第4話 村人②

「いつまでいるつもりだ。自給自足なんて気の遠くなりそうなことをするな。」

 ほらみろ。すぐに前言撤回だ。

 次の日、土をひっくり返している私を見て駐在が放った一言でそう思った。

「食料を確保しなきゃ生きていけないので。」

「興味本位でこんな所にいるなって言ってるんだ。」

 やや不愛想な私の答えを不快に思ったのか、駐在は声を荒げた。そんな彼の様子に少し驚いたが怯むことはない。悪いことをしているわけではないのだ。

「こんな所では野菜は育たない。まして君のような素人がそんなことをしていてはすぐに辛くなるだけだ。食料だったら必要な分は差し入れしてやる。」

 また偉そうに、と私は思った。

「いりません。そもそもあなたはどこから食料を手に入れてるんですか。」

「呼べば行政が来ると言っただろ。その時に大量に入れて駐在所と倉庫に保管している。」

「倉庫?」

「村はずれにあるんだ。鍵は俺が管理してるから言っても無駄だ。道が不安定だから絶対に近づくなよ。」

 ふん、と息を荒げて言う駐在は、私にとってどこまでも不愉快な人間だった。

「行政の立ち入りがあるのに、何であなたがそこまで管理しているのですか。」

 私のこの言葉は、閉ざされたこの村で不当な権力を振りかざす駐在への怒りから出た一言だったが、彼にはよっぽど気に障ったようだった。

「知るかよ。ふん、上からの命令だ!じゃなきゃこんなとこ誰がいるか!」

「そうなんですか!自分の境遇に文句言ってるくせに偉い人にはひたすら従順なんて、つまんない人!」

 さっさと出てけ、と言わんばかりの敵意を身体中から発している駐在に私も怒りを隠さなかった。

「このガキ!」

 駐在が顔を真っ赤にしたとき、道の方から初老の男性が歩いてくるのが見えた。恰幅のよい男性だが、右足を引きずっており、杖を突きながら歩いている。

 駐在はその男性を見て少し冷静さを取り戻したらしく、わざとらしく手を広げた。

「どうしたんですか、新さん。この方は?」

 老人が私を見ながら尋ねる。白髪を後頭部で束ね、サンタクロースのように真っ白な髭を口の周り一杯に伸ばしている。

「どうもこうもないよ、児玉さん。この娘がここに居座ると言うんだ。」

「ほう・・・・。」

 児玉、という老人は私を感心したように見つめてきた。きゅっと目を細めると目尻に皺が集まった。

「いいじゃないか。」

「本気で言ってるのか!俺は絶対反対だ!」

 児玉が笑いながら言うと、駐在は両手をオーバーに上げ下げして異を唱えた。児玉がゆっくりと駐在に手招きする。駐在が渋々近寄ると児玉は彼の耳に何か耳打ちした。

 児玉は駐在と二、三言交わした後、駐在の肩をポンと叩いた。駐在は私の方を一瞥した後、乱暴に自転車に乗りその場を去っていった。

 呆気にとられる私に児玉はにこりと笑いかけた。

「お嬢さん、何でこんなところに来たのかね?」

「偶然です。」

「しかし、ここに留まるのは理由がありそうだね。だが、深く聞く気はないよ。新君は少し感情的なんだ。いい奴なんだがね。」

 児玉はゆっくりと話した。落ち着いた語り口で知的な印象を受ける。正直、この辺境の村からは浮いているような気がした。児玉は一瞬考えている素振りを見せたが、私を見てにこりと微笑んだ。

「さっきは駐在さんと何を話したんですか?」

「君がこの村に留まることについて文句を言わないようにお願いしたんだ。」

「よくあの嫌味な駐在さんが納得しましたね。」

「まあ年の功だよ。彼は仕事に対してあまりに忠実だからね。気持ちは分かるが、あそこまであからさまではちょっと良識に欠ける。」

 そう言う割に、児玉は少しも嫌そうな素振りを見せない。駐在との付き合いはそれなりにあるらしく、彼の性格や扱い方も良くわかっているようだ。

「あれで優しい男なんだ。私のように足が不自由な者がこの村で生きていくのは楽なことじゃない。彼は私の生活をとても助けてくれているよ。」

「いい人なら話し方に人間性が出そうなもんですけどね。」

 駐在とのやりとりで苛々していた私はつい口調が荒くなってしまう。

「あれが彼の正しい姿かはわからんね。」

 急に思わせぶりな口調で児玉は言う。その意味が分からず私は怪訝な表情で彼の毛むくじゃなら顔を凝視した。児玉は私を惑わすようにふふ、と笑い、そしてすぐに表情を戻す。

「つい余計な事を言ってしまう。年はとりたくないものだ。」

 児玉はにこやかな表情を崩さなかった。

「えーと、児玉さん・・・ですよね?あなたはずっとこの村に住んでいるんですか?」

「そうだよ。」

 はあ、とため息をつく私を見て児玉は笑った。

「こんな足でこの村で暮らすには楽ではないよ。かつては家族と一緒に住んでいたから苦労しなかったんだが、今は一人だからね。」

児玉はまた笑う。

「私に出来ることがあれば何でも手伝いますよ。」

 その後も取り留めのない会話をして別れる。

児玉を見送った後、私は家に入って寝転んだ。朝なのに疲労感に襲われた。それは決してあの憎たらしい駐在のせいだけでもなかった。

どうも慣れない、人格者のような素振り。そして、常識人ぶる自分。

こんな思いをするのが嫌で街を離れたのに。


 その夜、一人の女性が私の家を訪ねてきた。

 この人も橋じいの言っていた「訳ありの人」なのだろう。

 年齢は40代だろう。背が高く、すらりとしてスタイルはいいのだが、化粧っ気がなく、肩まである髪の毛もボサボサだ。見下ろすようにして、目を細めながら私を凝視するのだから少し威圧感がある。

「今、権田んとこで飲んでんだ。あんたも今から飲みにおいでよ。」

「お酒苦手なんです。」

「飲める飲めないの問題じゃないんだよ。付き合いだ。早く来な。」

 その女性は有無を言わさず私を引っ張っていった。

「私は金田よ。」

「花田香澄です。離してください。自分で歩きます。」

 お酒は嫌いだが、確かに村の人間との付き合いは大切だと思った。何より女性が一緒にいてくれるのは有難い。

「花田ちゃん?物好きだねえ。こんなとこに来るなんて。」

「偶然来てしまったんです。」

「つまんない村だろ?」

「いえ、私も好きで居ついているので。」

 やっぱ物好きだわ、と金田は楽しそうに笑った。強引だが悪い人間ではなさそうに見えた。

 金田は挨拶もなく権田の家に入る。古びているが中は綺麗だった。

「おー、香澄ちゃん、よく来たねえ。」

 やはりというか、待っていたのは哲やんと橋じい、そして権田だった。3人共顔が真っ赤で、アルコールとつまみの臭いが鼻についた。3人の前には一升瓶が数本置かれている。中身はおそらく哲やんがクスねてきたどぶろくだろう。

「おう、ババアお疲れ。」

 哲やんが悪びれもせずに、悪態をつきながら金田に酒を渡す。

「有難う、ブタ君。」

 金田も金田だ。哲やんに見向きもせずにグラスを受け取る。

「香澄さんはお酒は飲めますか?」

 権田がにこやかに聞いてくる。ほろ酔いだからか、いつもより恥じらいがなさそうだ。

「飲めません。」

 そう言って鉄製の古いケトルに入ったお茶を汲んで飲む。私は少し棘のある言い方をしたと思い、はっと頭を下げた。

「気にしなくていいよ。こいつらがバカなんだから。」

 金田がフォローした。実際、3人の男達は全く気にしてなさそうだ。

「おう、香澄ちゃん、この村に来てどうだ?」

 全身真っ赤になった橋じいが前傾姿勢で聞いてきた。

「楽しいです。皆さんに良くしていただいていますし。」

「そらあ良かった。なあ権田!こいつ、香澄ちゃんの事ばっか褒めるからババアが嫉妬すんだよ。」

 哲やんがカカッと喉を鳴らして笑った。権田が哲やんの肩を小突く。金田は当然無視だ。

「困ってる事はねえか?」

 橋じいが目をくっと細めながら尋ねてきた。

「そうですね、あの駐在さんに困ってます。」

 皆が笑った。金田も微笑みながら頷いた。

その後も酒宴は続いた。男性3人と金田は大いに朗らかに笑い、歌った。閉鎖的な田舎では話すことが限られる。村人の事、村の行事や決まり事、仕事や家の事、そして・・・

「ところでよ、香澄ちゃん。」

 橋じいが神妙な面持ちになり、私の方を見た。

「香澄ちゃんは手え足りてんのか。香澄ちゃん位美人なら困ることはなかねえ。」

「どういう意味ですか?」

「彼氏はいるのか、って事よ。」

 何を聞くのかと思ったらそういう事だ。

「いません。」

「香澄ちゃんから見て権田なんかはどうだい?」

 はあ、と生ぬるい返事をした私に橋じいは更に食いつく。

「この村にゃあ夫婦なんてもんがいない。皆独り身だ。昔から住んでいるジジババとそこいらから集まってきた連中だ。女もいるが、金田みてえにとりつくしまもねえのばかりだ。」

「やめなよ、橋じい。」

 金田が制するが、酔っているせいか橋じいは止まらなかった。

「この村の若え男に嫁がいないって前に言ったよな。哲やんくらいまで年食うと無理は言えねえが、権田なんかはまだ若くて男盛りだ。埋もれるには勿体ねえ男だってのは俺達が保証する。香澄ちゃん、答えは急がねえが、権田の事をよろしく考えてくれねえか。」

 やはりそういう話だ。権田の方を見ると、困ったように笑っていた。

「考えられません。」

「権田じゃ駄目なのか?」

「権田さんが、とかではなく、そういう事自体あまり考えられません。私は余所者ですし。」

 そう言いながら、私の頭に浮かんだのは金髪の少女の姿だった。

「まあそうだわな。香澄ちゃんはいつか都会に帰るんだろうしな。」

 橋じいがうーんと唸った。そういう問題ではないのだが。

「権田は村の中心なんだから、早く子供作ってもらわねえと。」

「失礼ですよ。」

 下世話な表情をしながら言った哲やんに私は少しキツく言うと、権田は困ったように頭を掻いた。

「そういう話は苦手ですよ。いや、真面目ぶってるんじゃなくて、そういうのと無縁の暮らしをしてきたからなのかなぁ。香澄さんはとても素敵だけど、到底想像出来ません。」

 権田が照れながら首を横に振る。

「金田さんはこの村でいいと思う人はいないんですか?」

 私に話を擦り付けられた金田はふふ、と笑った。

「いないね。こんな田舎だし、生まれ育った村を出ていくのも考えられない。私は一生独り身だよ。」

「寒いこと言うなよ、ババア。俺がもらってやるよ。身体は。」

 ガハハハ、と笑う哲やんを無視して金田が続ける。

「私も子供が欲しい時期があったんだ。でも、諦めた。相手もいなけりゃ産んで育てる年齢でもない。それでも強烈に欲しくなる時があるんだ。女とか母性とか言うつもりはない。私がそういう人間ってこと。」

 金田の寂しそうな表情を見て何となく悪い気がした。

「気にしなくていいよ。」

金田はにこりと笑いながら私の肩を軽く叩いた。不愛想だがいい人だ。

「香澄さん、村人の名前はもう覚えましたか?」

 権田が気を利かせて話題を変える。

「はい、少しづつですけど知り合いが増えました。乾物屋の山根さんにはよくお世話になりますし、川沿いに住んでる名村さんは魚をくれました。それに私の家の下の方に住んでる幸田さんには種まきを教えてもらいました。」

「幸田ってあのジジイかよ。あんなのもうボケてんじゃねえか?腰直角に曲がってるしよ。」

「そこまでひどくないし、ボケてないですよ。しっかりしてます。」

 一人で言いながら一人で笑う哲やんにキツく突っ込む。

「ゲンには会ったか?」

「源さんですか?」

「おお、そうよ。あいつは仲良くしといた方がいいぞ。木材の加工とか抜群に上手い奴だからな。家具とか家の修理はあいつに任せっぱなしだ。木を切りすぎてここに落ちてきた、とか本人は言ってるが、只のアル中だな。」

 橋じいはその後も色々と村人の個性を教えてくれた。面白おかしく脚色するので皆声を上げて笑った。

「トネリ。」

「おお、座敷童だな、あの子は。走るのが速えんだ。で、権田が嫌い、と。」

 権田が落ち込む素振りをした。もう慣れているのだろうが、少しは本音だろう。

「駐在さん。」

「論外だろ、あんな奴。」

 また皆笑った。

「そういえば、今朝、児玉さんていうお爺さんに会いました。」

 私は何気なく今朝会った足の不自由な老人の名前を挙げた。しかし、その言葉への反応は私の想定したものではなかった。

「児玉・・・?」

私以外の4人が顔を見合わせる。一瞬4人の表情が強張ったのが分かった。

 その時の4人の表情は何とも言えず、奇妙なものだった。知らないでもなく、嫌がるでもない。かと言って知っているでもなく、当然好意的なわけではない。

「皆さん、あまり児玉さんとは関わりがないんですか?」

 私の問いに返答はない。4人はそのまま固まったように動かなかった。私は不気味なものを感じた。

「あの、すいません。帰ります!」

 私が声を張り上げると4人は何事もなかったように振り返った。

「何だ、香澄ちゃん、もう帰っちまうのか。」

「すいません。明日は朝早くからトネリと作業するので。ありがとうございました。楽しかったです。」

 そう言って足早に権田の家を後にする。4人は私に手を振り、その後は変わらずに騒ぎ続けた。

 帰り道で、私はあの4人の表情を思い出していた。突然、黙り込み、目の焦点が合わず、思考が止まったような機械的な表情を。

 児玉の名前を出した瞬間だ。彼らと児玉の間に一体何があったのだろうか。私は背筋に冷たいものを感じながら家路を辿った。

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