第15話 理由

 

 セピア色の街を真っ暗な闇が包み込む。

 次の瞬間、見慣れた部屋の風景がそれに取って代わる。


 時刻は午前三時を少し回ったところ。

 目を見開いて荒い呼吸をしながら、陽太は崩れるようにベッドに腰を下ろした。

 

「どうじゃ? 知りたかったことはわかったかな?」


 窓際の椅子に座るサンタが、顎鬚あごひげを撫でながら問い掛ける。

 陽太は黙ったまま視線を足元に落とす。

 

 DMCにより再現された、四日前の世界を目の当たりにしたことで、奈々子が安らかな表情を浮かべていた理由を理解することができた。

 しかし、手を伸ばせば届くようなところに奈々子がいたにもかかわらず、陽太は何もできなかった――それは最初からわかっていたこと。サンタがそういう条件で奈々子に会わせてくれたのだから。

 頭では理解していた。ただ、得体の知れない何かが胸のあたりにつかえる感触を拭えずにいた。


「おっさんのおかげであいつの最後の走りを見ることができた。おっさんには感謝してる」


 陽太はゆっくり顔を上げると、努めて笑顔を見せた。


「俺はあいつの行動がずっと理解できねぇでいた。犬一匹のために命を犠牲にしたことが納得できなかった。『あの犬さえいなければ奈々子は死ななくて済んだんじゃねぇのか?』。この四日間ずっと同じことばかり考えてた……最後はいつもやり切れない思いだけが残った」


 サンタは「うんうん」と頷きながら陽太の言葉に耳を傾ける。


「でも、今ならわかる。なぜあいつが命をかけて犬を助けようとしたのか」


 陽太はぐっと下唇を噛む。にわかに表情が険しくなる。


「小学生のとき、あいつは毎日のように継母ままははから酷いいじめを受けていた。助けを求めたくてもいじめが酷くなることを恐れて誰にも話すことができなかった。どんなに殴られてもどんなに蹴られてもひたすら耐え続けた。その結果、あいつは他人に心を開かなくなっちまった。

 でも、この三年間であいつは変わった。俺に少しずつ心を開いてくれた。周りと協調する姿勢も見られるようになった。

 俺は心のどこかで安心していた。『もう大丈夫だ』と思っていた。ただ、それは大きな間違いだった」


 陽太はわなわなと唇を震わせながら、悲しげな眼差しをサンタに向ける。


「あいつは、自由を奪われて殺されそうになっている犬に『過去の自分』をダブらせた。あいつは心にを抱えていた。俺に見せなかっただけでずっと苦しんでいたんだ。

 俺はあいつのことを何も理解していなかった。こんなに近くにいたのに……俺がもっと気遣ってやらねぇといけなかったのに……俺は最低のクソ野郎だ。情けねぇよ」


 言葉を詰まらせて再び視線を足元に落とす陽太。身体が震えているのは自分の不甲斐なさをひしひしと感じていたから。


「気持ちはわかるが、そんなに自分を責めるでない。わしが知る限り、夏目奈々子に対する、お前の態度は子供とすれば十分過ぎるものじゃった。そのことは彼女もわかっておる。言葉にこそ出さなんだが、お前には心から感謝しておるぞ」


 サンタは椅子から立ち上がると、笑顔で陽太の肩に手を添える。

 

「まぁ、そんな慰めの言葉をかけたところで、今のお前が救われることはないわな」


 不意に陽太に背を向けるサンタ。窓枠に手を掛けてゆっくりと宇宙そらを見上げた。


「なぜわしがここへやって来たのかわかるか? クリスマスイブでもないのにおかしいと思わんか?」


 サンタの唐突な質問に陽太は顔を上げる。同時にサンタがこちらを振り返った。その顔からは笑みが消えている。


「奈々子が死んで悲しんでいる俺を元気づけるためじゃねぇのか? あいつの最後の走りやあいつの思いを見せてくれたのもそのためだろ?」


「それもある」


 サンタはどこか奥歯に物が挟まったような言い方をする。


「はっきり言って、わしらは忙しい。クリスマス以外にもやることは山ほどある。お前のような者にいちいち構っている余裕などない」


「じゃあ、どうしてだ? どうして俺のところへ来た? 何か特別な理由でもあるのかよ!?」


 サンタの遠回しな言い方に陽太は声を荒らげる。


「お前はわしと会うのは初めてだと思っとるじゃろうな……。ただ、わしは以前からお前のことを観測してきた。DMCを使ってな」


「俺を観測してきた、だって?」


 怪訝けげんな表情を浮かべる陽太にサンタは真剣な眼差しを向ける。


「小さい頃からお前はサンタに憧れていた。そして、サンタになりたいと願っていた。そうじゃな?」


 戸惑いを覚えながら陽太はゆっくりと首を縦に振る。


「今もその思いは変わらんか? 今もサンタになる意思はあるか?」


 サンタの青い瞳が鋭い眼光を放つ。

 陽太はゴクリと唾を飲み込む。


「わしらサンタは五十五歳で引退する。実は見た目ほど年はとっておらん。

 引退時にはサンタとして活動した記憶は抹消され、辻褄つじつまを合わせるために別の記憶が受け付けられる。一生遊んで暮らせるだけの報酬といっしょにな。

 ただ、引退する前に大切な仕事がある。『後継者』を選ぶこと。正確には『候補者』じゃがな。

 候補者がサンタとしてふさわしいかどうかは協会がテストする。わしらはそれを『JT(Judging Trial サンタ試験)』と呼んでおる。わかりやすく言えば、国際サンタ協会のスタッフ採用試験じゃ。

 わしは今年で五十五歳になる。JTを受けたのはお前と同じ十六歳のとき……ここまで言えば、わかるな? わしが何を言いたいのか」


 陽太はサンタの言いたいことは理解できた。ただ、あまりにも唐突な話にどう答えていいのかわからなかった。

 奈々子の思いを理解したからと言って、傷心が癒えたわけではない。気持ちの整理をつけるにはしばらく時間がかかる。

 そんな中、いきなり「サンタにならないか?」などと言われて「はい。わかりました」などと即答できるわけがない。


「戸惑っているようじゃな。まぁ、お前の精神状態を考えれば当然じゃわな。ただ、わしは言っておるんじゃぞ」


「今だから? どういう意味だ?」


 間髪を容れず、陽太は聞き返す。サンタはで陽太を見ながら、ゆっくりと口を開く。


「JTの結果次第で『救うことができる』としたらどうじゃ? 夏目奈々子の命を」



 つづく

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