回想 四

 地下の研究施設に移ってから3年がたった。彼が進めていたのは公式に発表できるような研究ではなかったが、軍事企業などからの秘密裏の需要が多く、いつしか彼の名前もその世界では知られるようになっていた。


 最初は、クローンを犠牲にするたびにその表情を心に刻み付けていた。名前もなく、会話を交わすこともできず、せめてどんな姿かたちだったか、そのくらいは彼らが生きた証として記憶しておいてやりたかった。


 しかし、実験を重ねるにつれて彼はその状況に慣れていった。3年間でどれだけのクローンを実験体として使用しただろう。ある程度のポストにつくと、自分が手をくだすことも少なくなっていたから、いっそう倫理観は麻痺していた。夢でうなされることもなくなり、実験体の不足を理由に培養施設の拡張を提案したこともあった。


 ちょうどそのころ、あるニュースが学会をにぎわしていた。四半世紀も前に起こった原発事故の現場で、ある細菌が採取されたのである。いまだに放射線の影響で、防護服なしでは立ち入れないような環境下で、生物が生存するのは不可能だと思われていた。ところがその細菌は、あろうことか放射線を栄養として成長する新種だったのである。生物は、どんな環境下でも生き延びようと進化を続ける。この細菌がいい例だった。


 この細菌について、詳しく調べてほしい。彼のもとにそんな依頼が舞い込んだのは、それから間もなくのことだった。この細菌のDNAをほかの動物に組み込んだらどうなるか。また、細菌の性質を利用した何かを作り出せないか。


 こうした放射線養分化の性質を持つ細菌は、実際に国際宇宙ステーションに送られて研究が進められている。ガン治療や、宇宙空間での食糧生産などが主な目的だ。しかし彼が着手したのは、人間自身が放射線への耐性を獲得するための研究だった。


 その細菌は、変わった特性を持っていた。宿主の細胞に侵入すると、まず体皮を溶かすのである。それで宿主が死に至るわけではなく、溶けた体皮は粘性を帯び、体中を覆う。細菌はその粘液を養分として、増殖を図る。次第に生命活動は緩やかになり、まるでナメクジのように変異するのであった。


 しかし、クローンを実験体とするところまで到達することはできなかった。研究の途中段階で、事故に巻き込まれたのである。天井が崩れ、生き埋めになったところまでは覚えている。目覚めたとき、彼は記憶を失い、密室に閉じ込められていた。体中を、ドロドロの粘液に包まれて。

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