第22話 空中散歩
「リタ」
搾り出すように僕はつぶやく。
にこにこと笑ってリタは僕の方を見ている。
「あの、ぼ、僕もそろそろリタと一緒にお風呂に入るのは、は、恥ずかしいので別々に入りませんか?」
所々つっかえながらも僕がそういえば、
「そっかあ、わかった。じゃあヨミ先に入りなよ、早く身体洗いたいでしょ?」
と、若干不満そうではあるがリタは頷いてくれた。
僕はそんなリタの言葉に甘える。
リタも待っているので体を洗ってさっぱりしたところで湯船には浸からず、もう上がろうと思っていると、背後で入り口の戸が開く音がした。
恐る恐る振り向けば、イタズラに成功した子供のような顔をしたリタが一糸纏わぬ姿で浴場に入って来るのが見えた。
「なんで入ってきてるんですか!?」
思わず僕が声を上げれば、
「だってどうせヨミのことだから次に私が待ってるって思ったらお風呂でゆっくり出来ないだろうし、そろそろ暗くなってきたしこれならお互いがあんまり見えないから恥ずかしく無いでしょ?」
どうだ名案だろうとばかりにリタが答える。
けれど、暗くなって来たと言ってもまだ薄暗い程度なので多少離れた場所にいるリタの表情までよくわかる。
結局、僕はリタとすれ違ってそのまま風呂を出て行く勇気はなく、そのまま湯船に浸かった。
ところが身体を洗うのに湯船の湯を桶ですくって使うので、自然とリタは僕の方を向いて体を洗うことになる。
見ないようにしようと顔を背けるけれど、やはり気になってちらりと盗み見れば、白い泡に包まれながらも
急に僕が後ろを向いたので、どうしたのかとリタが尋ねてきた。
「いえ、そろそろ星とか見えるんじゃないかなーと思いまして」
咄嗟に空を見上げなら出まかせを言えば、まだ微かに明るい空にいくつかの星が輝いているのを見つけた。
「星、見つかった?」
身体の泡を流す音と共にリタのんびりとした声が聞こえる。
「ええ、いくつか」
答えながらも頭を動かせないでいると、湯船に入る水音が聞こえて、リタの気配が近づいてくる。
「ほんとだ。もうちょっと待ってたらお風呂からもっと沢山の星が見られるかも」
湯船の中で、僕の隣に来たリタが楽しそうに言う。
リタの腕と僕の腕が少し触れて、心臓が軽く飛び跳ねる。
「グリフォンの餌はね、一日一回魔物を食べさせればいいから、明日は一緒に
リタはそう言いながら両手を目一杯広げて餌の必要な魔物の肉の大きさはこの位。と両手を広げて僕に説明する。
ほぼ人一人分だろうか。
グリフォン自体かなり大きいのでそれを考えればこれ位の肉は必要なのかもしれない。
というか、リタが手振りで説明するのでそちらを見るしかないのだけど、物凄く目のやり場に困る。
「ググの乗り方はリックにでも教わったらいいよ」
リックには私から頼んでおくねと言うリタに、僕は逸らした視線をリタに戻す。
「リタは乗らないんですか?」
ググを買ったのは僕のプレゼントとしてであって、リタはググに乗るつもりは全く無いということだろうか。
「うん、私って騎乗の才能って無いみたいだから」
「リックさんに昔グリフォンから落ちて大怪我したって聞きましたけど、それが原因ですか?」
僕がリックさんに聞いた話を持ち出せば、リタは静かに首を横に振った。
辺りはもうだいぶ暗くなってきてリタの表情はよくわからなかった。
「怪我なんてすぐ魔法で治せるからそんなの全然平気だよ。ただ……」
「ただ?」
聞き返したものの、しばらくしてもリタからその言葉の続きを聞くことは出来なかった。
日が完全に落ちて辺りが暗くなると、空一杯の星空が広がって、たまにはこういうのも良いねぇと話すリタに、僕はさっきの話が完全に終わってしまった事を知った。
さっきリタは何を言いかけたのか気にはなったけれど、リタは話したくなさそうだったから僕はそのまま黙っていた。
翌日の昼頃、僕とリタとググは一緒に不帰山へ狩りに出かけた。
グリフォンに力を示すためには、グリフォンよりも強い魔物を目の前で倒してその肉を与えると言うのが効果的らしいので、僕はググの前で、そこそこ大き目のドラゴンを狩って見せて脚の部分の肉を引きちぎってググに与えてみた。
ググが肉を食べ始めたのを確認して僕はドラゴンを血抜きした後、運びやすいように尻尾や首などを縛っていく。
ドラゴンを縛り終わる頃にはググも食べ終わっていたので、ドラゴンを抱えてそのまま転移門までググを引くリタと歩く。
そのままいつものように、ドラゴンを持って町の広場に行けば、ドラゴンよりもググの方が注目されていた。
周りの視線にググは落ち着かなそうだったけど、リタの手前、大人しい。
家に帰ると既にリックさんが来ていた。
リタとリックさんはリタもググに乗るのか乗らないのかと、しばらく話していた。
結局リックさんが折れて、僕だけグリフォンの乗り方を教わることになる。
そうは言っても、グリフォンに対してのいくつかのサインを教わるだけで、後はほとんど実際に乗って体で覚えろと言われた。
ドラゴン肉のおかげか、ググは昨日に比べて格段に言う事を聞いてくれる。
後はブラッシングや鞍や手綱のつけ方や外し方、きゅう舎の掃除の仕方を一通り教わった後、わからないことがあれば大体これに書いてあるからとグリフォンの飼育に関する本を渡された。
とてもためになって楽しい時間だったけど、リタは終始近くでニコニコと僕達を見守っているだけだった。
僕の誕生日は毎年リタの実家で祝われる。
誕生日当日の今日も例年通り、リタの両親にリックさん、ローザさん達が僕等を温かく出迎えてくれた。
リタの提案でググも一緒に連れて行くと、屋敷の人達は随分と驚いていた。
ダークグリフォンとはそんなに珍しいのだろうか。
「ヨミ君、もしかして君はこのダークグリフォンをもう手懐けてしまったのかい? 確かそのグリフォンを買ったのはつい先週だと聞いたが……」
これはますますリタに頭が上がらないと思っていると、リタの父親のエギルさんが笑顔を引きつらせながら聞いてきた。
「はい。最初は頭を齧られたりしたんですが、食事に強そうな魔物の肉を毎日あげてたら言う事を聞いてくれるようになりました」
リタ程ではないけど、世話をしているうちに友好的になってきているググの首を撫でながら答えれば、成長が早いとはいえ十六歳でこれなんてヨミ君は将来有望ねとリタの母親のクレアさんが笑った。
十六歳になったばかりだというのにドラゴンを独力で倒し、グリフォンの中でも特に気位の高いダークグリフォンを一週間もしないうちに手懐けられる人材は貴族でもそうはいないと褒められた。
だけど、たぶんそれは僕の身体の成長するスピードが周りより早いのが主な原因だと思う。
ローザさんはそれを抜きにしても大した物だと褒めてくれたので、そこは大人しく喜んでおく事にした。
これだけ強ければ将来は良家の娘さんと結婚することも出来るだろうとか、その時は応援するとも言われた。
リタに育てられ、その妹と弟に武術や教養などの教えを受けた僕は、家族関係と同様に重視されるという師弟関係の弟子に当たるのだろう。
この場合の師はリタ、リックさん、ローザさんの誰になるのかはわからないけど。
良家の娘さんと聞いて、なんとなくリタを目で探せば、後ろから抱きすくめられ、
「貴族の娘さんなんてダメです。ヨミはもっと一般的な女性と結婚して、地に足の付いたささやかでも幸せな家庭を築いていくべきなのです」
と拗ねたようなリタの声が聞こえた。
それはつまり、将来的には貴族のリタではなくノフツィの町娘とでも結婚して静かに暮らせと言いたいのだろうか。
確かに僕とリタでは釣り合わないかもしれない。
だけど、なんだかそのもの言いにも少し腹が立つ。
なら、こんな風に僕を抱きしめたり、僕のために色々尽くさないで欲しい。
こんなの、期待してしまうじゃないか。
僕はその日、少し拗ねていた。
「リタ、今日は家まで転移門じゃなくてググに乗って帰りませんか?」
だからこう提案したのも、ある種の八つ当たりのような物だった。
リックさんに糧無山へ帰る方角と、グリフォンで行くのならどれ位時間がかかるのか聞いて、今から出発すれば日が暮れる前には帰れそうだとわかった僕は、リタに今日はググに乗って帰らないかと提案した。
それを聞いたリックさん達は苦手意識を克服するチャンスだと言って僕の言葉に賛同してくれた。
最近ググに乗るのも少し慣れてきたので長距離を移動してみたいとか、リタも一緒の方が僕もググも嬉しいと言えば、リタは一瞬ためらったような顔をしたものの、最後は覚悟を決めたようで頷いてくれた。
だけど本当は、昔グリフォンに乗って恐い思いをしたらしいリタが、恐がる所を少し見たかったというのが本音だ。
家に着くまでの少しの間、怯えながら僕を頼ればいいと思った。
ドレスを着ているリタは前の方に横を向きにググに腰掛け、僕がその後ろに座って手綱を握る。
落ちないように僕に抱きつく形になったリタは、僕の予想に反して空中散歩を楽しんでいた。
逆に僕の方が想像以上にリタにくっつかれてドキドキしている。
しばらくググに乗っていると、リタは気分が良くなってきたのか身を乗り出して下の景色を眺めたりしだした。
「そんなにはしゃぐと落ちますよ。……リタは、グリフォンに乗るの恐いんじゃなかったんですか?」
流石に危ないのでリタに注意しながら、ポロリと本音がこぼれ出た。
「うん、恐いよ。でも恐いのはグリフォンから落ちることじゃなくて、その後なんだ」
「その後?」
リタは僕の言葉に体を起こすと、急に大人しくなって困ったように笑った。
「グリフォンって、上下関係をすごい気にする生き物だから、例えばグリフォンに乗ってた時に落ちたり、何かにぶつかったり、墜落したりする事故が起って飼い主が怪我した時は、グリフォンに落ち度があるかどうかに関わらず、折檻する必要があるの。そうして飼い主が怪我する事を嫌がるように教え込む必要があるの」
「それは本にも書いてありましたね」
ポツリポツリと話し出したリタの言葉を、リックさんに渡された本の内容と照らし合わせる。
「それで私も小さい時にグリフォンから落ちた時、グリフォンに折檻しようとしたの。でも私今よりも身体小さかったし、鞭とかも持ってなかったから、魔法を使うことにしたの。そしたら……」
そこで一旦リタの言葉は途切れて、僕はそのままリタの話の続きを待った。
「頭に軽く衝撃を与えるつもりだったのに、力加減を間違えて、首まで一瞬で潰れちゃったの」
搾り出すような、泣きそうな声でリタは呟いた。
「落ちたのも私の注意不足だったし、あの子私にとても懐いてくれてて、私が落ちた時もすぐに飛んできてくれて心配してくれたのに」
リタの表情は下を向いてしまったのでわからない。
でもきっと悲しそうな顔をしているんだと思う。
「それから私は自分の力が恐くなって、必死で魔法のコントロールを身につけたけど、あの時の事はどうしてもやりきれなくて、魔物に乗るとそれを思い出しちゃうから乗りたくなかったの」
「それならどうして今、僕と一緒にググに乗ってくれてるんですか?」
僕はリタに尋ねずにはいられなかった。
そんなにその事を気に病んでいたのなら、僕の申し出なんて突っぱねて自分だけでも転移門から帰れば良かったのに。
「私もいつまでも魔物に乗れないのは良くないとは思ってて……だからヨミがグリフォンに興味を持ってるって聞いた時はそれを克服する良いチャンスだと思ったんだ。だけど、いざ実際にグリフォンを前にしてみると足がすくんじゃって」
そう言いながら顔を上げたリタは、穏やかな顔で笑っていた。
「私はきっときっかけが欲しかったんだよ。それに、ヨミと一緒に乗ってみたらやっぱり気持ちよくて。そういえば私、あの事があるまではあの子に乗って空を走り回るのが大好きだったなって思い出したの」
ありがとう。そう言ってリタはまた笑った。
僕は動機が不純だっただけに、妙な後ろめたさも感じたけど、リタの楽しそうな姿を見ているとなんだか幸せな気持ちになった。
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