第13話 DMCー 次元移動コンパス ー


 DMC(Dimension Movement Compass): 次元移動コンパス


 現実空間(三次元)と並行して存在する別の空間(四次元)を自由に往来できるシステム。

 メインシステムはサンタの本部に設置され、サブシステムはサンタの乗るソリDS(Dimension Sled)に搭載されている。また、サンタが両手にめている手袋がシステムを操作する端末の役割を果たす。


 端末から移動先の座標を入力すれば、瞬時に、場所の移動はもちろん過去や未来といった時間の移動も可能となる。ただし、別の空間へ移動した際、その空間に存在する者の姿や声を認識することはできるが、彼らにこちらの存在を認識させることはできない。


 また、別の空間に存在する者をシステム端末(手袋)でつかむことで、自分がいる空間へ移動させることができる。それにより手袋でつかまれた者はこちらの存在を認識できるようになる。

 しかし、手を放せばその者は元の空間へ戻ってしまうため、永久につなぎとめておくことは不可能。手袋は左右を別の者が使用することも可能で、その際は左手の手袋が優先端末となる。


★★


「タイムマシン……だって?」


 陽太は驚きを隠せなかった。タイムマシンという言葉は小説や映画で何度も見聞きしたことはあったが、実際に存在するなんて夢にも思わなかった。

 しかも、高度な科学技術をサンタが保有していることに違和感を覚えずにはいられなかった。


「まさかそんなものが存在するなんて……おっさん、何者だよ?」


「ふむ、話せば長くなるのぉ」


 サンタはやれやれといった様子で白い顎鬚あごひげを撫でる。


「ピンと来んかもしれんが、わしらサンタは国連のスタッフじゃ。正確には『国際連合教育科学文化機関ユネスコ』の下部組織『国際サンタクロース協会』に属しておる。

 活動内容はいわゆる慈善活動じゃな。よくお前たちが見かける、クリスマスに街頭や施設でプレゼントを配っているじゃよ。ただし、あれはあくまで表向きの姿。主たる活動はサンタクロース文化の伝承じゃ。

 定期的に『奇跡』と呼ばれる現象を起こして、それを人々の記憶に刷り込むことじゃ。難しいのは、誰かに見せないといけないが、あまり目立ち過ぎるのはNGというところじゃな。まぁ、やり過ぎたらことじゃがな」


 サンタは、右手の人差し指を立てて自分の鼻に添えると「内緒だぞ」という仕草をする。


「そんな奇跡を起こすのに必要なのがDMCじゃ。詳しいことは話せんが、DMCの技術は国連に帰属し、システムはわしらサンタと関係者のみが行使できる。その存在を知っているのはサンタと関係者を併せても二百程度じゃ。そんなものがあると知ったら、兵器として使用する輩が後を絶たんからな。過去に情報が漏れたことが無いわけではないが、その都度、記憶を操作してきたんじゃ」


 サンタの話は陽太の理解をはるかに超えるものだった。

 最初は、機密扱いの情報を惜しげもなく話すサンタに違和感を覚えた陽太だったが、記憶操作の話を聞いて納得した。彼は思った。「後で自分も記憶を消されるのだろう」と。


「若いの、過度な期待はするでないぞ。DMCの機能を私利私欲のために使用することは倫理規定に違反する禁止行為とされておる。違反行為を行った者はもちろん関係した者も重い処罰を受ける。歴史の改ざんが生じた場合はすぐに元の状態に戻される。つまり、すべては徒労に終わるということじゃ」


 サンタはフッと息を吐くと、改めて陽太の顔を見つめる。


「もう一度言う。DMCを使えばお前を夏目奈々子に会わせるのは造作もないことじゃ。ただ、それは、彼女の姿を見て彼女の声を聞くだけのこと。決して、彼女に触れることもできなければ、彼女と話すこともできん。それでもいいのか?」


 サンタの横顔を月明かりが照らす。表情はにこやかだが、その言葉はとても重い。


「それでいい。俺はもう一度奈々子に会いてぇ――いや、会わなければならねぇんだ」


 陽太はゆっくり口を開いて言葉を選ぶように言った。


「十五分――俺が奈々子から目を離したのはたったの十五分だ。そんな短い時間に取り返しのつかねぇことが起きちまった。何が起きたのかは警察の話から大体理解してる。ただ、どうしてもわからねぇことがある。それは、なぜあいつが自分の命を犠牲にしてまで犬を助けたかだ」


 ぐっと唇を噛むと、陽太は真剣な眼差しをサンタに向ける。


「雪で白くなったアスファルトがところどころどす黒くなってた。とんでもねぇことが起きたのはすぐにわかった。冷たい道路の上にあいつは一人横たわっていたんだ。

 ただ、病院で見た、あいつの顔は安らかだった。ほぼ即死だと言っていたから苦しまなかったと思う。でも、あいつにはやり残したことがある。あいつには夢があった。無念の思いがあってもおかしくねぇ……なのに、あいつの表情からはそんな思いは全く感じられなかった」


 陽太は視線を逸らして小さく息を吐く。


「十五分の間に何が起きたのか。あいつがどんな思いで百メートルを駆け抜けたのか。俺はそれが知りてぇ。スプリンターとしてのあいつの最後の走りを……この目で……しっかりと……」


 そこまで言うと陽太は感極まって言葉を詰まらせる。


「お前の気持ちはよくわかった。よかろう。これからDMCを使って『十二月二十四日午後五時十分』の『新横浜産業道路沿い』へ移動する。

 お前には右手に手袋をめてもらう。ただ、何もする必要はない。システムはわしがもう一つの手袋を使って操作する。急に周りの景色が変わるが狼狽うろたえるでないぞ。

 それと、DMCは行った先の空間の者とは一線を画す設定となっておる。全ての人と物がお前の身体をすり抜ける。『百聞は一見に如かず』じゃ。とりあえず、行くとしようか」


 椅子から立ち上がったサンタは右手の手袋を外して陽太に渡す。手袋を手に取ってまじまじと見てみたが、普通の手袋と何ら変わりはない。

 サンタは陽太の方にチラリと目をやると、左手の手袋の甲に浮き出た、パソコンのキーボードのようなパネルを右手で操作し始める。


「移動先の座標設定は完了じゃ。若いの、手袋はしっかりめたか?」


 陽太は右手が手袋の奥までしっかり入っていることを確認する。サンタは左手の親指を立てて片目をつむると、親指で何かのスイッチを押すような仕草をする。


「Gute Reise!(良い旅を)」


 サンタの言葉と同時にあたりが真っ暗になる。

 次の瞬間、陽太の目の前に見覚えのある景色が姿を現す。

 暮れなずむ空。サーキットのような六車線の道路。猛スピードで疾走するたくさんの車。ライトアップされたスタジアム――まさにあのときの光景がそこにはあった。ただ、違っているところが二つあった。一つは、街並みや人がすべてセピア色であること。そして、もう一つは、陽太の隣ににこやかな笑みを浮かべるサンタがいること。


「――あっ、雪」


 不意に背後から声が聞こえた。

 振り返ると、そこにはマンションの壁にもたれかかって空を見上げる奈々子の姿があった。


「奈々子……」


 思わず名前を呼んだ。四日前に会ったはずなのにもう何年も会っていない気がした。しかし、それは四日前に録画したビデオを見ているようなもの。正確に言えば、今も奈々子とは

 セピア色の世界の住人である奈々子は陽太とは相まみえることのない存在。いくら名前を呼んでも決して届くことはない。

 陽太の口からため息が漏れた――ちょうどそのとき、サンタの顔から笑みが消える。


「そろそろじゃぞ。よく見ておくんじゃ」



 つづく

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