第20話 嵐の前

 時刻は午後3時。

 駐在が玄関の入り口近くに立ち、外の様子を注意深く伺っている。

 私とトネリは部屋の奥で抱き合っていた。

 震えが止まらない。


「逃げるって言っても、どうやって村の外に出るのよ。」

 駐在が目線だけをこちらに向ける。

「駐在所の地下には秘密の地下道がある。そこから村の外に逃げられる。」

 私とトネリは唖然として顔を見合わせた。

「もちろん児玉さんは知っているだろうがな。」

「そもそも、今、児玉さんは駐在所にいるじゃない。」

「児玉さん自身は動けない。問題は兵隊どもだ。」

 駐在はまた外に視線を戻す。俄かに彼の腕に力がこもるのが見えた。

「来やがったぞ。静かにしとけよ。」

 トネリを抱っこして、部屋の隅に隠れる。

 部屋の中は物音一つしない。さっきは気づかなかったが、外から小さな音が響いてくるのがわかる。

 

 ザクザクザク。

 

 石混じりの砂を踏みながら近づいてくる。人間の足音のはずなのに機械音のように無機質で、正確なリズムを刻んでいるように聞こえる。さながら軍隊の行進だ。

 

 ザクザクザク。

 

 軍靴が近づいてくる。

 駐在は身を屈めた。手には拳銃。乱れた呼吸。額には大量の汗。

警察でもない素人の彼が本当に撃てるのだろうか。

 

 ザクザク。

 

 ザク。


 足音が止まった。

 どうやらまだ家の前ではないようだ。

 兵隊達に動きはない。

 

 駐在の方を見ると、彼も目を見開いて私を見つめていた。

「誰かいるのか?」

 小さな声で私に外の様子を確認するよう促す。

 カーテンを捲らずに僅かな隙間から伺った。

 

 少し離れたところに何人か村人がいる。橋じいがいるのは分かる。権田や哲やん、金田らはいないようだ。児玉の姿もない。

 誰かを取り囲んでいるように見える。

 彼らは何か真面目に話をしているようだが、伺いしれない。


「おい、どうなってるんだ?」

 駐在が痺れを切らして聞いてきた。

「分からない。でも、何か話し合ってるみたい。」

「ねえ、香澄、あの人。」

 私の下で一緒に窓を覗き込んでいたトネリが村人の方を指す。村人たちに囲まれた真ん中に知った顔がいた。

「あっ。」

 私も思わず声を上げた。

 一人小さな身体。丸々とした体格に赤いほっぺ。

 スミ婆さんの孫、越野ゆきだった。


 何であの子が村人と一緒にいる?

「・・・・・・襲われてないよね。」

 トネリが不安そうに呟く。そんな様子はなさそうだ。

「おい、だからどうなってんだ。」

「スミ婆さんの孫がいるわ。」

「何?」

 駐在が驚いてこっちに駆け寄ってきた。

「どういうつもりだ?まさか児玉さんの協力者じゃないだろうな。」

「考えられないわ。あの子は村の外の人間よ。それに自分の祖母のことさえ疑ってる。この村の人間には最大限の注意を払っているはず。」

「・・・・・・こっちに来るよ。」

 トネリが私にしがみついた。話し合いが終わったのか、彼らはあらためて私の家に歩を向けてきた。

 ゆきも一緒だ。

 私は固唾をのんだ。駐在が玄関で待ち構えるが、身体は震えている。

 やがて彼らは玄関前までやってきた。

 私はトネリを抱きしめた。

「香澄さん、安心してください。この人達は問題ありません。」

 ゆきの声だった。私達3人は顔を見合わせた。

「村人の正体も知っています。児玉さんのことも。その上で言います。ここにいる人間達は大丈夫です。」

 果たして信用してよいのか。

 村人の中には児玉さんの配下じゃないものもいるのだろうか。

「信用できない。」

 駐在が呟いた。

「処置は完璧のはずだ。例外などいないはず。」

 駐在は自分に言い聞かせるように言った。確かに安易に信じられる話ではない。

「香澄ちゃん!俺達は今からスミ婆さんの家に行く!来たかったら後からでもいい!来てくれ!来たくねえなら構わねえ!」

 今度は橋じいの声だ。いつものトーンとは違う。どこか切羽詰まった声。

 どうなっているんだ。私は混乱してきた。

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