第13話 トネリと①
ひどく疲れて家路についた。村やスミ婆さんへの疑惑だけが残った。
一つ大きな収穫だったのは児玉の本当の苗字がトネリと同じ「須磨」だということだ。
狭い村ならば同じ姓を持つ家は少なくない。トネリは児玉のことを「苦手」としか言っていなかった。
それにスミ婆さんは駐在を村の「観察者」と言った。児玉と、そしてスミ婆さんの息子も元駐在だ。
これが意味するものは何か。
いずれにしても、これ以上村に深入りするのであれば児玉に聞く必要がありそうだ。
だが、それが本当に良いことなのか。
「お疲れ様。ご飯作ったよ。」
トネリがにこりと笑いながら迎えてくれる。それだけで血の巡りが良くなるようだ。新婚の妻が待つ家に帰る亭主はこんな気持ちなのだろうか。
家の裏の畑には少しづつ作物が実り始めている。
私がそもそもこの村に辿り着いたのはどういう理由なのか、思い返してみる。
レールの上からはみ出さないように生きてきた結果、ひどく窮屈な人間になっていたのだ。そんな自分が嫌で、その全てを放り出して、何かを探しに来たのだ。
朴訥な人柄の村人達。本当の意味で文明に頼らない生活。自分で生きている充実感。
何より、愛する人と一緒だ。
その全てが異質で、私が従属していた社会では絶対に得られないものだ。
「ありがとう。トネリ。」
私はトネリの小さな身体をぎゅうっと抱きしめる。
これ以上踏み込むと、この生活を失うことになるかもしれない。
トネリと一緒にご飯を食べた後、木で作った浴槽で身体を洗い、布団に転がる。毎日一緒に寝ることも当たり前になった。
「今日ね、畑にトマトがなってたの。」
最近、特に表情が豊かになった。
すぐに眠たくなる彼女が、寝る前に少しのお喋り。
「おやすみ、トネリ。」
頬にキスをすると、彼女は顔を赤く染めながら私にそれを返す。
幸福だ。
これまでどおりの人生を歩んでいたら出会わなかった。仮にトネリとどこかで出会えたとしても、きっと様々なことが邪魔をする。
年齢、性別、家族、社会。
ありとあらゆるものが目を光らせ、私と彼女を引き離すだろう。いわゆる社会では私達の関係は極めてイレギュラーなのだ。誰の目も気にせず、何のモラルにも縛られないこの村で出会ったからこそ、私はトネリに心を捧げることが出来たのだ。
「外に連れ出そうなんて思うな」
スミ婆さんの言葉が耳をよぎる。
トネリをこの村の外に連れ出したらどうなるだろう。
広い世界を知って、知識を増やして、言葉も達者になり、嘘も吐き、世俗に汚れていくのだろうか。
男の子に恋をしたり、化粧を覚えたり、芸能人に憧れたり、。
私はこのままがいいのだろうか。
「ねえ、トネリ。」
彼女は重たくなってきた瞼をもう一度開く。
「村の外に出たい?」
トネリはぱちっと目を瞬かせた。そしてにこりと笑う。
「香澄と一緒?」
私は頷く。
「だったら、どこでもいいよ。」
「この村でも?」
「うん。」
ならば、きっとこのままでいい。
「でもね、私、生きていけるのかな。いつか死んじゃう気がする。」
私は目を見開いた。
「この村の人達は、きっと怖い人達。香澄はそう思わないだろうけど、私はいつか殺されちゃう気がする。」
「そんな、怖いこと言わないでよ。」
「私、ずっとそう思ってる。それに、あのお爺さんが言ってたの。」
児玉だ。トネリが言わずとも分かった。
「この村の人達は、皆記憶をなくした人達で、元はとても怖い人達だったって。」
ぞくり。
「お爺さんは、何でそんな村にいるの?」
トネリは泣きそうな顔になった。きっと怖がっているのだ。
「おじいさんは、この村に自分が探している人がいるんだって。」
「誰?」
「分かんない。でも、お爺さんもすごく怖いよ。」
「お爺さん、子供がいたけど、亡くなったって言ってた。だからこの村に来たって。それを聞いてから、すごく怖いよ。」
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