第9話 来訪
「そろそろ村を出ろよ。」
もはや挨拶代わりとなった駐在の忠告を軽く流し、私は畑作業に勤しんでいた。
芽が出たミニトマトは順調に育っており、この村で生活していることに僅かだが実感が湧いてくる。
朝の作業が終わると村で唯一の乾物屋に向かう。品揃えは2世代くらい遡ったと言っても過言ではない程悪いが、タダでおもちゃがもらえるのだ。
林檎を一つ渡すと竹とんぼをもらうと足早に帰路についた。トネリに早く会いたかった。
家の中にトネリはいなかった。
裏に回ると彼女は眠そうな目を擦りながら畑に水を撒いていた。
そっと近づいて後ろから彼女を羽交い絞めにする。ジタバタとくすぐったそうに暴れる彼女を押さえつけながら笑い合う。悪戯に横腹や背中をくすぐってやると、彼女は可愛らしい小さな悲鳴を上げた。
暫くトネリと戯れていた時、不意に誰かの視線を感じた。道路の方を振り向くと、一人の少女が道に立ってこちらを見つめていた。小太りで細い目に赤い頬、大きくて度の強そうな眼鏡、ぼさぼさの黒髪を三つ編みに結い、何もかも季節外れな茶色のカーディガンを着ている。年は中学生くらいだろうか。トネリよりは幾つか年上のような気がする。
「こんにちは。」
黙って見つめてくる少女に対し、私はぺこりと頭を下げた。トネリも釣られるように頭を下げる。それに応じて少女もお辞儀を返してくる。私は少し安心した。
「どちら様?」
私が笑顔で問うと少女は眉を顰めた。
「あなたが名乗るのが先じゃないですか?」
「あ、ごめんね。私は花田香澄。」
「知ってます。」
「ええ?」
「私は越野ゆきです。」
知ってるのなら名乗らせるなよと言う間もなく、ゆきという少女は自分の名前を被せてきた。
「向こうの山の斜面にある家に住んでます。今日はあなたを見にきたんです。」
少女は私から視線を逸らさずに山の方を指さした。お婆ちゃん、というのはきっと権田や橋じいの言っていた「スミさん」という人だろう。この子はその孫ということだろうか。
「私を見に来た?」
「この村に若い女性が来るなんて初めてだからおかしいってお婆ちゃんが言うから来たんです。お婆ちゃんに黙ってきたから怒られるので、もう帰ります。」
「どんな人でもこんな辺鄙な場所に来るとは思えないけど・・・。」
苦笑いを浮かべる私を少女は睨み付けるかのように真っ直ぐに見据えてくる。警戒されているのが分かった。
周りを注意深くきょろきょろ見渡してから、彼女は再び私に向き直った。
「この村には子供がいます。」
「そうなの?」
意外だった。まだトネリとこの子以外の子供は見ていない。
「あとは大人ばかりです。でも、若い女性はいません。そうじゃない女性はいます。」
「子供がいるのに若い女性がいないのは変ね。」
「この村の子供は皆、孤児です。親がいません。私には分かりませんが、気を付けて。」
少女はそれだけ言うと足早に立ち去っていった。
私はその後ろ姿を唖然とした顔で見つめていた。気を付けて、とは一体どういうことだろうか。彼女の警戒した態度も気になった。
「かすみー。どうしたの?」
暫くぼうっとしていたのだろうか、トネリが呼びかけていることにようやく気が付いた。トネリの大きなクマのぬいぐるみを日干しにして、二人で縁側に座りながらお茶を飲んでいた。
ゆきの言っていたことが気になっていた。一体何に気をつけろと言うのか。
「大丈夫?」
トネリに身体を揺すられ、ようやく思考が止まる。
「ごめんね。ちょっと疲れたかも。」
「そう?心配だよ。」
トネリが眉を八の字にして見つめてくる。
しかし、私は以前からこの村に対して違和感のようなものを感じていた。正確には、違和感ではなく「違和感のようなもの」。最初からこの村はおかしかった。人の目に付かないような場所に存在し、村にはスーパーマーケットも役所も無く、駐在が一人いるだけ。村人は全員農家で、電気もガスも水道もなく、川に水を汲みに行き、行政から支給されるという使い捨てのライターで火をおこす。こんな暮らしなど現代社会では到底考えられない。それは最初から感じていたことだった。しかし、そんなおかしい村で生活出来る自分がいるし、周囲には理解のある人間達がいる。個性豊かな村の人々・・・。
そうだ、私はそこで違和感のようなものを感じるのだ。
この村の人間は、統一感がない。辺境にいたとは思えない見識と知識を持つ児玉、村を出ていないと言いながら都会の臭いのする権田、この村で絶対的な権力を有する若い駐在、そして、トネリ・・・・・・。橋じいも哲やんも金田も他の村人も、普通なようでどこかおかしい。
継ぎ合わせて作られたような、あるいは元々あった村に異物を紛れ込ませたような、腑に落ちないものは感じていた。
ゆきの祖母であろう越野スミという老人はこの村に若い女性が来るのはおかしい、と感じていたという。それがどういう意味なのか、彼女に会って真意を聞きたくなった。
ゆきの予言めいた言葉に少し恐怖心すら感じながら。
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