第6話 雨の日②
駐在が慌ただしく集会所に入ってきた。そして真っ直ぐに私の方に向かってくる。
「すまん、手を貸してくれ!児玉さんが危ないんだ!」
駐在はいつもの横柄な態度ではなく、私の前に座り、頭を下げた。周囲に聞こえないくらいの声量だったが。
「何があったんですか?」
「川に流されたんだ。何とか助けたんだが、岩にぶつかったらしく怪我をしている。駐在所で保護してるが、手当をしないといけない。」
「何人かで行きましょう!人手があった方がいいわ。」
「いや、駄目なんだ・・・・・・。お願いだ。君だけで来てくれ!」
駐在は周囲に聞こえないように絞り出すような声で言った。
「・・・・・・分かりました。」
私は立ち上がった。これだけ人がいるのに何故駐在が私に助けを求めてきたのか、何故集会所に児玉を連れてこないのか、など疑問に思うことは多々あったが、今は構っていられなかった。まずは人命を優先だ。後で問い詰めてやる。
「おい、香澄ちゃん、大丈夫か?何かあるんだったら俺達も行くぜ。」
橋じいが声を掛けてきたが、大丈夫、と言って断った。駆け足で出ていこうとした時、私のジーンズを引っ張る手に気が付いた。
「香澄、行かないで。」
トネリだ。寂しそうな目で見つめている。足が動かなくなった。
「大丈夫よ。すぐに戻るから。」
「怖いの。一緒にいて。」
トネリの大きな瞳が潤み、涙が零れた。私は躊躇いながらトネリを抱きしめた。
「分かったわ。でも児玉さんを放ってはおけないわ。だから、トネリも一緒に来て。」
こんな雨の中でトネリを連れていくのは正直嫌だ。でもこのまま置いていけば、集会所を勝手に飛び出してしまうかもしれない。ならばせめて手の届くところに居てほしい。
トネリは困っていた。大雨の中を歩かなくてはいけないし、何より児玉が苦手だ。だが、首を弱々しく縦に振った。
「いいでしょう。駐在さん。」
「・・・・・・仕方ない。早く来てくれ!」
「うん、行きましょう。トネリ、手を離さないでね。」
珍しく駐在の聞き分けが良かった。他の村人と違い、トネリが児玉の事を知っているから許可したのかもしれない。裏を返せば村人に児玉の存在を知られたくないという事なのだろうか。
片手で傘をさし、もう片方の手はトネリの小さな手をしっかりと握り、大雨の中を駐在所まで走った。
「広い!綺麗!」
辿り着いた駐在所の中に入るなり、私は間抜けな声を上げてしまった。駐在所の中はフローリングと畳の部屋が2部屋づつあり、更にキッチンや水洗トイレも完備されていた。外観からは分からないが、浸水対策に床は底上げしているし、強烈な雨音も響かないくらい防音加工もしっかりされていた。エアコンや電気ケトル、清潔なベッド等もあり、かなり快適だ。
「電気も水道もガスも通ってないんじゃなかったの?」
「ここは特別だ。」
駐在は畳の部屋の障子を開けると、布団に横になっている児玉がいた。
大きく息を吐き、苦し気に顔を歪めている。
「児玉さん、大丈夫かい?今手当してやるからな。」
駐在が声をかけると児玉は弱々しく笑った。駐在が布団を捲り上げると、右太腿には包帯が雑に巻いてあり、血が滲んでいた。
「あなたが手当したの?」
「どうしていいか分からなかったんだ!」
「包帯を替えるわ。私がやるから薬箱を持ってきて。あと、タオルとお湯。それくらいあるでしょ!」
私に言われるまま、駐在はお湯を沸かし、洗面所に積んであった綺麗なタオルを3枚持ってきた。
児玉の足に巻かれた包帯を取り、タオルをあてがい血を吸わせる。その後、抗菌薬を塗ってから新しい包帯を巻いた。
「折れてはなさそう。氷ある?」
駐在は台所から氷を持ってきた。患部に当てて止血を試みる。いい方法とは思えなかったが、児玉は少し落ち着いたようだった。
処置が一段落し、児玉の呼吸が落ち着いていくと、私はトネリの身体を引き寄せて自分の膝に座らせた。
「行政の人を呼んだ方がいいんじゃないですか?」
私は眠りについた児玉を見て言った。しかし、駐在は首を横に振った。
「呼んだよ。だが、いつ来てもらえるか分からない。」
「児玉さんは何者なの?村の人達は児玉さんの事を知らない。だから私を連れてきたんでしょ。」
知らないどころか児玉の名前を聞くだけで奇妙な反応を見せた事は黙っておいた。
「この村の人間だ。」
「こんな小さい村であなたとトネリしか知らないのに村人?信じられると思う?」
「村人なんだよ、間違いなく。」
駐在はいつもの威圧的な様子はなく、困ったように眉を顰めながら言った。
「人間関係の問題なんだ。これ以上聞かないでくれ。」
駐在はそれ以上何も言ってくれなかった。しかし、いわゆる好き嫌いの人間関係と割り切れるほど単純なものとは思えなかった。
「じゃあ質問を変えるわ。あなたと児玉さんはどういう関係なの?」
「児玉さんは足が不自由だから俺が生活のサポートをしているんだ。」
「本当にそれだけ?あなたは児玉さんの言うことは聞くみたいだけど。」
駐在が私の滞在を認めたのは児玉の口添えがあったからだ。
駐在は黙った。明らかに不機嫌そうだった。
「まるで彼が村長であるみたいにね。」
「児玉さんはあの時、君が偶然この村に来たのではないと言ったんだ。」
私は目を丸くした。
「どういう意味?」
「俺には分からん。俺は君の滞在に頑なに反対した。村の秩序を乱すようなことは勘弁してほしいからな。だが、児玉さんは君が村に居る事で良い何かが起こるとも言った。」
児玉は私に何かを期待しているのだろうか。村に良い事が起こる?自分では全く想像出来ない。
だが、駐在の言葉と裏腹に、この二人の間には上下関係があることはおそらく間違いないだろう。駐在は児玉の言う事には従い、命の危険があれば毛嫌いしている私の手も借りようとする。
だから、児玉と村人が人間関係で揉めている、というのも疑わしい。もし本当にそうであれば、この村で孤立無援の児玉に従う理由は全くないからだ。むしろリスクさえある。
やはり駐在は児玉を村人から遠ざけようとしている。その理由は聞いても教えてもらえないだろうが。
「もういいか?」
しかめっ面の私に駐在が言った。トネリも心配そうに私を見つめている。
「じゃあ最後の質問。私が「たまたま」この村に滞在していて助かったでしょ?」
これはもちろん駐在への皮肉だ。得意気な私の顔を見て駐在も思わず苦笑いを浮かべた。
「ああ、助かったよ。・・・・・・雨の日だけは居てもらっていいぜ。」
憎まれ口は相変わらずだが、以前より大分柔らかい口調だった。良い人間とはとても思えないが、以前ほど悪い人間とは思わなかった。
「香澄。」
腕の中のトネリが呟いた。
「どうしたの?」
トネリは私の腕をぎゅっと引っ張った。私がトネリの身体に覆い被さるような恰好だ。髪の毛から背、ヒップのラインまで密着し、恥ずかしくなってくる。
トネリは何も言わない。ただ私の腕を引っ張るだけだ。されるがままの私に、トネリは不貞腐れた顔を向けた。
「ごめんね。駐在さんとばっかり楽しそうに話すから。」
私は驚いて思わず駐在の方を見ると、彼もまた同じような顔をしていた。
まさか、嫉妬か!
胸がむずかゆくなるような嬉しさがこみ上げてきた。全力で彼女の機嫌を取りたくなる。
「なあに、寂しかったの?甘えんぼさん。」
「違うよ。」
トネリは慌てて否定したが顔は真っ赤だ。子ども扱いされたこともあるが、嫉妬が見破られた恥ずかしさもあるだろう。とても可愛らしい反応だ。
ニヤニヤと笑う私と、そんな私に捕まって腕の中でゆでだこになっているトネリ。
駐在はその光景が余程不思議だったのか、呆気にとられた顔をしていた。
「トネリがここまで懐くなんて驚いたな。」
「何よ。私がトネリの事、大好きなんだからいいじゃない。」
さらりと言ったが、言葉にすると心臓が高鳴った。
「そうかもしれんが・・・・・・いや、そうか。トネリはもっと広い世界にいた方がいいのかもしれないな。」
駐在は、苦い表情に似合わない優しい声で呟いた。
私はトネリの事も駐在に聞きたかった。彼女は何故一人なのか、何故あんな場所に住んでいるのか、出自や年齢、両親の事、どうやって生活しているのか・・・・・・聞きたいことは山ほどある。
しかし、トネリ本人がいる前で聞くわけにいかず、トネリは離れる気配がない。
こんな幸福感を感じる状態でも、私は相変わらずすっきりしなかった。
私は、この村の事は結局「何も分かっていない」のだ。
外では、雨がようやく勢いを失っていた。
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