第19話 ぶち壊す
その日ヴィクトリカさんが尋ねてきた時、リタは留守だった。
僕が今日はリタは用事で出かけていて帰りは明日になるかもしれないと伝えた所、そんなことは知っているし今日来たのは僕に用があるからなのだと不機嫌そうにヴィクトリカさんは答えた。
「とうとうあのお方が本腰を上げて動き出しましたわ」
とりあえず家に上がってもらい紅茶を淹れると、テーブルの上で手を組んだヴィクトリカさんが深刻そうな顔で言った。
「あのお方?」
「魔王様に決まっていますわ」
紅茶を一口飲み、ヴィクトリカさんは小さなため息をつく。
魔王様が本腰を上げて動き出した。とは何を指すのだろう。
わざわざそれを僕に言いに来るということは僕にも関係があることなのだろうけれど。
考えられる可能性は僕には一つしか浮かばなかったけれど、でもそうだとするとヴィクトリカさんがなぜこんな深刻な顔をするのかもわからなかった。
「いまいち話が見えないんですが、もしかして魔王様がリタを本気で落とそうとしているとか、そういうことですか?」
「それ以外に何がありますの」
多分違うんだろうなと思いつつ、最初に思い浮かんだ可能性を挙げてみれば、当然の様に肯定された。
まさか、今日リタが帰りは明日になるかもしれないなんて言って出かけて行ったのは……。
「それで、貴方はどうですの?」
僕の動揺を気にも留めない様子でヴィクトリカさんは言葉を続けたけれど、質問の内容が漠然としすぎて何を尋ねられているのかわからない。
質問の意味を僕が聞き返すと、ヴィクトリカさんはまた一つため息をついた。
「貴方はエッタのことをどう思っているのかと聞いていますの」
エッタというのはリタの本名、ヘンリエッタの愛称だ。
しかし今まで僕はずっとリタと呼んできたし、家族であるローザさんやリックさんは姉と呼んでいた。魔王様もリタさんと呼んでいたのでこっちの方が正しいのだろうけど、違和感を感じる。
そういえはヴィクトリカさんはリタを呼ぶときいつも貴方としか呼ばず、一度もリタとは呼んでいなかった。
「質問を変えますわ。ヨミ君はエッタのことを一人の女性として好きかどうか、私は聞いているんですの」
ヴィクトリカさんの質問にどう答えたものか僕が困っていると、ヴィクトリカさんはより直接的な質問に切り替えてきた。
しかも、なぜかヴィクトリカさんの機嫌がさっきより更に悪くなっているような気がする。
「好き、と言ったらどうなるんです?」
もしかしたら以前から僕のリタへの思いに気付いていたヴィクトリカさんが魔王様の気持ちを知って僕をけん制しにきたのかもしれない。
「私が貴方の協力者になってヨミ君の恋を応援するだけですわ」
しかし、僕の懸念はあっさりとヴィクトリカさんの次の一言で払拭された。
それで、どうですの?と尚も聞いてくるヴィクトリカさんに、僕が好きですと伝えた所、そうでないかと思っていたとヴィクトリカさんは満足そうに頷いた。
僕はそんなヴィクトリカさんの行動の意味がわからなかった。
「あの、ヴィクトリカさんは魔王様の側近なんですよね。いいんですか? 魔王様と親友の恋を応援しなくて」
思わず僕がそう尋ねた瞬間、ヴィクトリカさんは眉間にしわを寄せてまた不機嫌そうな顔になった。
「どうして、私がそんなことしないといけませんの。それに、私はエッタを友人、ましてや親友だなんて思ってませんわ」
僕を睨みつけながらそうのたまうヴィクトリカさんに、ますます僕は訳がわからなくなった。
二人はお互い愛称で呼び合う程仲がいいのでは無いのか?
「エッタがいるから私は一番になれず、私の想いは報われないと言うのに」
吐き捨てるようにヴィクトリカさんが言う。
その後ヴィクトリカさんから聞いた話によると、実は魔王様はリタの所に来るよりもかなり前にヴィクトリカさんに求婚しに来ていたらしい。
三大貴族に数えられるバシュラール家のご令嬢であるヴィクトリカさんが五十歳になり、初めて求婚された相手が素性を隠した魔王様だったようだ。
結果、魔王様は決闘でヴィクトリカさんに勝ったものの、弱すぎると言って求婚を取り下げてしまったらしい。
もし、これからヴィクトリカさんが強くなり、その時自分にも相手がいなかったらまた決闘を申し込んでやるという、かなり上から目線の捨て台詞を残して。
あまりに悔しかったヴィクトリカさんはそれからしばらく鍛錬を積み、貴族社会にそれなりに名を轟かせるようになった。
結局、決闘で負けたのは魔王様に負けた一回だけだった。
武者修行のために強いと評判のご令嬢にも片っ端から決闘の練習試合を申し込んだ。
だが巷で強いと噂されるご令嬢達も多くはヴィクトリカさんに敵わず、結局ヴィクトリカさんが最後まで勝てなかったのは同じ三大貴族であるグレイシー家のリタだけだった。
その頃にはヴィクトリカさんは自分がこれ程までにあの非常に上から目線で腹立たしい男に固執しているのは、単純に悔しさだけではなく、彼に自分を認めさせたいという思いがあるからだということは知っていた。
そしてリタの元に彼が求婚に来たあの日、魔王様がリタに完敗したあの日。
リタの親族に混じって決闘の一部始終を見て、後にリタから話を聞いたヴィクトリカさんはやっと自分が追い求めていた彼の正体を知った。
そして、当然魔王様と結婚してしまうのだろうと思っていたリタはあっさりと魔王様をふってしまった。
ヴィクトリカさんよりも強い魔王様を『弱いから』と言う理由で平然とふってしまうリタ。
しかしそれは貴族社会においてはよくあることで、それをどうこう言うつもりは無かった。
ただ、ヴィクトリカさんはその時に初めて最近はいい勝負になってきたと思っていたリタとの勝負が、実はリタに手加減をされていたということに気付かされた。
それは以前よりも断然強くなっていると思っていたヴィクトリカさんの自尊心を打ち砕くには十分な物だった。
だがそれと同時に、リタが魔王様と結婚しないなら自分にもチャンスはあるはずと考えた。
しかし、いつまで経っても魔王様はリタがいない今、貴族の中で一番強い令嬢であるヴィクトリカさんのもとへは現れなかった。
業を煮やしたヴィクトリカさんが親類の伝で魔王様の近衛騎士となって魔王様に仕えるようになった所、恋煩いなのか以前とはすっかり変わってしまった様子の魔王様がいたらしい。
その後、たまたま魔王様に定期連絡と言う名のお茶会に呼ばれていたリタと再会し、リタから無二の親友であると魔王様に紹介されたヴィクトリカさんはいきなり魔王様直々に親衛隊隊長に任命された。
そして親衛隊の表向きの仕事は魔王様の護衛だったけれど、実際の主な仕事は魔王様からの恋愛相談と魔王様とリタとの橋渡しだった。
「陛下に近づくために近衛騎士にまでなりましたのに、なんでその陛下から恋愛相談を受けて、更にその恋を応援しなければなりませんの!」
非常に腹立たしそうにヴィクトリカさんは吐き捨てた。
「話はなんとなくわかりましたが、でもそれならなんでリタや僕に普段からあんなに良くしてくれるんです?」
「良くなんてしていませんわ!」
僕が尋ねれば、ヴィクトリカさんは顔を赤くして反論してきた。
「暇を見つけてはよく遊びに来てくれて、手作りのお菓子を持って来てくれたり一緒に狩りに行ったり町に遊びに行ったりしてますよね?」
「手作りのお菓子は私の方が女として上であるという牽制ですわ! 狩りだって成果を上げれば私の方が優れているという証明になりますし、町に一緒に行くのはエッタの普段の生活を知って魔王様に報告するための話題づくりですわ!」
ヴィクトリカさんにそんなアピールをされているとは僕は全く気付かなかった。
そして多分リタも全くそれに気付いていない。
「とにかく! エッタがとっとと他の男とくっついて幸せになってくれないと魔王様がいつまでも諦めが付かなくて私が困るんです!」
ヴィクトリカさんが席から立ち上がり僕の方に身を乗り出してくる。
友達ではないと言うわりに、なんだかんだでリタの幸せを願っている辺り、やっぱり二人とも仲が良いんじゃないかと思ってしまう。
しかし、一つだけ気になることがある。
「でもなんで僕のことを応援してくれるんです?」
他にもリタを慕う人は多いはずなのに、どうしてその中から僕を応援してくれることにしたのだろう。
「どうしてかエッタは最初から貴方の事を気に入っていたようでしたので。単純にもう男と暮らすならそのままくっついてしまえと思っただけですわ。鬼族と人間のハーフなら間違いなく成長は早いでしょうし、貴方、昔からリタにべったりじゃありませんの」
理由を聞いてみたら、どんな形であれ一つ屋根の下、親族でもない男女が暮らしているのだから別にくっついても問題は無いだろうというかなり安直な物だった。
「もし、僕が他の人が好きだって言ったらどうするつもりだったんですか?」
ヴィクトリカさんの本心を知りたくなって、僕は尋ねてみる。
「他の男性を見繕ってきて、貴方にもエッタとその男性との恋を応援させるだけですわ」
にっこりとヴィクトリカさんは笑う。
「それは嫌です」
思わず即答した。直後、ヴィクトリカさんが愉快そうに腹を抱えて笑った。
「ならこれでいいでしょう。誰も不幸にはなりませんわ」
何がそんなにおかしいのかとも思ったけれど、なんとなく、以前リタがもし自分が男だったら間違いなくヴィクトリカさんに求婚していると笑いながら話していたのを思い出した。
「じゃあそう言う訳で一緒にぶち壊しに行きましょうか」
ひとしきり笑った後、ヴィクトリカさんは何か不穏な事を言い出した。
「ぶち壊すって、何をですか?」
「魔王様とエッタのデート」
「行きましょう」
これも即答だった。
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