第5話 呼び出されました
朝、僕が目を覚ますと、もう既にベッドにリタさんの姿はなくて、身支度を整えてリビングに行けば、丁度朝食を用意してくれているリタさんがいた。
僕がおはようございますと声をかけると、リタさんはビクリと肩を揺らした後こちらを振り向いた。
「夕べは大変失礼しました」
声をかければ、いきなり深々とリタさんが頭を下げるので僕はどうしていいかわからずオロオロしてしまう。
「あ、頭上げてください、その、リタは、もう大丈夫なんですか?」
なんとか言葉を搾り出せば、リタさんは顔を上げて困ったように笑っていた。
「ええ、飲みすぎたせいか若干頭が痛いけど、大丈夫」
リタさんの頬がほんのり赤く色づく。
「昨日は少々取り乱してしまいました……そうだヨミ、何か欲しい物はある? お詫びに何かさせて」
リタさんはなおも申し訳無さそうに眉を下げ、僕にお詫びをしたいとまで言い出した。
別にそこまでしてもらう程のことはされて無いし、大丈夫だと言ってもそれじゃあ気が済まないとリタさんは食い下がってくる。
「……じゃあ、今度またこの前食べた肉饅頭食べたいです」
いつまでも押し問答していても不毛に思えてきたので、そう提案すれば、
「そんなのでいいの? だったらいくらでも食べさせてあげるよ」
きょとんとした様子で首を傾げた後、僕の頭を撫でてくれた。
彼女にとって、僕はどういう存在なんだろう。
小間使いにしては、優しすぎるような。
今日の朝食には、昨日市場で買った果物も添えられていた。
皮を剥いて口に含むと甘酸っぱい果汁が広がる。
僕が食べるのに夢中になっていたら、リタさんが
「今日は私の妹と、お掃除してくれる方々が来るからヨミもそのつもりでいてね」
と、微笑みながら言った。
リタさんの家族が来る。
……リタさんの妹に僕はどういう紹介をされるんだろう。
小間使い、養子、ペット……?
「そのつもりって、僕はどうしたらいいんですか?」
「そんなに構えなくても大丈夫だよ。妹にヨミの話をしたら、是非私の家に来る時に話してみたいって言ってたからちょっと一緒に話すだけだよ」
ちょっと一緒に話すだけ。
リタさんはそう言ったけど、メイドさん達が掃除に来るのならそちらの方に行って道具の使い方や掃除の仕方を習いたい気もする。
でも、雇い主であるリタさんとその妹さんがそうしたいというのならそっちが優先されるべきなんだろうと思い直した。
「リタさんの妹さんってどんな人なんですか?」
何も知らない状態で会って失態を犯すのは避けたいと、それとなく妹さんについて聞いてみる。
「う~ん、ちょっと抜けてる所があるけど良い子だよ」
リタさんにちょっと抜けていると言われるなんて、一体どんな人なんだろうと思わずにいられない。
そうそう、と嬉しそうにリタさんが続ける。
「妹には昔私達が使ってた魔術教本も持って来てくれるように頼んでるから、今夜辺りから魔法の勉強は始められると思うよ」
リタさんの家では子供は皆最初にその魔術教本で文字と魔法の詠唱を一緒に憶えるらしい。
簡単な魔法を覚えながらその詠唱に関連する言葉やその意味を関連付ける事で詠唱も文字も魔法もまとめて憶えられると。
「まあ、詠唱は普段から使わないと言葉の意味はなんとなく憶えていても結構忘れちゃうんだけどね」
恥ずかしそうにリタさんが言う。
「リタさんって普段何も唱えたり儀式っぽいこと全くやってない状態からいきなり魔法使ってますけど、やっぱりそれができるようになるのは大変なんですか?」
「詠唱や儀式を破棄して魔法を使うこと自体は元の魔法をマスターしてれば練習次第で誰でも出来るよ~ただ極端に出力は落ちるから、元の魔法で十分に力を発揮できるようにならないとお勧めはできないかなぁ」
つまりは何事も基本が大事、ということなのだろう。
とりあえず、最初は詠唱や儀式をした上でもリタさんのように手早く料理を温めたり、ランプ無しでも辺りを照らしたり位は出来るようになりたい。
朝食を食べ終わってしばらくした頃、その人達は前触れもなく急に現れた。
「お姉さま、遊びに来ましたわ!」
「お久しぶりです。姉上」
青年と呼ぶにはまだ若い、見た目が人間で言うと十五、六歳位の男の人と十二、三歳位の女の人だった。
「あら珍しい、リックまでいるなんて」
リタさんの顔がほころんだ。
「初めまして、君がヨミ君だね、僕はリチャード、気軽にリックと呼んでくれ。そしてこっちが妹のローザだ」
リックさんは、リタさんと同じくらいの身長で金髪、新緑のような瞳をしていたけど、どことなく目元がリタさんに似ていた。
「こんにちは、
ローザさんは髪の色がリタさんと同じ桃色だけど、ゆるいウェーブがかかっている。鼻の形と口元がリタさんとそっくりだ。
「ヨミです。よろしくお願いします」
間違いなくこの二人はリタさんの妹と弟なんだろう。
僕はぺこりと頭を下げた。
二人とも質素だけど質の良さそうな服を着ている。
それにしても、この二人は一体どこから現れたのだろうと僕が思っていると、リックさんがこの家の中にはリタさんの実家の敷地とこの家を繋ぐ転移門があるのだと教えてくれた。
「私、お茶を入れてきますわね」
ふわりと笑いながらローザさんは勝手知ったる様子で台所の方へ向かう。
「私も……」
「お姉さまは大人しく待っててくださいな」
リタさんが腰を浮かせかけた所でローザさんがこちらを振り返って笑顔のままピシャリと言い放つ。
「はい……」
リタさんは気落ちした様子でまた椅子に座りなおした。
リックさんがリタさんに注意するように言った。
「姉上は何でもかんでも魔法に頼ろうとするからいけないんです。紅茶を入れるのに使う魔法なんて精々湯を沸騰させる物だけで十分なんです」
何があったのか聞いてみると、リタさんは以前紅茶を入れるのにも魔法を多用しすぎてポットを爆発させたり高熱でカップを溶かしたりして、自分でお茶を
昨日のスープ作りを思い出す。
「それでも何度か繰り返せば加減もわかってくるんでしょうが、流石に皆のお気に入りのティーセットが日に日に無残な姿に変えられて数を減らしていくのは見るに耐えませんでしたからね」
「うう、ごめんなさい」
そういえばリタさんは紅茶が好きらしく、台所には何種類ものティーセットが並んでいる棚があるのに一度も自分で紅茶を淹れている姿を見ていなかったのはそのせいなのだろう。
「でも、普通に淹れてもなかなか美味しい紅茶が淹れられないの。だから最近はローザやヴィッキーとのお茶会か町でしか紅茶は飲めてないし」
リタさんがため息混じりに言えば、リックさんが頷く。
「賢明な判断ですね」
そうしている間に、ローザさんがお盆に人数分の紅茶を乗せて持ってきた。
ローザさんは紅茶を順番にテーブルの上に置くと自分も席について、軽く咳払いをした後口を開いた。
「それでは早速本題に入りましょう。お姉さまはヨミ君をどのように育てたい、また育って欲しいとお考えですか?」
突然僕の話題になって驚いたけれど、リタさんは至っていつも通りだった。
「うーん、とにかく元気で良い子に育ってくれれば言うことは無いかな。でも強いて言うなら、特別強くなる必要は無いけれど、この辺りを魔物
少し考えるようにリタさんが言えば、なる程わかりましたとローザさんが頷いた。
直後、ローザさんは今度は僕に尋ねる。
「ではヨミ君、君は何かしたいことはあるかい? 学びたいこととかやってみたいことでも良い」
突然、僕に会話を振られて思わず口ごもる。
「ええっと、とりあえず掃除とか料理とか、できるようになりたいです」
「それはなぜ?」
僕が答えると、間髪要れずにローザさんが聞き返してきた。
思ったままに僕は答える。
「少しでもリタさんのお役に立てればな、と」
「そんなに気を使わなくても良いよ~ヨミは私の家族なんだから」
そう答えれば、今度はリタさんが横から僕の頭を撫でて来る。
「ちなみに姉上、ヨミ君にはある程度までは強くなって欲しいようでしたが、どうやって彼を鍛えるんです?」
今度はリックさんがリタさんに尋ねる。
「それはヨミの適性を見ながらという感じだけど、まずは魔法を教えてみようと思うの」
リックさんが一冊の本をリタさんに手渡しながら言う。
「これですか。ですが万が一、彼に魔法の適性がなかった場合、姉上は彼に何を教えられるんです? 魔法はともかく、他はからっきしじゃないですか」
恐らくあの本がリタさんの言っていた初心者向けの魔術教本なのだろう。
「でも別にそんなに強くなれなくても、私は一向に構わないよ。いざとなったら私が守るもの。あ、そうだ。これあげる」
思い出したようにリタさんは服のポケットから緑色の小さな球の付いた首飾りを取り出して僕の首にかけた。
「何かあったらその球を砕いてね。すぐに私が駆けつけるから」
その後のリタさんの説明によると、この球には砕くとすぐに球の砕かれた場所がリタさんに伝わる魔術式が施されているそうで、危険な魔物に襲われた時に使えばすぐにリタさんが助けに来てくれるらしい。
「姉上、そうやって過保護に育てる事が必ずしもヨミ君のためになるとは限りませんよ。それに姉上も出来る事ならヨミ君が自分の身は自分で守れるようになった方がいいとわかっているはずです」
リックさんが真剣な顔をして言う。
「でも武術を教えてもらえるように頼めるあてなんて無いもの」
困ったようにリタさんが言えば、
「では僕がヨミ君の稽古をつけましょう」
「なら私はヨミ君に一般的な教養や礼儀作法を教えますわ」
待ってましたと言わんばかりにリックさんとローザさんが僕への教育を申し出る。
リタさんは戸惑いの表情を浮かべた。
「二人とも気持ちはありがたいけれど、どうして急にそんな……」
驚いたようにリタさんが言えば、用意してきたような台詞を二人が演技がかった大げさな様子で言う。
「姉上にとってヨミ君が家族だというのなら、僕達にとっても彼は家族です」
「そんなヨミ君がどこへ出ても恥をかく事の無いよう私達も出来る限りのことをしたいのです」
「そう? ありがとう」
対してリタさんはきょとんとした様子で首を傾げた。
これはまずいことになるかもしれない。
僕は今までの経験から予感した。
「ヨミはどうしたい?」
リタさんは僕に尋ねる。
できるだけざわめく感情を切り離して平静を装う。
「じゃあ、リックさんとローザさんにもお願いできますか?」
こんな時は下手に回避しようともがく程、後が大変になる。
村にいた時もこんなことはあった。
僕と母さんが二人でいる時に村の人間が話しかけてきた場合、皆、母さんがいる間は僕に対しても優しいのだ。
そして母さんを食事や雑談に誘い、僕には別の場所で遊ぼうと誘ってくる。
その後はまあお約束だ。僕が一人でいる時に彼等と出くわした時と大差は無い。
ただ、そうやってわざわざ僕を母と引き離したがる時は大体皆暇なので拘束時間が長いのだ。
川で何度も溺れさせられそうになったこともあるし、山でも色々な嫌がらせをされた。
だけど村の人達は皆母さんには優しく、母さんも村の人達は大好きだったようでいつもあの後何を話しただとか何を食べただとか言ってお土産を持ってきてくれる母さんの前にすると、僕は結局何も言えなかった。
リタさんに母の面影を重ねていた僕は、まさかこんな所までそっくりなのか驚いた。
「では早速今日からでも授業を始めましょう。といっても今日は見学のような感じになるでしょうが。そうですね、明日からはお昼前にお兄様と武術のお稽古の時間が二時間、お昼の後は私の教養を教える時間が二時間でどうでしょう。朝は私が転移門から迎えに来ます」
「僕はそれで構わないが、ヨミ君は?」
「では、それでお願いします」
リックさんとローザさんと話を進めていけば、リタさんはヨミも随分と乗り気なんだね。と、少しいじけたように言ってはいたが微笑ましそうに笑っていた。
屋敷の中のある部屋の扉を開けると、その先は壁だったけれど、壁には見覚えのある魔法陣があった。
「それでは、『貴族では無いけれど特殊な魔術を扱うことにより富裕層からお金を巻き上げ、巨万の富を築いた我が一族の屋敷』へと向かいましょうか」
「そうだな。『貴族では無いが金だけには困ってない我が一族の屋敷』へ向かうとするか」
ローザさんとリックさんがわざとらしく言い合う。
どうやらこういう設定で行くつもりらしい。
「今日もだけど、ヨミの送迎はちゃんとお願いね? 転移門の開閉はヨミには出来ないんだから」
心配そうにリタさんがリックさんとローザさんに念を押す。
「ええ、私達に任せてくださいな。今日は昼食前には帰しますから」
ローザさんが胸を張ったけれど、僕はただひたすら気が重かった。
つまり、この人達の機嫌を損ねたら僕はもうここに帰ってこられないかもしれないのだから。
転移門を潜れば、そこは雲がかかる程高い岩山が周囲にそびえ立ち、下には広大な森が広がる岩山の山頂だった。
辺りには大きな木はなく、背の低い草花が生い茂っており、周囲を見回せばすぐ後ろに城のような巨大な屋敷が建っている。
そしてその屋敷のすぐ横にこの辺でも一際大きな岩山を見つけた。その岩山は一つ巨大な大穴が開いたていたけど、きっとあの屋敷に住む誰かが以前空けた物なのだろうなとは察しが付いた。
少し離れているのでわかりにくいけれど、大穴の隣に並べたらこの巨大な屋敷だって簡単に丸ごと入ってしまうのではないかと思える。
「さて、やっとお姉さまを抜いて話せますわね」
かしこまった声が背後から聞こえてきて、僕は現実逃避をしていた意識を戻す。
身構えて振り返れば、そこには真剣な面持ちのリックさんとローザさんの姿があった。
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