回想 二

 結局、彼は戌井の提案に応じることにした。どうせこの先、希望など見出せないのだ。それならいっそ流されてみようと、半ばやけっぱちな気持ちだった。


 ただし、彼はひとつだけ条件を提示した。自分を追い込んだ病院の同僚と、痴漢扱いした女に報復したいと。

「簡単ですよ。あなたが手をわずらわせるまでもない」

 彼の同意に気をよくしたのか、戌井は満面の笑みでそう答えた。後日、同僚の男は研究のデータを外部にリークした疑いで、研究所を解雇された。そして自宅で覚醒剤を服用しているところを検挙された。


 戌井からの電話で、彼はそのことを知った。新聞でもニュースでもこのことが取りざたされていたが、彼はこんなものかと思った。もっとせいせいするかと思っていたが、意外にあっけなく、つまらない思いだった。


 そのことを電話で伝えると、「前に進まないからだ」と戌井は言った。

「復讐っていうのは、過去と決別するためのものですからね。決してそこから、新しい何かが生まれるわけではない。まあ、過去にとらわれることがなくなっただけ前進といえるのかもしれませんが」

「過去との決別ね……そのわりにはずいぶんあっけない印象だ」

「そりゃそうですよ。あなたはそういうタイプの人間なんです。過去にとらわれず、先だけを見つめていたいんですよ。そもそも研究者になったのも、そういう目的があったからじゃないですか? しかし現実は、つまらない派閥争いだった。あなたは他に煩わされることなく、自分の才能を存分に活かせる環境に移るべきだったんですよ」


 戌井の言葉は、確かに確信をついていた。仕事にやりがいを感じてはいたが、常に何か物足りない気持ちを抱えていたのは事実だった。いつの間にか所内の慣習に両足を縛られ、保身に走る自分がいたようにも思う。若かりしころの情熱は、今の自分とは無縁のものだった。


「結果はどうあれ、約束は約束だ。あんたに付いていくことにしよう」

 それが、彼が地上で残した最後の言葉だった。

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