第2話 リタさんの白い背中

 村に居場所が無く、山で魔物に襲われて逃げていたと思ったらリタと名乗る優しそうな女の人に拾われて、事情を話したら屋敷に住まわせて貰うことになった。


 ……意味がわからない。


 何が起こったのかはわかるけど魔物に襲われて以降の出来事が余りに現実感が無さ過ぎて、コレは気絶した僕が見ている夢なんじゃないかと思う。


 だとすると僕はもう死んでいるんだろう。


 あんな場所で倒れて、更に直前には狼や巨大な鳥に襲われていたのだから、きっともう僕の体は奴等の餌食となっているに違いない。


 そんなことをぼんやりと考えながらリタさんに手を引かれながら歩く。

 廊下をしばらく進んだ先にあった戸を開けるとそこはかごおけが置かれた部屋で、更に先へと続く扉の向こうからは滝のような水音が聞こえた。


「この辺は温泉地でね、我が家の浴場はなんと源泉かけ流しなの。というか、この辺一帯の生活用水は全部温泉なんだけどね」

 楽しそうにリタさんが笑う。

「温泉?」

「あったかいお湯が地面から沸いてくるの」


 よくわからない言葉が並ぶ。

 なんとなく風呂のことを話しているのはわかるけど、僕のいた村は温泉地とやらだったのだろうか?

 少なくとも近くにお湯が湧き出ているなんて話は聞かなかったし、そもそも村の生活用水は川の水か井戸水で、どちらも冷たい水だったはずだ。


「って、何脱いでるんですか!」

 もしかしてここは僕のいた所とはかなり離れた土地なのではないかなんて思いながらリタさんに尋ねようとしたらそこには下着姿で更にその下着も脱ごうとしているリタさんの姿があった。

 白い肌に豊かな胸、ウェストは細く、美しい体のラインになんだか僕はドキドキする。


「何って温泉に入るからだよ? さっきも言ったでしょ。一応手当てする時に体は拭いたけど、ヨミ君、相当うなされてて汗もかいてたからお風呂入ろうって」

「リ、リタさんも一緒に入るんですか?」


 全く話をきいていなかった。

 というか、風呂に一緒に入る?

 風呂は一人で入るものじゃないのか……?


「心配しなくてもウチの浴場は広いから大丈夫だよ。さ、ヨミ君も脱いで脱いで」

 別に広さの心配をした憶えは無いけど、その勢いに流されて僕も服を脱ぐ。

 僕の家の風呂は一人が火の番をしてもう一人が風呂に入る物だったので母さんと風呂に入ったことは無かったなと思い出した。


 リタさんの言った通り、浴場は今まで見たことも無い程広かった。

 滝のように温泉の湯がドラゴンの石像の口から溢れ、浴場は屋根はあるものの壁は無く、湯船に浸かったまま外の景色が見られるようになっている。

 その時僕の頬を撫でた風が温かくて、やっぱり僕のいた村とは違う場所である事感じさせた。

 村ではもうすぐ冬になるので空気ももっと冷たかったはずだ。


「びっくりしたよー、転移門を閉め忘れたかもと思って様子見に行ったら怪我した男の子が倒れてるんだもん」

 リタさんは石鹸という白い物体を網のような物を使って泡立てながら言う。

「リタさん、転移門ってなんですか? ここはどこなんですか? あと、僕かなり酷い怪我をしていたと思うんですけど、起きた時には傷も何も無くて……」

 聞きたいことは沢山あった。


「えいっ」

 だけどそんな僕の言葉は先程から泡立てていた大量の泡をまとめて押し付けてきたリタさんによって遮られた。

「最近、帝都で流行ってるんだって。この網の塊みたいなので石鹸を泡立てて体を洗うの。こうやって洗うと肌がきれいになるらしいよ」

 背中洗いますね、とリタさんの手が泡を伸ばしながら僕の背中を楽しそうに撫で回す。

「前は自分で洗ってくださいねー」

というリタさんの声が聞こえて慌てて僕も自分の体を洗いだす。


 僕の身体があらかた洗い終わると

「じゃあ今度はヨミ君が私の背中洗ってくださいね」

とまた僕に泡を渡してきた。


 淡い桃色の髪を一つにまとめてあらわになった真っ白なリタさんの背中はスベスベとしていて柔らかだった。

「ここはユダル地方のプーリャという所で、ヨミ君のいたウルス地方のレネクス村よりもずっと南にある温暖な土地で、年中暖かいの」

 一瞬何のことかわからなかったけど、どうやらリタさんはさっきの僕の質問に答えてくれているらしい。


「さっき言った転移門って言うのは、一種の空間移動用の魔法で、ある場所とある場所を繋げた出入り口のような物なんだけど、実はうっかりその門を閉め忘れちゃってヨミ君のいた不帰山の魔物がそのまま門を通って出てきちゃうかもしれなくて。それで確認に行ったら、門を通ってこっちの山に迷い込んだヨミ君を見つけたの」

 自分の身体を泡をつけて撫でるように洗いながらリタさんは言う。


「あの、魔法ってなんですか?」

「うーん、火を起こしたり、別の場所に移動したり、水を出したり……使えなくても生きてはいけるんだろうけど、あるととっても便利な技術かな」


 リタさんは風呂からすくったお湯で自分と僕の身体を流すと、湯船に浸かりながら首を捻った。

 今まで魔法がある生活が当たり前だったので上手く説明できないらしい。


「あ、そうだ!例えば、こんなこととかできるよ」

 そう言うとリタさんは湯船の中のお湯を両手ですくったかと思うと、それを宙に浮かせて球体を作った。

「水の周りの重力を操作して球体状にしてみました」


 そう言って目の前に差し出された透き通った球体はふわふわとリタさんの手の上に浮き、触ってみると普通の温かいお湯の中に手を入れるような感触で、とても不思議な光景だった。

「更にこのお湯から一気に熱を奪って凍結させます」

 リタさんがそう言った瞬間、透明だった球体は一瞬で白く曇り、リタさんから渡されたその球に触ってみれば、すっかり固く、冷たくなっていて先程の球体は氷になっていた。


「わあっ」

 思わず僕が声を上げてお湯の中に氷を落とせば、リタさんが楽しそうに笑った。

「こういうことが出来るのが魔法だよ」

「魔法ってすごいんですね!」

 僕がそう言えば、リタさんは僕の頭をポンポンと撫でた。


「どうしたんですか?」

「いや~ヨミ君かわいいなぁ、と思って」

 優しく目を細めるリタさんに、母さんの姿が重なった。

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