第15話 おかえりなさい

 リタが招集されて、二週間が経った。

 連絡は未だに無い。


「ローザさん、魔王城とか王都ってどこにあるんですか?」

「ユダル地方の、もっと北西の方ですわね」

 静まり返ったリビングで、テーブルを挟みながらローザさんと向かい合いながら僕は座っている。


「グレイシー家からなら、転移門ですぐなんじゃないですか?」

「行かせませんわよ?」

 今までこんな事はなかったのに、二週間も連絡がないなんて、リタに何かあったのではないだろうかという焦燥感が僕を支配する。


 もしこのままリタが帰ってこなかったら……。


「なら他の交通機関を乗り継いででも行きます」

「ダメに決まってるでしょう。そもそも私はお姉さまの帰りが遅くなった時にヨミ君がそんなことをしないように見張りを頼まれてるんです!」

 僕が立ち上がって部屋を出て行こうとすれば、一瞬で出口に結界が張られ、僕をリビングに閉じ込めた。


「こんなことしたって、ローザさんが帰った後に僕は出かけるので何の解決にもなりませんよ?」

「そうですね、今日から泊り込みになりそうですわ」

 ローザさんがため息をつきながら言った。

 暗に今すぐ結界をとくか王都に転移門で連れて行けと言ったのだが、それはあっさりと却下されてしまった。


 目の前に広がる結界の壁を見ながら、いつかのヴィクトリカさんのように無理矢理結界を壊すにはどれだけの力が必要なのだろうかと考えていると、玄関から聞き覚えのある声が聞こえた。


「ただいま~」


 リタだ。

 ローザさんのほうを振り向けば、ローザさんもすぐに結界を解除してくれた。

「リタ!」

 玄関へ駆けつければ、そこには多少服がボロボロになっているものの、元気そうないつものリタの姿があった。


 感極まって抱きつけば、リタは優しく僕の頭を撫でてくれた。

「ヨミに早く会いたくて、急いで仕事終わらせてきたよ~」

 そう言いながら今度はぐりぐりと僕の胸に頭を押し付けるリタがたまらなく愛おしかった。

「おかえりなさい、リタ」


「お姉さま!」

 ローザさんもリタのもとへ駆け寄ってくる。

「ローザもありがとう」

 リタが嬉しそうにローザさんに抱きつき、ローザさんもリタを嬉しそうに抱きしめ返した。


「家をでてから、まともにお風呂に入れなくて私泣きそうだったの。早速お風呂入りたいんだけど、一緒に入る?」

 リタが僕とローザさんを見て笑う。

 もちろん僕は断り、ローザさんも遠慮しておくと笑った。


「お姉さまのお話もお聞きしたいところですが、今日は疲れていらっしゃるようなので、明日また出直そうかと思いますわ」

 ローザさんはそう言って帰ってしまった。


 リタに昼食はもう食べたかと聞けば、まだだと言うので、僕はリタが入浴している間に昼食を作ることにした。

 今日はリタの好きな料理を作ろう。

 そんなことを考えながら台所の食材を漁った。



 テーブルの上にこれでもかと皿が並び、少し作りすぎてしまったかもしれないと僕が時計を見れば、リタが帰ってきてから既に二時間以上が経過していた。

 リタはいつも風呂は長い方だけど、今日はいつも以上に長い気がする。

 まさか、疲れていたようだし、まさか風呂場で眠って溺れているのではと思った瞬間、一気に血の気が引いた。


「リタ! 大丈夫ですか!?」

 慌てて風呂場の戸を開ければ、そこには溺れてはいないものの、湯船でぐったりとしているリタの姿があった。

 急いでリタを抱えて湯船から出す。


 何度か頬を軽く叩きながら呼びかければ、リタはぼんやりと気だるそうに目を開けた。

「ん……あれ、お風呂?」

 意識が戻ったことに安堵しつつ、僕は依然ぼんやりした様子のリタの髪と身体を軽く拭いた後、リタの体にバスタオルを巻いた。

 数枚のバスタオルを持って、そのままリタを抱えてリタの部屋のベッドまで連れて行き、タオルを下に敷いてからリタを横にさせる。


 多分、リタは風呂でのぼせただけなのだろう。

 台所から水を汲んできてリタに手渡せば、ごくごくとその水を飲みながら

「あ~生き返った~」

と言ってまたベッドに横になってしまった。


 空になったグラスを受け取りながら、僕は今の状況にはっとする。

 体にタオル一枚しか身につけていないリタが、気だるげに上気した顔でうとうととしている。

 タオルは胸から股の辺りまでの長さしかなく、あらわになった白い手足が眩しかった。

 まずい。これはもしかしたら普通に裸を見るよりもドキドキするかもしれない。


「そ、それじゃあ僕はグラスを片付けてきますね。リタはそのままゆっくり休んでてください」

 できるだけ今のリタの格好を見ないようにしながらきびすを返す。

 しかし、それは何かに服の裾を引っ張られる気配によって阻止された。

 僕が振り返れば、申し訳無さそうな顔のリタが僕の服の裾をつかんでいた。


「ごめんね、ヨミ、帰ってきていきなり迷惑ばかりかけちゃって」

 片手で胸元のタオルを抑えながら体を起こして上目遣いで話すリタに、目が釘付けになってしまう。

「め、迷惑なんて、思うわけないじゃないですか。……家族なんですから」

 こんな様子のリタの手を振り払って部屋を出て行く訳にも行かず、何とか平静を装いながら言葉を返す。


「ふふっ、ありがとうヨミ。さっきもヨミがいてくれなかったら私あのままだったら大変なことになってたかも」

 リタが困ったように笑った。


「疲れてたんだから、しょうがないです。それに、リタの事は僕がずっと見てます。だから、大丈夫です」

「そっかあ、じゃあ安心だね」

 目のやり場に困りながらも答えれば、リタは嬉しそうに目を細める。

 正直、僕がリタを見ていることが大丈夫で安心かどうかはわからないが。


「……リタ、好きです」

「うん、私もヨミのこと大好き」

 それはほぼ無意識に呟いていた。

 リタはその呟きに間髪いれずに自分もだと答えてくれる。


 でも、リタのこの好きは僕が欲しい『好き』ではないこと位は僕にもわかっていた。

 その場にしゃがみこんでベッドに腰掛けるリタの顔を見上げれば、窓から差し込むの日の光が背後からリタを照らして、まるで後光のようだった。

「リタ……」

「なあに?」

 僕が名前を呼べば、リタがその先を促すように返事をしてくれる。


 このまま、リタに僕のこの気持ちを伝えたらどうなるだろうか。

 僕にとってはもはや神聖な存在でもあるこの人に、どうやったら嫌われないで思いを伝えられるだろうか。

 タオルを抑えていないリタの右手に僕の左手を絡める。


「…………僕の方が、リタの事好きです」


 結局、僕が搾り出した言葉は、子供が母親に甘えているだけとも取れるような物だった。

 きっとリタはこれが僕の精一杯の愛の告白だなんて気付きもしないだろう。


「私も負けてないと思うけどな~」

 案の定いつもと変わらない調子で、僕の絡めた左手を握り返しながらリタが笑う。

「そんなこと無いです。僕の勝ちです」


 なんだか悔しくてベッドに腰掛けるリタの腰に抱きつけば、

「そっかあ、私は幸せ者だね」

という言葉が聞こえてきて、頭を撫でられた。


 今、この場でリタを押し倒したらどんな反応をするだろうか、なんて考える一方で、この人をそんな風に汚すなんて絶対に許さないと叫ぶ僕がいた。

 そんなグルグルとした葛藤を抱えながら、しばらくリタに頭を撫でられていると、僕を撫でるリタの手が止まった。

 恐る恐るリタの顔を覗き込めば、うとうとと眠たげな様子だった。

 考えてみれば二週間ろくに風呂にも入れない程緊迫した状態に置かれていたのだ。

 家に帰って緊張の糸が切れた今、リタはやっと安心して休めるのに。


 そんなリタに何を考えているんだと、僕は自分が恥ずかしくなった。

 リタをそのままベッドに寝かせて、風邪をひかないように上から布団をかける。

「食事は後でも出来ますから、今はゆっくり寝てください」

 小さな声で囁くように言えば、リタはもう寝付いてしまったらしく、特に反応はなかった。


「…………」

 リタの寝顔を見つめれば、陶器のように白い肌と瑞々しい唇に目を奪われた。

 収穫祭が終わった夜の頬の感触が蘇る。

 僕の唇が今にもリタの唇に触れそうな所まで近づいて、僕は動きを止めた。


 きっと今なら、リタにキス出来る。

 リタは僕が寝ている間にキスした事も気付かず、目が覚めたらまたいつものように笑ってくれるのだろう。


 だけど、そんなことしたって今までと何も変わらない。

 きっと後で余計に後ろめたくなるだけだ。

 僕は、リタの心が欲しい。

 身体も魅力的ではあるけれど、起きている時のリタが僕の本当の気持ちを知った上で僕を受け入れてくれることに意味がある。

 そしてそれは眠っているリタに何かしたところで成し遂げられることではない。


 リタが目を覚ましたら、また薔薇を送ろう。

 そして今度こそ思いを伝えようと僕は心に誓って部屋を後にした。

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