二十四日目

 腹部の傷跡は、すでにふさがっていた。銃弾が貫通したにもかかわらず、手術をしたわけでもなく自然治癒してしまった、その事実が、彼がすでに別の生物に変異しつつあることを物語っていた。


 彼は再び、もとの独房のような部屋に運び込まれた。以前よりも湿度が高く設定されており、大人の背丈ほどもある観葉植物が幾本も並んでいた。さながら熱帯雨林のようであった。


 2時間に一度くらいの割合で、研究員が様子を見に来る。しかし彼は目を覚まさなかった。周囲をばたばたと歩き回られても、注射器の太い針を差し込まれても、意識は戻らなかった。しかし現実には、彼は生命活動を続けている。床と壁の境なく、縦横に残された光沢がそれを物語っていた。無意識下の行動は以前に増して活発になり、ドアを開けて部屋に入った研究員が、まず上を見上げることもしばしばだった。


 そんなとき、研究員は棒で彼の体をつつき、強引に壁から引き剥がした。もう少し方法はありそうなものだが、彼に対する遠慮もなくなっていた。壁という拠り所を失うと、彼の体は重力に負けてだらしなく太い糸を引きながら落下した。べちゃっと醜い音が部屋中に響き、そのたびに研究員は白衣を汚されぬよう飛びのくのが常だった。


 所長はあれから姿を見せていない。研究対象としての彼に興味を失ったのか、それともあの時言っていた「ストーリー」を練っているのか。いずれにせよ、彼には何も気にすることなく睡眠を貪れるという安息が与えられていた。


 彼の四肢はまだ二本足で歩いていたころと同じように、元の長さで胴体についていた。食事が十分に与えられていたからだろう。食事というよりは、餌といったほうがふさわしいかもしれない。部屋中に生い茂る青々とした植物こそが、彼が口にできる唯一の栄養分だった。あの日所長が彼に与えたおかゆとリンゴは、人間としての最後の食事だったのである。以来、彼は自分でも気付かぬままに腹を満たしては、意味もなく部屋中を這い回った。動物と化しつつある彼には目的などなく、むしろ完全なる変異を求めてさまよっているようでもあった。


 ガラスで囲われた大部屋にいたナメクジの群れは、徐々にその個体数を減らしつつあった。食事を与えられず、自らの四肢を貪り、やがて餓死寸前まで追い込まれると、彼らは一匹ずつ、部屋から運ばれていった。声帯がふさがってしまったのか、彼らはどんな扱いを受けても不満を口にすることはなく、ただキィキィと耳障りな鳴き声を発した。この地下生活における圧倒的な弱者として、ナメクジたちは実験体というよりはただのモノとして、ぞんざいに扱われていた。


 それは彼とて例外ではない。所長が目を光らせているせいで生命を維持するだけの待遇はされていたが、研究員が彼に接するときの態度は嫌悪そのものだった。体を覆う粘液は埃やゴミで黒光りし、異臭を放っていた。それがのろのろと、死者の形相で移動するさまはまともな神経の持ち主なら正視に堪えざるものだった。監禁後、彼の衣服が剥ぎ取られたのもそういった理由によるものだった。研究員が、彼に衣服を着せることを嫌がったのである。どうせぐちゃぐちゃに汚れるのだから、裸のまま放置しておけばよいではないかと。

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