理数剣 鞍韻

第1話

 かこーん、とししおどしが長い拍子を刻む。静かな日本庭園に、それはいかにも相応しいといった音だった。

 この巨大な一軒家はちょっとした名家として知られる大和田家、つまりつくねちゃんちである。

 つくねちゃん、コーヒーを誘った薫子さんに対抗してか、ぼくをお茶に誘ってきたのだ。

 この場合のお茶というのは紅茶や中国茶の類いじゃなくって、ガチの茶道。抹茶だ。

 今ちょうどぼくの目の前で、和服に身を包んだつくねちゃんがしゃこしゃこと抹茶を点ててくれている。

 正直、見ていて危なっかしい。つくねちゃんは大の不器用なのだ。

 華道や茶道といった一通りは叩き込まれたらしいけど、お父上曰く「あの娘ときたら、剣以外はどれも最悪でござる」てなもんだ。

 ああほら、言ってる傍から茶筅を吹っ飛ばした!

「し、し、し」

「気にしないよ。ほら、ゆっくり続けてくれていいから」

 おちつけーつくねちゃん、なんて視線に乗せてメッセージを送るけど、よくよく考えたらつくねちゃんてば目合わせてくれないから意味なかった。

 これが京都最強の正体である。何でも完璧にこなせる薫子さんとは対極的に、つくねちゃんという人は剣とガジェット類以外はからきしなのだ。

 点て終わったのか、つくねちゃんが茶碗をすうとこちらに出してくれた。

 受け取って中身を見る。つくねちゃん、お抹茶がメレンゲみたいくふわっふわに泡だってますけど。

「め、め、めしあがれ」

「いただきます」

 ぼくは茶道を正式に習ったことはないので、作法には疎い。辛うじて得た知識も流派が一々ばらばらで、相当怪しい。

 だもんでつくねちゃんと二人きりで飲むときだけは、割と崩してお茶を楽しむ。それこそ、茶屋で一杯飲むのと同じように、お喋りしながらお菓子とお茶を頂くのだ。現にぼくの格好だってシャツとチノパンである。

「うん、おいしいよ、つくねちゃん」

「……お、おひげ、ついてる」

 う、泡が口の周りについてたようです。不覚。

「いやあでも、この間は本当にありがとう、つくねちゃん。助かったよ」

 この間、とは超電磁剣士こと仲邑蒔絵、そして奉行所で起こった謎の怪物による事件のことだ。

 特に前者は久々にヤバいと思った。つくねちゃんがいなければ、ひょっとすると殺されていたかもしれない。

 ぼくがお礼を言うと、つくねちゃんは「べ、べ、べ、べ」とどもりながら、手足をぱたぱたさせていた。恥ずかしがっているらしい。

「あ、あぶないから、さいきん」

「うん。確かに京都にもさ、変な種類の辻斬りが増えたよね」

 先に言った随意剣・木犀もその一つだけど、近年秘剣魔剣の類いを遣った殺人事件が多発している。

 科学の進歩の弊害だ。「犯人の特定は簡単になったが、犯行手口の特定が困難を極める」と薫子さんが愚痴っていたのを思い出す。

 この間はそう……なんだっけ、

「信号待ちしていた人が、突然血を噴出して細切れになった、だっけ?」

 木犀もそうだけど、ここまで来るともうホラーの域だ。都市伝説の一つや二つ生まれてしまいそうなインパクトがある。

「だ、だ、だいじょうぶ」

「え、大丈夫って、何が?」

「ま、まもる、ひびきちゃんは、わたしが」

 うーんうーん、嬉しいやら情けないやら。複雑なお言葉です。

「前も言ったけど、ぼくはもう大丈夫だよつくねちゃん」

「こ、このまえは、だいじょうぶじゃ、な、なかった」

 痛いところを突かれた。確かにつくねちゃんの言うとおり、あの時はぼく一人では結構危なかった。

「と、と、とにかく、しばらくは、つ、ついていく、から」

 つくねちゃんは所在なさげに畳のござをいじりながら、ぼそぼそと呟いた。

 相変わらずの頑固さ。こうなっては仕方がないので、ぼくはここでの説得を諦めた。

「でもさーつくねちゃん。ついてくるって、どこまでついてくるの?」

「お、おうち、いがい」

 ……えー。

「おうち以外って、いくら何でも」

「き、きくみみ、もたぬ」

 弱った。これはつまり、ぼくにはプライベートというものがないってことだろうか?

 腕を組んで、唸る。するとぼくの脳裏に、一つ意地悪な考えが浮かんできた。

 こみ上げる笑いを堪えながら、その考えを口にしてみる。

「例えば、ぼくがお祭りに行っても、つくねちゃんはついてくるの?」

 彼女の顔が、みるみる青くなった。



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇



 京都でお祭りと言えば祇園祭のことに他ならない。

 葵祭りや時代祭り、その他小さな規模のお祭りは年中どこかしかで開かれているけれど、規模を考えればやっぱり祇園祭こそがお祭りなのだ。なんせほぼ一ヶ月を丸々使い、メインの宵山には近隣諸藩から40万とも言われる人が押し寄せる。

 京都で一番賑やかな通りの一つである河原町通りを歩行者天国にするのは、元旦とこの日くらいのものと言えば、その規模がお分かり頂けるであろうか。

 だからその熱気たるや凄まじく、特に猛暑と言われる今年は本当に辛い。

 テスト期間が終わったぼくらは例によってノリで出向いてしまったけれど(毎年のことである)、通りを左から右までびっしり埋め尽くす人と暑さに早くも音を上げていた。「うひゃー、いやあ今年もすっごいねえ」

 そんな中一人気を吐くのはイチハさんこと高幡一葉さん。

 去年と同じくクラスメイトとセール品の浴衣に身を包んで来てみたものの、気付けば皆とははぐれ、いつもと変わらず彼女と二人で露天を冷やかしていた。

 ――いや気付けば、というのはウソだ。ぼくらは自然を装い、あくまで自分達から離れたのだ。

 付け加えると、この後更に二人が離れ、ある一組のカップルだけが残る計算になる。

 そう、今回男女六人であたかも楽しくやりましょうの会は、実はとある二人をくっつけましょうの会だったのである。知らぬは二人ばかりなり、我々四人はテスト勉強もそこそこに綿密に計画を練り、この日を迎えたのであった。

 ここまではいい、上々だ。それでもぼくは心配だった。

「上手くやってるといいけど。都村君、いま一つ押そうとしないタイプだから、決定力に欠けるんじゃないかと心配だよ」

「大丈夫でしょ。たぶん曜子ちゃんがグイグイ来るって」

「そうかなあ」

「お祭りだもん。いつもと違う気分に、」

 イチハさんはくるりと回ってみせると、

「いつもと違う衣装!」

 鮮やかな桃色の浴衣。その袖をぶんぶんと振り回した。

「こら! 超迷惑!」

「ちゅうわけで、いつもと違う気分の二人はそのまま……」

 ヒョー、とバル○グみたいな声を出しながらイチハさんはある方向を指さした。あっちは確か大人の男女が休憩するタイプのお茶屋さん街である。

 ぼくは軽蔑の視線を向けた。

「それはないんじゃない」

 二重の意味で。

「ま、まあ、二人でカラオケあたりに行って、密室でちゅっちゅっちゅ、くらいはしてもらいたいもんですな! ぬはは!」

 おっさん臭いことをおっさん臭い声で言うとイチハさんはからからと笑って、再び屋台の列に目を輝かせ始めた。

「さて、あたしたちは一足早く勝利の味を噛み締めていましょうかね!」

 手前からたこ焼き、ベビーカステラ、射的、わたあめ、ケバブ――だけではなく、周辺のお店が特別メニューを屋台として提供していたりする。

 彼女を横目に一方ぼくは、小さな未練に悩んでいた。

(つくねちゃんを置き去りにした形になった)

 どこでも着いていくと言ってはくれたものの、つくねちゃんはこういう人の多い場所が大の苦手だ。平日の河原町で発熱・発汗・眩暈を起こすレベルなのに、祇園祭に出ようものなら間違いなくサルトル(嘔吐)する。

 一番心配なのは、ぼくの与り知らぬどこかで、彼女が行き倒れているというケースだ。

 念のため事前にメールしておいたし、渋っていたけど了承は得たので、大丈夫だとは思うんだけれど。

「ほら、ヒビくん、またはぐれるぞ!」

「あ、ごめん」

 ぼうっとしていたら人並みに流されかけて、イチハさんに怒られた。

「最近ボーっとしてること多いよね。何か悩みでもあんの?」

「いや、そんなことは」

「一人で悩んだっていいことないぞ、青少年。あたしに話してみるがよし」

「大丈夫だよ」

「心配ないって。ヒビくんがホモでも、あたし、友達やめないから!」

「ええー……」

 まだその疑惑が解けていなかったのか。絶望のあまりぼくは足を止めてしまった。

「ほら、きりきり動く!」

 そんなぼくの手を掴んで、イチハさんが引っ張る。

「う、うわ」

 熱い掌。汗で濡れたそれに触れて、思わずどきりとする。

 何て言うか、イチハさんは時々無邪気が過ぎる。思わず意識しないよう努めていた女性らしさを、ある瞬間はっと思い起こさせるような行動を取られるのだ。

 彼女は友達だ。男女の別なく、楽しくやれる。だから、こうして上手くやっていけている。

(――もし、友達じゃなくって、)

 やめよう、と考えを押し殺す。今以上を望むなんて、あまりに贅沢だ。

 それに、

「ああー! コスプレ集団発見!」

 幾ら楽しくやれても、彼女とは色恋を語る関係にはなれそうにない。

 前の方を指差しながら大声を上げるイチハさんに、ぼくは改めて苦笑した。

「あんまりものめずらしくしちゃダメだって」

「だ、だって、すげえぜあれ、カツラまで完璧に……! あ、あれはテニ○リの立海大付属のジヤージ……!」

 山鉾なんてそっちのけ、イチハさんの目は通りを練り歩く仮想集団に釘付けだ。

 しかし、とぼくもつい目を向けてしまう。白に青にピンク、蛍光色が眩しい。浴衣で着飾った人が多い中、圧倒的な存在感だ。

「メイドさんもいるね」

「ありゃあ邪道です」ふんす、と鼻息荒くイチハさんが吐き捨てた。

「厳しいね、ただのコスプレだってのに」

「一度ヒビくんも本物のメイドを見るべし。人生が変わる」

 それ、二択や三択突き詰めていくスタイルの人生じゃないだろうね。

「……それとも何かい、ヒビくんはホモだからメイドに気はないってかい」

「うるさい! ぼくはホモでもなし、メイドにだってそこまで興味がない、まっとうな武家の子です!」

 言うとイチハさんは苦笑して、

「ま、ヒビくんは確かにまっとうだよね」

 と言って、再び山鉾に目を移した。

(武家の子は、余計だった)

 ぼくは心中で、自分の発言に後悔していた。そういう身分の差を感じさせず付き合ってくれるのは、彼女の方なのに。

 気まずくなって、つと目を逸らす。不意に、視界に屋台の暖簾が入った。

(回転焼きか)

 別名大判焼き。思い立ったぼくは白あんとカスタードを注文して、手早く二百円を財布から取り出し、包みを二つ受け取った。程よく暖かい。夏でも無理せず食べられそうな温度だ。

「イチハさん、甘いの食べる……っていないし!」

 振り返ればヤツはいない。道理で静かだと思った!

 たまに善意を振舞おうとするタイプの人は、扱いなれていないせいで空回りしがちである。これを善意の空振りと密かに心の中で名付けていたのだけれど、まさか当の自分が三振を喫するとは。

 今ならまだ何とかなる。ぼくは回転焼き二つを左手に抱えると、スマホを取り出し、イチハさんの番号にかけた。電波が混雑しているらしく、呼び出し音が鳴るまでかなり時間がかかった。一度、二度――八を数え彼女との合流を諦めかけたその時、彼女の声がスピーカーから聞こえた。

「もしも――」「みぎ! みぎ!」

 首を振ると、見覚えのある薄桃色が目に飛び込んできた。イチハさんが道路の端っこで、ぶんぶんとこちらに手を振っていたのだ。

 人波をかきわけかきわけやっとの思いで道を横断したぼくは、思いがけない光景に出くわした。

「……知り合いの子?」

 首を振るイチハさん。

 彼女の足には一人の男の子がしがみついていた。紅潮した顔をくしゃくしゃに歪めて、しゃくりあげている。

「まいごっぽい」

 とだけ言ったイチハさんに、ああ、と頷く。

 この短い間に、なぜか保護者とはぐれた男の子を見つけて確保するのがイチハさんという女の子である。これが類友力かと唸るけれど、そうなると自動的にぼくもイチハさんの類にカテゴライズされるという、大変不名誉な結論に至ってしまった。

 しかし、

「弱ったな」

 この人混みだ、早々簡単にはぐれた保護者が見つかる筈もない。

「とりあえず同心さんに話そう」

 今日は交通整理で大勢の同心さんが道に出ている。こういうケースにも手馴れているに違いない。

 せめて、とぼくは手に持っていた回転焼きを男の子に差し出したが、かえって不安を煽ってしまったのか、いやいやと泣きながらイチハさんにしがみついた。

「おーおーよしよし、ヒビくんは怖いでちゅねー」

「…………」

 不本意である。

「ま、まあ、ともかく同心さんに相談だ。行こう」

 先導しようとする。が、どこかに連れて行かれると勘違いしたのか、男の子の泣き声が増す一方だ。子供ってのはそりゃあもうこの世の終わりを迎えるような勢いで泣くもんだから、喧騒の中でも目立つ目立つ。うろたえるぼくに、ギャン泣きの男の子と、それをあやすイチハさん。その構図、傍から見るに――

「おい、あの親子随分若いぜ」

「ホントだ。幾つの時の子だよ」

「ったく、最近の若いのは」

「苦労してんのかねえ。旦那の方、思いつめた顔してるぜ。ノイローゼになってんじゃねえか」

 超不本意である!

 色々と理不尽に衆目を惹きつけておろおろしていると、ある一人の女性が、人混みをかき分けぼくらの前にふらりと出てきた。

「まあ」

「――――」

 一瞬その場にいる全員が、その女性に目を奪われた。ぼくも例外ではない。

 いや、本当、驚いた。

 つくねちゃん、薫子さん、イチハさん――のお姉さん。我ながら綺麗どころには見慣れていたと思ったけれど、

(すっごい、美人)

 まるで花の様だ。目を丸くして口に手を当てるその女性――メイドさんを見て、ぼくは陳腐な感想を抱いた。

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