第17話 優しい指
後日、トネリのいない場所でゆきに会い、お互いの知る情報を伝えあった。
私がゆきに伝えた情報は2つ、この村の住人が皆、元凶悪犯であり、製薬会社が作った脳のチップにより記憶を制御されていること、そして、児玉と駐在が権田の記憶を蘇らせたら私を村から解放すると約束したことだ。
児玉達の目的や、権田がどういう罪を犯したか、などは伝えていない。彼女にこの村の危険性を伝えるのと、私がどういう立場に置かれているかを伝えただけだ。
孫である彼女にスミ婆さんにかかる疑いを伝えるのは躊躇われたし(最も、過去の事件から彼女はかなりスミ婆さんを疑っているが)、児玉達の正体を伝えるのは自分にも彼女にもリスクがあると思ったからだ。その上で、児玉と駐在には近寄らないよう伝えた。
ゆきは驚き、恐怖を隠せない様子だったが、暫くして腹を括ったように頷いた。
一方で、彼女の持っている情報というのは私にとって特に有益なものではなかった。
彼女が調べたというスミ婆さんと夫の過去や、その事件のこと、それから彼女の父親がこの村の駐在であったことなどだ。
ただ、一つだけ有益な情報があった。彼女の父親が間違いなくこの村で殺された、ということだ。哲やんの話からもおおよそ想像できたが、これで確実になった。
彼女の父親がこの村で殺されたことから、権田がこの村か、あるいは彼を殺してこの村に死体を遺棄したか、となるので、権田はこの村の存在を元々知っていたということになる。
「権田って人の記憶を戻すのに何か方法はないんですかね?」
ゆきが私に困った表情で尋ねた。
「あの人達は徐々に戻ってるとか言ってたけど、いつになるかわかんないね。」
「一生戻らないかも。」
「やめてよ。」
「権田って人は何を知ってるんでしょうか。」
「さあ。知りたくもないわ。きっとあなたの求めてることじゃないわね。」
私は嘘をついた。彼女の立場を考えると、この村にいない方がいい。
「じゃあ、私は村を出て、情報を探します。」
「前から思ってたけど、あなたは自由に出入りできるの?」
「村の奥にずうっと進んでいけば、村から出られます。自転車で2時間かかりますが。」
彼女はそう言ってスミ婆さんの家がある方向を指さした。木々が隙間なくそびえ立つ闇の中だ。例えそこから逃げようとしても、駐在と児玉に後で見つかって酷い目に合う気がする。胸の中に留めておくことにした。
「それでは、次は三日後に来ます。」
そう言うなり、ゆきはあっという間に自転車で去っていった。
ゆきと別れた後、私は考えていた。
権田自身の記憶が戻れば一番早いのだが、それはいつになるか見当もつかないし、元の彼がそもそも話ができる人物なのかも全く不明だ。
ならば、情報源は限られる。
スミ婆さんと児玉には話は聞いた。彼らにより突っ込んだ話を聞くことは危うそうだ。疑われる恐れがある。
そうなると、次に聞く人物は一人、駐在だけだ。
しかし、それには覚悟が必要だ。なんせ相手は拳銃持ち。しかも性格は相当悪い。
今は機会を待とう。
トネリはここ数日の私の動きを不安がっていた。
しきりに私に「大丈夫?」と聞いてくるのも、私が何かに巻き込まれるのを恐れてのことだろう。
「香澄、最近元気ない。」
夕食を食べながらトネリがぽつりと零した。
「そうかな、いつもどおりよ。」
「あの子によく会ってるね。」
唐突に言われた。口調は穏やかだが表情は明るくない。
「この村の人じゃないよね。知り合いなの?」
「いや、この村に来てから知り合ったのよ。私達が村から出るために協力してくれてるの。」
「村を出るって私聞いてない。」
しまった、と思った。確かにはっきりと言っていなかった。トネリもいる場でゆきに対して「そのうちね」とは言ったが。トネリは明らかに沈んだ様子だ。
これが普通の「女子」なら「は?何?聞いてないんだけど。」って感じだろうか。
「ごめんね。やっぱり色々考えたんだけど、この村は危ないから。トネリと二人で逃げられたら、と思って。」
「じゃあ何で相談してくれないの?」
トネリの瞳がじわっと潤んでいく。私は慌てた。トネリは意外と寂しがりだ。
「香澄、ずっと元気なかった。でもいっつも私には何も言ってくれない。」
「トネリを巻き込みたくないから。」
「私、香澄と一緒に頑張る。香澄を助けたい。」
衝動的にトネリを抱きしめる。彼女は腕の中でじたばたしていたが、やがて諦めたようにおとなしくなった。
「ごめんなさい。香澄は私を心配してくれたのに・・・・・・。」
トネリは上ずった声を出した。
「ううん。私こそごめんね。内緒にするつもりはなかったの。でも、トネリを危険に晒すのだけは避けたいから。」
「香澄、私達、どうしたら村を出られるの?」
トネリが私の胸からひょこっと顔を出す。真っ直ぐに聞かれると辛い。
「私も分からないけど、その方法を探してるの。」
トネリはくすっと笑った。私の嘘を簡単に見抜いた、少し悪戯っぽい笑顔だ。
「さっきあの子が協力してくれてる、って言ったのに?」
私も香澄のこと、少しは分かるんだよ。自慢げに笑う。それはそれで子供っぽくて可愛いのだが、存外鋭い子だ。嘘は通じない。情けない限りだ。
私は権田が記憶喪失であるため、彼の記憶を取り戻せば村を出られる、とだけトネリに伝えた。児玉と駐在が望んでいることは極力避けて話したつもりだが、トネリは気づいているようだった。私の様子がおかしくなったのは、児玉の様子を見に、駐在の家に行った時からだった、というのが彼女の弁だ。
権田と児玉。共にトネリの「天敵」とも言える存在だ。どっちに転がってもトネリにとっては苦痛でしかない。
トネリはうーんと首を傾げていた。
そして、もう一度首を捻ったあと、信じられないことを言った。
「私と権田さんがきちんと話せば権田さんの記憶、戻るかも。」
意図が理解出来ず、はあ、と間抜けな声を出してしまった。とうのトネリは大真面目だ。
「権田さんは私の両親を知ってるから。私とも面識があったはず。」
今まで避けてきたが、権田と向き合えば彼の記憶を呼び覚ますことが出来るかもしれない、と言う。
「香澄、私は本気で言ってるの。香澄が村を出たいなら一緒に行く。私は、そのためなら何でもする。怖くても権田さんと話す。」
「でも、それは駄目だわ。危険よ。記憶を取り戻した権田さんがどんな行動をとるか予測が出来ない。」
「その時は」
私の手をぎゅっと握る。顔が近づいてくる。ドキリとした。
「目いっぱい、一緒に逃げる。」
きょとんとした。当のトネリは本当に真面目に言っているのだ。私は不謹慎にも噴き出した。
「何で?」
彼女の膨れた顔もまた可愛らしかった。
「ごめんね。可愛くて。」
私は彼女の頬に口づけた。白い肌が林檎のように赤くなる。
トネリの言う方法に根拠はない。しかし、このまま待ち続けてもトネリが無謀なことをしかねない。
トネリの安全だけは確保しなくてはならない。実行には協力者が必要だ。
となると、ゆきや児玉では話にならない。やはり駐在の協力が必要だ。
「香澄。」
トネリが甘えたように私に抱き付いてくる。私に対して明確な好意の言葉はないが、彼女の行動はそれを十分に感じさせる。
私は彼女の柔らかい身体を抱きしめ、床に寝そべった。トネリが顔を摺り寄せてくる。
「香澄の手、好き。」
トネリはそう言いながら私の手をとる。トネリの小さな指を逆に絡めとる。
「特徴のない指よ。」
「ううん。優しい指。」
トネリが私の人差し指に唇を寄せる。好意を隠さない私に、トネリもまた毒されているように思う。
「あは、優しい指。初めて聞いた。」
「すべすべしてて、柔らかくて、触るととっても落ち着く指。」
トネリが目を細めながら私の指を頬に当てる。少し意地悪したくなった。
「気を付けて。悪いことするかもしれないから。」
「悪いこと?」
トネリが不安そうな顔をする。
「そう。指は片手五本。両手でその倍。あなたが優しいと言ってくれる指はどれ?それ以外は優しくないかもしれない。」
私の言葉にトネリは首を傾げる。私はトネリの顎をつるんと撫でた。
「もうちょっと年を重ねたら分かるわ。だから、一緒にいましょう。」
思わせぶりにそう言って唇を奪う。子供にやられっぱなしでは癪なのだ。
私は彼女を守る。そのための手は尽くす。
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