第18話 整理

「どうしたんですか。」

 私の目の前にいるのは、30歳前後のいかつい男。胸板が暑く、腕の筋肉も太い。浅黒く日焼けした肌も、うっすらと茶色に染まった髪も、見る者に威圧感を与えるに十分だ。

 しかし、その口調は自信なさげで、声も上ずっている。私とは視線を合わせることすら出来ず、狼狽えたように髪を搔いている。

 やはり違和感は払しょくされない。

「ちょっといいですか?」

 私はそう言って思わせぶりに彼を誘い出した。

 権田は戸惑ったように私についてくる。

 権田を連れ、今は使われていない古民家にやってきた。周囲は木に囲まれており、村からは見えない。権田は明らかに動揺しているようだ。

「香澄さん・・・・・・?」

 権田が息を呑む音が聞こえた。

「権田さん、お願いがあります。」

私は意味深な素振りで首を傾げた。

「はあ・・・・・・。」

 権田が慌てて頭を掻きながら俯く。

「入ってきて。」

 私が促すと、小さな影が恐る恐る足を踏み入れてくる。

 トネリだ。

 私はトネリを権田に会わせることにした。だが、権田の記憶が戻るという成果を期待しているわけではない。狙いは別にある。

 権田は更に動揺している。この場面に自分の事を露骨に嫌っている少女が現れたのだから当然だろう。

「・・・・・・権田さん、私のお母さんのことを教えてください。」

「お母さん?あんまり知らないんだけど・・・・・・。」

 ようやく話し掛けてくれた内容がそんな事なので、権田は答えに窮した。

「前に綺麗な人だったって言ってましたよね。」

「でも、それくらいしか覚えてないんですよ。本当に。」

「じゃあ、私のお父さんは?」

「覚えてないなあ。あんまり関わりがなかったんだよ。」

「小さい頃の私も覚えてない?」

「うーん・・・・・・覚えてないなあ。」

 権田は顔を顰めながら何度も首を捻った。本当に思い出せないのだろう。

 やはり機械的に記憶を操作されているのであれば、幾ら探っても記憶を取り戻すなど難しい。

 ちらっとトネリに目をやると、緊張した面持ちだったが、これまで見たことがないほど強い眼差しだった。

 彼女はなおも続ける。

「あなたがこの村に来たのはいつ?」

「生まれてからずっとこの村にいるよ。35年になるね。」

「私のお母さんを見たのは最近?」

「10年くらい前だったと思うけど、正確な日は分からないね。」

 それからもトネリは幾つか質問をしたが、大した発言はなかった。

 これ以上、トネリと話をさせても得られるものはない。

 私はそのフレーズを言うことにした。

「じゃあ、児玉さんは?」

 権田が止まった。あの時と一緒だ。目を見開いた不気味な表情。

「児玉・・・・・・?」

 恐ろしかった。今にも狂って飛び掛かってくるのではないか。そんな恐怖を抱かせるほど正気には見えない表情だ。

 私はトネリの耳を両手で塞いだ。彼女にここにいてもらう必要はある。だが、これから言う事を彼女に聞かせたくはないからだ。

「あなたは人を殺している。相手の名前は越野玄一。」

 権田の表情に変化はない。

「あなたはトネリの両親を知っている。」

「児玉という男を知っている。」

 権田の表情に少し変化が現れた。ほんの僅か。薄らと目を閉じようとした程度の仕草だ。

 私は更に続ける。

「あなたは記憶を書き換えられる処置を受けている。」

「あなたは元々この村にいなかった。」

「児玉という男は「処置」に深く関わっていた人間だ。」

 

 その後も私は言葉を重ねたが、権田にそれ以上の変化は現れなかった。

 もちろん私も記憶が戻るなんて思ってはいない。

「お時間ありがとう。今日は終わりね。」

 そう言ってトネリの手を引いて外に出る。元に戻った権田は拍子抜けしたような顔のまま私達を見送った。


「おい、どういうつもりだ。」

 外に出て暫く歩いていると駐在が後ろから声を掛けてきた。

 駐在は私が呼んでいた。権田に何かあった時は制してもらうという名目で。

「彼に直接話しかけてもとても無理だわ。それが分かったから止めたのよ。勘違いしないで。諦めたのは今回だけで、まだ他の方法を探すわ。だって彼の記憶が戻らなければ私達、ここで死ぬしかないもの。」

「そうじゃねえ。」

 私は振り返って駐在を睨み付ける。トネリは突然のことで驚いて私に抱き付いた。

「何がそうじゃないの?」

駐在も厳しい視線を私に向ける。私は臆せずに次の言葉を口にする。

「あなたは他人事みたいに言うのね!」

 演技じみてふん、と首を横に振ってみせる。

「もうやめろ。」

「それとも、本当に他人事なのかしら?」

 駐在は答えない。それは私の考えが答えに近づいていることを示しているように思えた。

「もう一度言うわ。私は権田さんの記憶を取り戻さなくちゃいけない。そうじゃなきゃ、児玉さんは私達を解放しない。それが児玉さんの目的だからよ。」

 私は更に続ける。

「でも、あなたはそんなことどうでもいいみたい。」

 駐在はまだ口を開かない。しかし、彼は明らかに苛立っていた。

 すると、唐突に彼は地面に座った。下は砂利道でお世辞にも綺麗とは言えないが、駐在は大きくため息を吐きながら座り込んだ。その表情には急に疲労が滲み出ていた。

「・・・・・・児玉さんには仲間なんていない。多少の影響力は残っていたとしても、警察、大企業、そして世界中の権力者達。そんな連中を相手にするなんてリスクを冒すバカはいない。」

「ふうん。私に銃を向けた人が言うこととは思えないわね。」

「いいか、児玉さんは・・・・・・。」

 そこで急に駐在は口を噤んだ。トネリがいるからだ。児玉の孫娘である彼女に聞かせたくないことなのだろう。

「いいよ。駐在さん、続けて。」

 トネリは強い口調で言った。私もそうだが、駐在もひどく驚いた顔を見せた。彼からすればトネリが何かを主張するなんてあり得ないことなのだろう。しかし、安心したようにも見えた。

 きっと、彼も耐えきれなくなっているのだ。

「児玉さんの前に、あなたが何者か教えて。」

 仮面を剥がしにいく。

「俺は・・・・・・エンディミオンファーマの人間だ。」

 駐在と私達の間にあった壁が少し崩れた。

「あんた、気付いてたな。だからあの場に俺を呼んだ。」

 私はあえて首を横に振る。

「もしかして、くらいには思ってたけどね。」

「どっからそう思った?」

「まず、児玉さんの正体を考えたのよ。本人は警察でそれなりの立場にいたと言ってたし、駐在としてこの村に勤務していたのは間違いないみたいだから、一見疑いないように見えるでしょ。だから、私も鵜呑みにしてた。でも、違和感を覚えたのは、あなたが私に銃を向けたこと。」

 駐在が思わず苦笑いした。ああそうか、というくらいの。

「警察での先輩とか上司だとか、普通はそんな理由で児玉さんにここまで協力するとは思えない。昔だったなら僅かな可能性も否めないけど、今は現役を退き、身体が不自由にも関わらず一人でこの村に来た、只の老人だからね。」

 児玉がこの村に来てから長い時間が経っている。影響力を保ち続けるには既に時間が経ちすぎているはずだ。

 そこで思いついたのが彼らが本当は警察などではなく、処置に携わる勢力(仮に「権力側」としよう)から送り込まれてきた人間だという考えだった。

「児玉さんが過去にこの村に勤務して、今の駐在・・・・・・あなたが彼の復讐に協力していることから、この村の駐在は代々処置を行う勢力から送り込まれた人間である・・・・・・と思ったのよ。」

 駐在が頷いた。

 ただし、スミ婆さんが言っていたことが事実であれば、児玉が勤務していた時代、この村は処置などとは無縁の普通の村だった。

 最初から処置が目的で作られた村ではないとすれば、どこから変わったのか。

「今度は私が聞くわ。児玉さんがこの村に勤務していたのはいつ?」

「・・・・・・20年くらい前だったな。」

「彼が40代後半くらいかしら?そんな年齢でこんな場所の駐在にいたら普通は出世なんて無縁のはずね。」

 駐在は笑った。もはや彼からは私に全て知ってもらいたいのではないか、という意図すら感じる。

「処置が始まったのは?」

「その2年後だ。」

 間違いない。

 スミ婆さんは児玉が駐在としてこの村に勤めた後、外に出て行く人間が多くなったとも言っていた。

 児玉が作為を持って当時の村民を外に連れていったのは間違いないだろう。もちろん、目的はこの村を実験場とするためだ。児玉は地位を得ないうちからこの計画に積極的に与していた可能性もある。いや、この村に来た時点では既に権力を得ていたと考えるのが妥当だろう。

 村人達を巧みに騙し、あるいは力を奮い、彼らを外の世界に追い出した。

「児玉さんが過去に来た目的から察すると、この村における駐在は処置を施された人間達の監視役であると同時に、処置に深く関わる人間が選ばれると考えられるけど。」

 それを答えるのは流石に駐在も躊躇っているようだった。自分があの非道な処置に関わった人間であると認めるようなものだからだ。

「少なくとも、無関係ではなさそうね。」

「それは否定しねえ。俺は児玉さんほどどっぷり浸かってねえけどな。」

「児玉さんはこの計画そのものに深く関係してそうね。」

「そうだな。とはいえ、彼も技術屋じゃねえ。計画の立案当初のメインメンバーの一人だ。事務屋の方だな。」

 そうなると、次に気になるのは越野玄一だ。

 トネリの親を殺した人間が越野玄一とスミ婆さんだという児玉の説を真実としたら、問題はその動機だ。

 越野玄一はこの村の駐在をしていた。先ほどの話から行くと彼は権力側の人間になる。

 トネリの親を殺したとき、彼がこの村に勤務していたのかは定かではないが、少なくとも権力側の人間がトネリの親を殺した事実だけは残る。

 トネリの親は何故殺されたのか。

 児玉の息子であることから、彼もまた権力側の人間であったのではないだろうか。

 そして、同じ権力側の人間である越野玄一に殺されたということは、彼が権力側を裏切ったか、それとも権力側に不利益な何かを知っていたのかもしれない。

 これもあくまで推測だが、彼もまた処置に関わっていた人間とすれば、何かの理由で権力側に目を付けられて殺されたという可能性がある。

「あなたは越野玄一と一緒に仕事をしていた時期はあるの?」

 駐在は驚いた表情を浮かべた。

私が確信して薄ら笑ったのを認めると彼は天を仰いだ。

「よく思いついたな。」

「なさそうね。」

「だが、噂では知ってるよ。七光りとも言われてたが、実際はそれなりの人物だったらしいってな。」

「そう。でもそれなりの地位にいたのは七光りでしょうね。」

「厳しいな、あんたは。」

「悪い意味じゃないわ。児玉さんからすれば、こんな異常なプロジェクトを他人に任せる気にならないだろう、ってことよ。」

 トネリの父親はあるいはそんな父に反発してエンディミオンファーマを去ったのかもしれない。

 彼は越野玄一に殺され、そして、更に越野玄一は権田に殺された、という話だ。


 権田が権力側の人間とは考えにくい。

 処置を受けているので、バックに有力な人間がいたのは間違いないが、その人物達も処置のことを知っているだけで、主体的に関わっている人間ではないのだろう。


 もちろん、この仮説には疑問が幾つも残る。

 児玉は権力側にいながら何故息子を殺した犯人を掴めなかったのか。

 スミ婆さんは何故息子に協力し、トネリの親を殺したのか。

 権田が越野玄一を殺害した動機。

 駐在が権田に協力する理由。

 そして、児玉の真の目的。


 それを知りうる人間が目の前にいる。

 

 トネリは動揺していない。

 目を向けると、真っ直ぐに私の目を見返した。私の手を強く握る。

 彼女は全てを知る覚悟があるのだ。

 

 決して頼りになるとは言えない彼女の存在が、今はとても心強く感じた。

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