回想 三

 彼が連れてこられたのは、地下につくられた研究施設だった。山間の盆地一帯に広がる広大な研究施設で行われているのは表向きの研究で、地下の施設にこそ真実があるのだと、戌井は言った。


 ごく普通の、どこにでもある研究施設のようだった。人間関係も特に不審な点はなく、むしろ前職のようなドロドロしたものを感じず、そういうところで神経をすり減らしてきた彼にとってはありがたいことだった。


 だが、普通だと彼が認識したのは施設のごく一部だった。徐々に彼は、信じがたい光景を目の当たりにするようになる。


 彼が取り組んだのは、遺伝子操作だった。まったく異なる種を掛け合わせるとどうなるか、いわゆるキメラである。植物同士や動物同士ではいくらでも前例のある研究で、彼も当初はマウスを使った研究に従事していた。だが、時が経つに連れて研究対象はより高度な生物へと変化していった。そして最終的に研究対象となったのは人間だった。人間と別の動物の交配が、当たり前のようにここでは行われていたのである。


 1920年代には、スターリンが人間と猿を掛け合わせた兵士を生み出そうとした。1960年代には、実際に中国で人間とチンパンジーのキメラが誕生したと言う記録がある。しかし研究所を襲った暴徒たちの手によって、真実は葬り去られている。倫理という壁が大きく立ちはだかるため、こうした研究はなかなか公にはされてこなかった。スターリンの例にしても、その計画が機密文書の流出によって明らかになったのは21世紀に入ってからだ。


 しかし近年、キメラ研究は急速に進んでいる。兎や豚、鼠などと人間との合成胚が誕生しており、医学的にも期待が高まっている。2009年には人間と動物の遺伝子を組み合わせたり、動物を品種改良することが国際的に禁じられたが、これらの研究を解禁しようという動きも活発化している。


 これまでまっとうな研究に従事してきた彼にとって、キメラ研究はある種許しがたいことでもあった。だが、戌井は平然とこう言った。

「それができるのがこの施設なんだよ。そして君は、こういう環境を求めていたのでは?」

 二の句をつげずにいる彼を尻目に、戌井は施設の中のある部屋に彼を案内した。ここに来てから半年後のことである。もともと年齢が近かった二人は、いつしか敬語を使わずに話す間柄になっていた。


 扉を開くと、そこには長さ2.5メートルほどのカプセルのような装置が、無数に並んでいた。

「ここから覗いてみたまえ」

 戌井に促されてカプセル上部の小窓から中を覗くと、そこには男性が目を閉じて横たわっていた。日本人ではないことはすぐに分かった。

「これは……死んでいるのか?」

「いや。仮死状態にして保管しているんだよ。これなら必要なときにすぐに使える」

 戌井は顔色一つ変えずにそう言い放った。


「生きている人間を……どうやって」

「気になるかい? まあ、真実を知れば君の迷いもなくなるかもしれないな」

 とりあえず、拉致ではないよ。戌井はそう言ってから、カプセルの中に横たわる人間について語った。


 戌井が最初にこの地下施設で取り組んだ主要な研究が、クローン技術だった。それもヒトクローンである。クローン技術規制法から逃れるために、クローンに関する研究はすべて極秘のうちに、地下で行われているのだった。


 クローンとはある生物から細胞を取り出し、その細胞を成長させて同じ個体を複製する技術である。だがその場合、取り出した細胞のみで成熟させることはできない。クローンを生み出すための母体が必要となる。

「金のためなら、平気で自分のお腹を痛める人間が世の中にはたくさんいるんだよ」

 戌井はそう言った。受精卵を自分の子宮で育てることで賃金を得ようとする女性を利用したのだという。


「よその国では当たり前のように行われていることだ。なかには実の子どもの臓器を売り飛ばす親だっているくらいなんだ」

 そうやってある程度の個体がそろってしまえば、そこからはクローン技術で生まれた女性に子どもを生ませればいい。成長促進材を使えば、子どもを産める体になるまでの期間を大幅に縮めることができる。副作用の問題があるとはいえ、相手がクローンならそれも気にする必要はないだろう。


 20年以上も前から、この施設ではそんな悪魔じみた行為が行われていたのだった。

「良心はとがめないのか?」

「ここで育ったクローンには、感情なんて存在しない。動物と同じさ。人間が感情を持つのは、そういうふうに育てられるからだろう。われわれにとって、クローンは実験のための動物でしかない」


 戌井の言うとおり、クローン技術によって培養された個体は人間らしい意志を持たなかった。言葉を発することもなく、実験の際も獣のような唸り声をあげるだけだった。


 はじめはそういった考え方に抵抗があったものの、どうやら人間という生き物は、何にでも慣れてしまうものらしい。特に彼のような男にとって、「研究のため」という名目があれば、倫理観など邪魔な存在でしかなかった。自然と彼は周囲の研究員と同じように、クローンをモノとして扱うようになった。

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