第16話 取引
児玉と話をしてから3日経った。
この村での私の生活は何も変わっていない。
畑の手入れをして、ご飯を食べて、川に水を汲みに行く。トネリと散歩したり、遊んだり、昼寝したり。
一見、とても穏やかで幸福な日々だ。
しかし、私はとても生きた心地がしなかった。村で出会う人間全てが異質なものに見えた。親切な橋じいも、権田も、ちょっと意地悪な金田も、哲やんも、駐在も、児玉も、皆人間ではない何かに見えた。凶悪犯や復讐者に混じって暮らすという不安を前に、自分を保つことで精いっぱいだった。
トネリは相変わらず私の傍にいる。
元気のない私を心配し、常に寄り添い、手を繋いでくれる。
だが、以前であれば心に羽が生えたような気持ちになるその行為も、暗い雲が空を覆ってしまっている。
今の私には真実が何か分からない。
あるいは全て真実なのか、それとも全てが狂っているのか。
村人は凶悪犯なのか、児玉と駐在は復讐のために村に来たのか、そしてトネリの両親を殺したのはスミ婆さんとその息子なのか。
何も証拠はない。誰が本当の事を言っているのか分からない。
ふう、と息を吐いた。
結局どうでもよいのだ。真実だろうが、妄想だろうが、児玉達が勝手に復讐を達成し、私はトネリを連れて村から出ることが出来ればよい。もちろん、スミ婆さんが無実であるならば後味は悪いが。しかし、そのためには権田の記憶が戻るという気の遠くなるような奇跡を待たなくてはならない。
とにかく、暗い気持ちだった。
私を見かねて、トネリが散歩に連れ出してくれた。
小さくて暖かい手を私の手に重ねて、身体を寄せてくる。
「香澄、元気出して。悩みがあるなら言って・・・・・・。」
泣きそうな顔で、私の顔を見上げている。それが辛く、そして嬉しかった。
「ごめんね、大丈夫よ。ちょっと気持ちが疲れてるのかも。こうして散歩してると気分転換になるわ。」
にこっと微笑んで見せると、トネリの表情も少し柔らかくなった。
今はとにかく、トネリと一緒にいられることに感謝しよう。
せっかくそう思った直後だった。
自転車に乗った少女が現れた。相変わらずダボダボのトレーナーにボサボサの野暮ったい髪の毛、丸いメガネ。
身体が強張った。思えば彼女の一言から始まったのだ。
「おばあちゃんに会ったんですね。」
越野ゆき。相変わらず変なトーンの声だ。
「そうね。」
「あなたのこと、とても良い感じの人って言ってました。」
私もだ。その後の話さえ聞いてなかったら良い友人になれたかもしれない。
「おばあちゃんは近いうちにこの村を離れます。」
「そう言ってた。」
「あなたはいいんですか?」
「そうね。そのうち。」
気のない私の声に拍子抜けしたのか、ゆきは視線をトネリに移した。
「その子。」
ゆきがトネリを指さした。繋いだ手に力がこもった。
「他の村の子供と違いますね。他の子は生きてるのか死んでるのか分からないような顔なのに。」
トネリが私の後ろに隠れた。
「この村に来て暫く経つけどトネリ以外に子供なんて会っていないわ。」
ゆきは首を傾げた。
「どの家にもいますよ。あなたは知らないだけ。」
「もう、不気味なこと言わないで。どうでもいいわ。」
うんざりだった。この村がおかしいのはよくわかった。これ以上考えたくない。
「そう言って大人はすぐに諦める。」
ゆきが不満そうな顔をした。私にはどうでもよかった。
「大人だったらこんなところ最初から来てないわ。」
そう言ってゆきに背を向けて歩き出そうとした時だった。
「助けて。」
ゆきの悲痛な声が耳に届いた。私は振り向いた。
「お父さんが殺されたの。遺体はこの村の近くで発見された。お婆ちゃんはこの村に近寄るなって言う。でも私は知りたい。この村にきっと犯人がいる。」
何ということはない。この娘もある意味、児玉達と同じだ。
「真実を知ったところで、あなたはどうしたいの?何ができるの?」
私は冷ややかに答えた。何もできない子供一人が真実を知ってどうするつもりなのか。特に、もしそれが残酷な答えだとしたら・・・・・・。
「あなたも危ないよ。」
児玉にとっては仇の娘なのだ。これ以上村にいては本当にどうなるかわからない。ゆきの表情は変わらない。覚悟している。そんな顔だ。
「私があなたに協力して、どうなるの?」
「もし協力してくれるなら、私が知っていることを全てお伝えします。」
私は迷った。これ以上深入りしたくもないし、この娘も信用できるわけではない。ますます混乱するだけかもしれない。だが、やはり真実を知りたい気持ちもある。
ちらりとトネリを見た。不安そうに私の顔を見つめている。
「あなたが持ってる情報次第で考えるわ。」
「協力する確証がなければ全てを教えるわけにはいきません。」
「じゃあ話は終わり?」
「一つだけ。それで判断してください。」
分かり切ったやり取りだ。私は頷いた。
「私の祖父母が昔行った犯罪についてです。」
スミ婆さんのことだ。だが、息子とではなく、夫と犯した犯罪?
私は息を呑んだ。
「私の祖父母はかつて東京に住んでいました。華やかな街で、祖母は水商売しており、祖父はその店のスタッフをしていた。二人はそこで出会いました。」
これはスミ婆さんが言っていたとおりだ。
「若い頃、祖母は人気があり、お金に困ることもなかった。しかし、そういう世界なので、年を経るに連れ、お客は若い人へと移っていきました。すっかり過去の人となった祖母に追い打ちをかけるように、ある不幸なことが起こりました。」
それは、常連客の連帯保証人に勝手にされていたということ。彼女のサインと印鑑がねつ造され、知らない内に多額の借金を押し付けられていたとのことだ。
「弁明しようにも、その客はどこかへ消えていたそうです。貸主にとってはお金さえ入れば後はどうでもよいことですから。それは酷い目に合わされたそうです。」
ここまでの話ではスミ婆さんには同情の余地しかないが・・・・・。
「続きは気になるけど、これってこの村に関係ある話?」
私は横槍を入れた。
「大いにあると思います。この後、追い詰められた祖母は、祖父に借金を擦り付けた常連客を探しだすことを依頼します。そして、祖父は常連客を見つけることに成功しました。二人は借金取りに彼を差し出し、ようやく解放されました。ここまでが祖母が私に話してくれた昔話です。問題はここからです。」
それは祖母が話してくれなかった事実。
「二人は常連客を見つけましたが、実は貸主に突き出してはいなかった。既に借金は完済していたんです。二人は返済した借金の分を彼から取り返そうとしましたが、彼は既に一文無しだった。そして、逆上した二人は彼を殺した。」
スミ婆さんが犯罪をしていたとしても今更驚きはしなかったが、それでも孫娘の口から、殺人を犯していたことを聞かされるのはショックだった。
「二人がこの村にやってきたのはそれよりもずっと後のこと。私が生まれるより少し前くらいだったと聞いてます。」
二人は殺人を犯した後も都会で生き続けていた。罪から逃げてこの村にやってきたわけではなさそうだ。
「私は当初、二人がこの村に来たのは、二人の息子、つまり私の父がこの村に勤務していたからと考えました。でも、私の父は二人がやってきた後にこの村で謎の死を遂げた。それは、祖父母が来たことと決して無関係ではないように思うんです。」
「あなたの祖父母も容疑者かもしれない。」
「その可能性も否定しません。だけど、他の村人の異常性も感じているつもりです。」
いずれにしても、彼女の想定ではこの村に犯人がいることは間違いないということだ。
児玉と駐在の説ではトネリの両親を殺害したのは、ゆきの父である越野玄一とその母スミであり、玄一を殺害した犯人は権田だ。しかし、ゆきはスミ婆さんとその夫が息子を殺害した可能性も無視できない、と言う。もちろん彼女は児玉達の語ったことなど知る由もない。それに彼女を児玉達に合わせるのは危険だ。
私はどうすべきなのだろうか。
私の手を握るトネリを見た。
不安そうに眼を潤ませている。何かは分からないが良い話ではない、と感じているのだろう。
「如何でしょうか。他にも情報はあります。あなたが協力してくれるなら、私の知っていることを全てお話します。」
ゆきは子供とは思えない態度で私に交渉してくる。
私はある考えが浮かんだ。
「お互いに情報を教え合うということね?」
「まずはそうです。」
「あなたが私に協力してくれるならいいわ。」
トネリの前なのではっきりと言わないが、私の目的は村を出ることだ。彼女の目的と私の目的。対等だ。ゆきは少し怪訝な表情を浮かべている。
「あなたの・・・・・・?」
私の方が少し狡かったと思う。
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