第5話

「改めて謝罪させて欲しい、響君。この通りだ」

 オーダーが運ばれ終わったと同時に、対面に座る薫子さんが深々と頭を下げてくる。

 あまりに畏れ多くって、慌てて手を振った。

「勘弁してください。ぼくは結局無事でしたし、つくねちゃんに連絡してくれたんでしょう?」

 どうやらぼくが奉行所から帰った後、薫子さんがつくねちゃんに電話していたらしい。その時話を聞いていたから鞘を借りに来たことに不信を抱いて、こっそりぼくのスマホに忍ばせていたアプリを起動させ、ずっとGPSで位置を把握していたのだとか。

 はは。いやあ、

(おっかねえ)

 一体いつやられたのだ。必死に探して消したけれど、つくねちゃんのことだ、似たようなアプリをもう二三個くらい隠れて入れててもおかしくはない。ちくしょう、何であんなにガジェットに強いんだよう、あの子ったら……!

「でもお陰で助かりましたよ。ぼくの方こそ、ありがとうございました」

「……そう言って貰えると気が楽になるがね。いや、次からは僕もちゃんと警邏に出よう」

 薫子さんの顔色は晴れない。一歩間違えればぼくが殺されていたかもしれない、それも自分のせいで――と考えているらしかった。責任感は人一倍強い人だから、必要以上に己を責めちゃったりしているんだろう。

 ぼくは努めて明るく振舞った。

「ご心配なく。それよりほら、ケーキ食べましょうケーキ」

 ここは三条沿いの、とある茶店だ。

「どうか礼と詫びをさせてくれ」と神妙な声色が流れる電話を受け取ったのが昨日のこと。事件はとっくに過去のものだけれど、薫子さんからのお誘いとか垂涎モノだ。テンションは上がりっぱなしで、やってくるケーキを片っ端から口に放り込む。

「奉行所はどうですか、まだお忙しいんですか?」

「いや、君達のお陰で本当に助かった。謎の連続刺殺事件は終了だ」

 それはよかった、と頷く。

「身体を張ったかいがありましたよ」

「まったく、これきりにして欲しいな。生きた心地がしなかった」

 笑ってみせたが、薫子さんは渋い顔のままだ。ううん、場を明るくしようと思ったんだけれど、外したっぽい。

(大体、身体を張ったって言っても、結局負けたし)

 意気揚々と出かけて惨敗とは、正直ショックが大きい。確かに相手の剣は正統なものではなかったけれど、昔のぼくならあそこまで一方的にやられたことはなかった筈。改めて自分の弱さを実感すると、本当に気が重くなる。

「目が澱んでいる」

 指摘され、慌てて顔を上げる。薫子さんは薄っすらと微笑んでいた。

「悔しいかい、負けたことが」

「……ええ」何とか頷いたけれど、この感情を説明する気にはなれない。

「気に病むことはないよ。今回の手合いは例外中の例外だ。強弱の序列からは無視して良い」

「いや、そんな」

 そんな簡単に割り切れない。言うと、薫子さんは人差し指を立てて、

「つくね君が巧く斬ってくれたお陰で、犯人――仲邑蒔絵の刀の絡繰が良く分かったよ。中には超伝導磁石がびっしり詰め込まれていた。背中のリュックサックにはバッテリーと液体ヘリウムタンクが入っていたな」

「超伝導磁石?」

 いきなり出てきたSFな単語に、ぼくはやや面食らった。

「金属は電流を流す、いわゆる導体であることは知っているね?」

「あ、はい」

 さすがにそれくらいは知っている。授業でも今まさに、フレミング右手の法則に苦しんでいるところだ。

「しかしどんな金属でも、僅かに抵抗を持っている。ほんの少しと侮るなかれ、例えば発電所から各家庭まで長距離に渡って電気を送る場合、この抵抗が想像以上に厄介になる。電線には何千何万ボルトという電圧がかかっているが、これは電線に含まれているごく僅かな抵抗の影響を少しでも弱め、電流を減らすためだ」

「はい」分かっていないけれど分かっている風に見せたい時用の相槌を、ぼくは打った。

「ところがある物質に限って極端に温度を下げてやると、抵抗が突然ゼロに近い値を示すようになる。これが所謂超伝導、およそ百年前に発見された現象だ」

「百年も前!?」

 びっくりする。そんな前からリニアモーターカーの原理が分かっていたなんて!

「この超伝導、使い道は色々だけれど……例えば、導線に電流を流し続けても、発熱で焼ききれる、ということがなくなる。抵抗がゼロに近いからね。すると発生する磁場をかなり強いものにすることが出来るのさ」

「はあ……」

「強い磁場。心当たりはないかい?」

 一瞬戸惑ったけれど、浮かび上がるものがあり、ぼくは思わず膝を打った。

「まさか、あの剣は」

「思い出したようだね。仲邑蒔絵の剣に仕込まれた超伝導磁石は、相手の刀を引き寄せることができる。刀の殆どは鉄で出来ているからね」

「でも、北村さんの剣は、」

「ステンレスにも磁性体と非磁性体がある。北村伊織の剣は磁性体のステンレス、仲邑蒔絵の剣は非磁性体のステンレスで作られていた。シンクに使われているような材質でね、強度は劣るが、磁石によって引き寄せられることはない」

 唖然とする。斬り合いの最中に突然引き寄せられた力の正体は、見えない力、磁力であったのだ。それならば北村さんがむざむざ斬られたのにも理解が及ぶ。そんなの、普通なら考えもつかないことなのだから。

 だから彼女が最後に取り出した刃物は、セラミック製だったのだろう。磁場の影響を受けないように。

「そういった意味でも、つくね君には助けられたな。相性が悪いと思っていたが、その実真逆だ。仲邑蒔絵の剣では、つくね君の前にはなす術もないだろう」

 薫子さんの言葉に、ぼくは頷いた。つくねちゃんは、鉄を斬れる。

 『斬鉄剣 秋桜』――打ち合う刀を悉く両断する彼女の秘剣は、刀という侍のアイデンティティを破壊する掟破りの絶技だ。それを知らずに引き付けたが仲邑蒔絵の最期、超伝導磁石と共にすっぱり二つに刀が割れたその光景は、ぼくの網膜にまだ焼きついている。

「つくね君に礼を言っておいてくれないか。僕からだと角が立つ」

「ええ、はい――あの」

 現実に引き戻される。逡巡したぼくは口を開きかけたが、

「あの、つくねちゃんと、昔みたいにもう少し仲良くしてはくれませんか」

 その一言が、どうしても口を突いて出てくれなかった。

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