、ずかずかと奥へ入っていく。目当てのものはすぐに見つかった。シルエットがモダンだったというのもあるが、何より刀身の色や輝きが全く違う。

(これが、ステンレスの刀か)

 棚や壁に並べられた刀の数に圧倒されて、思わずため息が出た。こうしていくつものステンレス刀をちゃんと見るのは初めてかもしれない。ぼくはその景色に、少しばかり感動を覚えていた。

 普通、刀身は鋼、それも玉鋼でなければならないとされているけれど、最近じゃ色々な需要を掘り起こそうと、鋼以外のさまざまな材料で刀が作られている。中でもステンレスは近年人気とされている鉄の合金だ。さびない、さび難いとの触れ込みで、実際手入れはとても簡単なのだそうだ。若者を中心にオーナーの層が広がっている。

 そういった新しい剣はデザインも奇抜なものが多い。ブランドも老舗のものではなく、横文字のメーカーだって見受けられる。値段もこの大きさにしては手頃だ。高級品と差別化するためだろう。これだったら若者が欲しがるのも頷ける。

 特にこのだんびらなんか、大きくて、派手なデザインだ。ぼくはある一本の刀の前で足を止めた。面白いことに、柄の部分まで一本のステンレスを削り出して作っているらしい。直線と曲線の良い所を取り合った、いかにも男の子受けしそうなフォルムをしている。

 値段だって――いや、

(ちょっと、手、出ないな)

 大きさに比例した価格設定がされている。これなら普通に鋼の刀が買えるくらいだ。

 でもこういうデザインのもいいなあ、普段使いならこういうのを佩いてるのもありだ。服も色々合わせられそうだし。

 ふと近くにあった姿見越しに、自分の刀を見る。鞘は古くて、漆が所々擦り切れるように剥がれている。柄糸も目を凝らすと綻びがあちこちに見える。父さんからのお下がりの刀だ。これはこれで愛着があるけれど、そろそろ新しいのも欲しい。

(がまんがまん。うちの財政考えなさい、っと)

 せめて登城する身分になってから、こういう我侭を通さなくちゃ。

 離れようとしたその隙間を縫う様に、店員のお姉さんが業務用スマイル100%で近づいてくる。タイミングがいまひとつ合わず、思わず気勢を削がれてしまった。

「何か、お探しでしょうか」

「いえ、見ているだけです」そう言おうとしたけれど、口が開く前に次の言葉が重ねられる。

「こちらのブランドはですね、最近江戸で有名デザイナーが立ち上げたブランドでして。御覧の通り、今までの刀とは全く異なる、素材の美しさを際立たせる線の際をコンセプトに据えて設計されています」

「人気なんですか?」自分が冷やかしであることを忘れて、ついつい質問してしまう。

「おかげさまで」

 店員さんのスマイルが120%に跳ね上がった。

「今年だけで、このモデルですと、もう5本出ています。お買い上げ頂いているのは、殆どが若いお客様ですね」

「へえ」

「宜しければ、ご試着されてみますか?」

「いえ、そこまでは」ウインドウショッパーのやることにしては、ちょっと図々し過ぎる気がする。それによくよく考えると、この大きさはぼくの体格に合わないのではなかろうか。悲しいかな、好きなものと合うものは別なのだ。

 後ろ髪を引かれるような思いだったけれど、いい加減その場から離れることにした。会釈をして、足早に立ち去る。やっぱりぼくみたいな若造が休日でもないのに百貨店にいるというのは、いささか違和感が過ぎるのである。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 一週間が過ぎた。

 その間特別なことも起きず、ぼくは毎日塾に通い、つくねちゃんと帰宅するという、ごくごく普通の日常を送っていた。

 ニュースでは薫子さんが扱っていたであろう事件も報じていたけれど、それもすぐに次の事件で塗りつぶされていった。

 かように殆ど変わり映えしない七日が、落ちるように過ぎ去っていった。でもこの間、ぼくの中で少しだけある変化があった。あれから毎日、人が佩いている刀をついじっと目で追ってしまうのだ。隣の芝生はなんとやら。自分のことながら、押しちゃいけないスイッチを押してしまったらしい。物欲センサーとやらが体内でみょんみょん電波を発しているのを感じます。

 だが悲しいかな、うちこと赤川家は年収三十石のどこにでもあるつつましい下級武士の家柄だ。父さんが「趣味」と言い張る週末限定の副業は無視できない収入になるけれど、それでも無駄使いは厳禁。使わないのに刀を欲しがるなんて超罰当たりなんで、せいぜいこうして指を咥えて見ているのが今のぼくにできる精一杯だった。街角で外車を見て「あれいいなー」と思うのと同じ感じ。

 ほら、今横切った人が帯に差してるやつも――

「こらいい加減人の話聞けばかひびき!」

「ぐほっ!」

 ぼくの顎に右斜め下の方から強烈な速度で、硬くて重い何かがぶつかった。あぶねえ! 舌かむぞ!

「いてえ! 何すんだ、イチハさん!」

「だー、人が話ししてるのに聞かないとか、そんな失礼なヤツにあたしのコブシはもったいない! 頭蓋で充分!」

 くそう、ついつい他の人の刀を見てたらあらぬ方向から頭突きされたらしい……! これだからこのヒトは油断ならない、つうかなんちゅう石頭だ!

 あまりの痛みに、ぼくはイチハさんのオープンデコを睨みつけた。

「人の話聞かないのもそうだけど、この河原町通りでぼさっとするとか、ちょっとヒビくんにしては抜けてんじゃない?」

 ずれたメガネを直しながら横でぷりぷり怒る、長めの髪をお団子にしたボーダーのカットソーを着こなす女の子――イチハさんこと高幡一葉さんは、私塾の同級生だ。最初のクラスで席が隣同士になって以来、一年ちょっとの付き合いになる。商人の娘さんなんだけれど、なんだかすごく気が合っちゃって、よく二人で遊びに行ったりするのだ。友達や知り合いは他にもいるけれど、つい最初に彼女を誘ってしまうというか、誘われてしまうというか。

 今日も今日とて放課後に彼女を含めた5人でカラオケに行っていた。おもむろにヘッドバットを決められたのはその帰り道のことである。確かに夜の河原町――両端にぎっしりお店が並んでいる、京都で一番の目抜き通り――でぼさっとしていたのは不手際には違いない。現に今人にぶつかりそうになり、慌てて道の端っこに身体を寄せる。

「最近なーんかうわのそらだよね、ヒビくんたら。まさかアレかい、懸想してる相手でもできたのかい」

「まさか――ああいや、そうかもしんない」

「マジで!?」

「あ、いや、ものの喩えなんだけどね」

 食い気味に張り付いてくるイチハさんを引き剥がす。一瞬ステンレスの刀の話をしようか迷ったけれど、商人の娘であるイチハさんにそんなことを滔々と説明しても、どうせだおモ(だからお前はモテないのだの略)な視線を向けられるだけなんだ、とすんでのところで踏みとどまった。

 でも勢い余ってしまったのか、ぼくの口からはずいぶんキザったらしい言葉が出てきて、

「刀に恋をしているのかも、なんて、あはは」

 我ながら途中で恥ずかしくなっちゃって、照れ隠しで笑いながらごまかす。しかしイチハさんの表情は厳しい。しばらく押し黙ったまま顔を顰めていると、ぽん、とぼくの肩を叩き、

「ヒビくん。それ、あたし的には、お勧めできない」

「え」

 どういうことだ。イチハさんの目が据わっているぞ。

「近頃ある心理学の先生が言いました。銃と刀は男性の象徴です」

「はい」

「一方ヒビくんは刀に恋をしています」

「……はい」

 超絶嫌な予感がする。

「つまりヒビくんは衆(ホムォ)道に片足突っ込んでいます」

「おい三段論法!」

 おバカ!

 やっぱりこの女はバカでした!

「いやあ、あたしもね、女の子だし、そういうのは好物、大好物なんですよ。しかしね響君、ちょっと生モノはまだ食べらんないし、まして知り合いの男の子が、っていうのもね、うん、さすがに生臭いし、でも一旦味を覚えちゃったら、もう戻れないんじゃないかって感じで」

「やめろ、やめて下さい! そういう対象としてぼくを見るんじゃない!」

 こりゃまずい、イチハさんの目がどんどん濁っていくぞ!

「刀を見ている? 嘘を言うな。その先に一体何を見ているんだ、ヒビくんの眼差しは」

「何もないよ! 刀そのものを見てるんだって!」

「腰のもの、腰、……まさか」

「何がまさかだ、んなわけないでしょ!

単に刀そのものに興味が湧き出した、それだけだよ!」

 彼女の頭をがっくんがっくん揺さぶって、物理的にメモリを破壊せんと試みる。イチハさんの友達ネットワークったら年代を問わない充実ぶりで、この思想を放置したまま明日塾に来られると、あらぬ誤解が全生徒に即日配達されてしまうのだ……!

「はあ、はあ……これでどうだ」

 ばたんきゅーとふらつく彼女の大きな瞳にはこれまた大きな渦巻きが描かれていて、ぐるぐるゆっくり回っている。なうろーでぃぐ中である。今回はかなり荒っぽく揺さぶったから、大事なとこまで壊れてないといいけど。

「……むむ、また記憶が跳んでるくさいぞ」

 瞼をしばたたかせながら、イチハさん再起動。こめかみあたりをぐりぐりと指でほぐすような仕草をするあたりが妙にリアルで、改めてぼくの中でイチハさんやっぱし人間じゃないんじゃないか説が持ち上がってくる。

「そうそう、ヒビくん、今日晩御飯どうするの?」

「よし!」

「え?」

「いやごめん、こっちの話」

 思わずガッツポーズしてしまった。どうやらイチハさんはそれまでの話はすっかり忘れて、直前の話が最新のイベントにすり替わっているみたいだ。つまりさっきまでの下世話な話のデリート成功である。

「晩御飯、って」

「お父さん、今日遅くなるからヒビくん一人で食べるんでしょ? さっき言ってたじゃん。今からならうちのお母さんに言えば、もう一人分くらい追加できると思うけど」

 父子家庭である赤川家では極力家族二人で夕食を一緒にとろうという不文律を定めているけれど、父さんの仕事が遅くなることは多々ある。そういう時はぼくが適当にスーパーの弁当でやっつけるのだ。半額弁当をベースに、これまた値引きされたお惣菜を一品つける。がつがつかっ込んで一気にお茶で流せば、食べ盛りの胃も満足する。

 そんなことをぽろりとこぼしたら、ある日イチハさんちのご夕食に招待されてしまったことがあった。お母様が心配してくれていたらしい。ありがたい話だった。その上実際に料理を口にして、これまた感動した。他所様の家にお相伴に預かるのは初めてじゃないけれど、何と言うか、イチハさんはこの味で育ったのだなあと、しみじみ実感してしまったのだ。うちの場合だと料理の味付けの歴史は、ぼくと父さんの試行錯誤の歴史だった。料理本を片手に節操無く和洋中、ところころラインナップが変わっていったものだから、味がちっとも安定していなかったのだ。そこへ来ての高幡家の晩御飯、いわゆる家庭の味というものに少なからず衝撃を受けた。羨ましくも、しかし不思議と妬ましいという気にはならなかった。ぼくはぼくで、今の食事事情に満足しているらしい。

 閑話休題、ぼくは彼女のお誘いについて少し考えると、

「嬉しいけど、何度もお世話になるのもずうずうしいし。今日は辞退するね」

「えー、別にいいのに。お姉ちゃんだってヒビくんのこと気に入ってるよ、次いつ来るんだって」

「あはは、でもホントにやめとくよ。ぼくもそうだけど、父さんも気にするから」

 これホント。父さんは人様の好意をちゃんと返さないと気がすまない、神経質なヒトなのです。

 ちなみにその神経はバッチリぼくへと遺伝している。

「んー、そっか。やむなし、では今日は撤退しよう」

 くるりと身を翻すと、イチハさんはにんまり笑顔を浮かべて、

「また明日ね!

あと男の子が男の子の股間を凝視するのはちょっと不健全なんで、早めに自分を見つめなおしておくのがお勧めだよー!」

 なんて大声で叫ぶと、そのまま人混みに紛れて行ってしまった。

「…………」

 周囲の耳目がこちらに向いているのが、目で見ずとも分かる。

 どうやら、色々と、大失敗だったらしかった。

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