第28話 婚約と魔王様
「ヨミ、もう知ってるかもしれないけど、私の実家は侯爵家なの」
朝食を食べ終わった頃、急にリタが真剣な顔になって、既に散々ローザさん達から聞かされてきた事を話しだした。
知っていると答えると、こういうのはちゃんと私の口からヨミに言うのが大事なの。とむくれた。
リタの考え方はまるで少女のようだ。
「私の本当の名前はね、ヘンリエッタ・グレイシーというの」
「じゃあ、これからはなんて呼んだら良いですか?」
既にリタの本名も知っていたけれど、それは黙っておくことにした。
「ヨミの好きな方で良いよ。でもこれからも糧無山に住み続けるし、町の人達にもリタで通すから街中だと今まで通りリタが良いのだけど」
「それなら、これからもリタと呼びますね」
僕は変わらずリタと呼ぶことにした。今更本名で呼ぶのも違和感があったし、小さい頃から慣れ親しんだリタという名前の方が僕の中のリタのイメージに合っていた。
「私もすっかりリタって呼ばれるのに慣れちゃって、そっちの方が違和感もないんだけどね、ヨミには知ってて欲しかったの」
とリタは笑った。
その後、僕はリタに自分の家が魔術の名家であること、ある日素性をかくして求婚してきた魔王様に圧勝してしまった事や、跡継ぎは弟であるリックさんに譲ってプーリャで一般人として生活しながら結婚相手を探していたことなどを話してくれた。
どの話も既にリックさんやローザさん、ヴィクトリカさんから聞いた事のある話だったが、それをそのまま隠さずにリタが話してくれている事が妙に嬉しかった。
「でも結婚相手を探してたなら、なんで僕を引き取ってくれたんですか? その、結婚する為には普通に
だけど、どうしても気になることがある。
いろんな人達から話を聞く度に前々から僕は気になっていた。
使用人として働かせるつもりだったならまだわからなくも無いけれど、リタは僕にそんなことを求めたことはほとんどなかった。
紅茶を淹れたり家事をしたりすると喜んでくれるけど、別にそれをしなくても怒られたり嫌味を言われたことは一度もない。
僕の境遇に同情してくれていたとしても、普通そこまでしてくれるだろうか。
「確かにヨミのことを放って置けなかったっていうのもありましたけど、ええっと、その時は私も一人暮らしが寂しくなってきてた時期で……そう、家族が欲しかったんです! 一緒にご飯を食べたり、家に帰った時おかえりって言ったり言われたりしたかったんです!」
僕が尋ねれば、少し動揺しながらもそう答えてくれた。
そこで僕はやっと理解した。
「言ってみればリタにとって僕は、寂しさを紛らわすための愛玩動物のような存在だったんですね」
確かにそれなら今までのやたら僕に甘かったリタの態度も納得が出来た。
しかし僕の言葉を聞いた瞬間、リタは血相を変えて椅子から立ち上がった。
「愛玩動物!? 違います! 私はヨミをそんな風に思ってなんか無いです!!」
もしかしたら自覚がなかったのかもしれない。
「いえ、別に怒ってる訳じゃないんです。むしろそのおかげで僕は幸せな子供時代を送れましたし、今はちゃんと男として見てくれますし、不満なんて全く無いです」
なだめるように僕がリタに言えば、更にリタは
「違うんです! 私は全くそんなつもりなんてなかったんです!」
と言い募ってきた。
いくら気に入っていたとしても愛玩動物と結婚するなんてありえない。
もしかしたら、ずっと伝わってないと思っていた僕の猛アピールも、多少はリタに届いていたのかもしれない。
きっとリタもいつからか僕の事をそれ以外の目でみてくれるようになったのだと思う。
だから別に僕はそのことに対して全く不満なんて無いのだけど、リタはそれで僕の機嫌を損ねると思ったのか必死で否定してくる。
そんな姿もたまらなく愛おしいと思える。
「その、本当に違うんです。私がヨミを引き取ったのは、本当は別に目的があったんです」
しかし、リタは急に申し訳なそうな顔をして僕を見た。
「さっき、言ったじゃないですか、中々結婚相手が見つからなかったって、だから、思ったんです。ヨミを引き取ることにしたとき、この子を私の理想の旦那さんに育てようって……」
椅子に座りなおして、頬を赤らめながらリタが消え入りそうな声で言った。
部屋の中をしばしの沈黙が支配した。
『ヨミがこんなに立派に成長してくれて嬉しいです』
『私もヨミが大好き』
『私も負けてないと思うけどなぁ』
そんな過去のリタの言葉が思い出される。もしかして過去にリタが言っていた『貴族の娘さんなんてダメです。ヨミはもっと一般的な女性と結婚して、地に足の付いたささやかでも幸せな家庭を築いていくべきなのです』というのは、要するに僕は一般人として生活しているリタと結婚すべきと遠まわしに言っていたのだろうか。
なんだか物凄く顔が熱い。
僕とリタはもう何年も前から両想いだったのだろうか?
「それで、それは成功したんですか」
僕が何か話さなければと言葉を搾り出せば、リタが再び席を立って僕の目の前にやってきた。
「聞くまでもないと思うんだけど」
僕の目の前に来るなり、リタは僕を抱きしめた。
「それでもあえて言うなら、期待以上の大成功かな」
「……それは、良かったです」
妙な敗北感を味わいつつも、僕はそれ以上の充足感に満たされた。
僕とリタの婚約の報告をリタの家族にしに行くと、皆驚いてはいたけれど、祝福してくれた。
ローザさんは、いつかはこうなる日が来るのかも知れないとは思っていたけれど、意外に早かったと言う。
リックさんは、どこの馬の骨とも知れない奴をいきなり連れてこられるよりは、気心の知れた僕の方が安心できると言ってくれた。
母親のクレアさんはまあエッタが幸せならそれでいいわと笑う。
僕がリタに決闘で勝ったと聞いた辺りからしきりに孫が楽しみだと言ってくるようになった。
父親のエギルさんは終始動揺していた。君は今の自分の状況がわかっているのか、これから二人でどうするつもりなのかと聞かれた。
今まで通り糧無山で静かに暮らしたいですと答えると、エギルさんはいやしかし、と何かを言いかけて、まあ、それならいいんだ。と、最終的には僕達の結婚を認めてくれた。
もしかしたら魔王様から何か言われていたのかもしれない。
それでも僕達の結婚を認めてくれたのは、僕がリタを決闘で倒したという事実があったからなのだろう。
基本的に貴族の結婚相手はより強い子孫を残すためにも出来るだけ強い者が好まれる。
結果だけ見れば、僕は魔王様にも圧勝してしまうようなリタを倒したことになり、魔王様よりもはるかに強いことになる。
実際は相性による所が大きく、僕と魔王様がやりあったとしても簡単に勝てるとは思わないが。
基本的に日光のもとでは著しく弱体化してしまうため、夜活動する。
日光を浴びただけで灰になる者もいる。
儀式魔法によって特殊効果を付加された水、聖水をかけられると一時的に体の再生ができなくなる。
それを浴びるだけで体が溶けてしまう者もいる。
ただし他種族との混血によりこれらの弱点が克服されることはままあるため、屍族では他種族との婚姻が推奨されている。
僕はこの最後の一文を見て大きなため息を付いた。
どんな文献を読んでも大体このような内容の文が添えられていて、ここに書かれていることが必ずしも全ての屍族に当てはまる訳ではないと注釈を加えている。
そしてヴィクトリカさんは魔王様のことを、屍族ではなく屍族の血を濃く受け継ぐ者と言っていた。
つまり純血統の屍族ではない。
実際、日中も普通に活動していた。
以前リタへのプレゼントの中に水鉄砲と聖水の詰め合わせが贈られてきて、良かったら今度会った時にでもこれで撃ってもらえないだろうかというメッセージが添えられていた事もあるので、多少は効果が見られるかもしれないものの、恐らく致命的なダメージは与えられない物と推測できる。
魔王様にはリタを絶対に渡さないと決意したものの、図書館で屍族のことを調べる程にどうしたものかと僕は頭を抱えることになった。
魔王様からのプレゼントは未だに毎日のように送られてくる。
以前は服や宝飾品が主だったけど、最近はお菓子や先程の水鉄砲と聖水のセットだったりと変化球を混ぜてきている。
そしてリタも最近それを楽しんでいる節がある。
当然良い気はしない。
でもその理由を話すのは憚られて、僕はそれを黙認している。
その事を婚約の報告が済んだ後、リタの目を盗んでこっそりヴィクトリカさんに相談しに行った所、僕が魔王様に勝てる訳がないだろうとばっさりと斬り捨てられてしまった。
ヴィクトリカさんが僕達に望むことは、魔王様の前でただひたすらにリタとイチャイチャして魔王様の心を折ることだとも言われた。
特にリタさんがいかに僕のことを好きかということをアピールさせて、魔王様にもう自分に可能性がない事を知らしめる必要があるそうだ。
「そして私がそんな傷心の陛下を慰めてそのお心を射止めるのですわ」
と、ヴィクトリカさんは胸を張って言った。
ヴィクトリカさんの家から自宅に帰ると、リタがカミルさんからお茶会に誘われたと今日のプレゼントに入っていたらしい手紙を僕に見せてきた。
何でも大事な話があるらしい。
「私達も丁度大事な話があるし、お茶会は明日で急なんだけど、ヨミも一緒に行こうよ。実はカミルさんって皆知ってるような物凄い有名人なんだけど、せっかくだから明日お茶会の時に教えてあげる。きっとヨミもびっくりすると思うな」
一気に血の気が引いた。
無邪気にリタが言うけど、カミルさんの正体なら既に知っている。そりゃ魔王ならこの国では知らない人はいない有名人だろう。
そして全く伝わってはいないものの、毎日リタに猛烈なプレゼント攻撃をしてくる魔王様の大事な話というと、正直もうプロポーズしか思い浮かばない。
そしてあろうことかリタはそこに呼ばれてもいない僕を連れて行って結婚の報告をすると言っている。
波乱の予感しかしない。
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