第9話 待ち合わせのイブ


 携帯に目をやると時刻は「16:43」。待ち合わせの時間にはまだ十五分以上ある。


 新横浜プリンスホテルのロビーは人であふれ返っていた。吹き抜けの広々とした空間はクリスマスカラーで彩られ、中央には雪の装飾が施された、高さが五メートルはある、巨大なクリスマスツリーが飾られている。

 ライトが暗めのせいか、白い雪がぼんやりと浮かび上がり幻想的な雰囲気をかもし出す。非日常とも言える空間に身を置くことでムードが盛り上がるのは必至で、待ち合わせをする人が多いのも頷ける。

 ただ、奈々子との待ち合わせ場所にここを選んだのはがあった。


★★


「――女の子が喜びそうなプレゼントとお店?」


 陽太からの唐突な質問に夕食の準備をしていた頼子の手が止まる。

 エプロンで手を拭きながらダイニングに目をやると、イスに座る陽太が視線を逸らして恥ずかしそうな顔をする。

 その瞬間、頼子の顔が若気にやけたものへと変わる。


「ははぁ~ん。クリスマスに奈々子ちゃんとデートなんだ。ついに、あんたにも春が来たってわけね」


「そ、そんなんじゃねぇ! あいつの行く高校が決まって世界陸上せりくの強化選手にも選ばれたから祝ってやろうと思っただけだ! ただ、クリスマスなんだからプレゼントがないと格好がつかねぇと思って……俺、女にプレゼントなんかしたことねぇし、気の利いた店も知らねぇし」


「なるほど。『失敗は許されない』ってことね。嫌われちゃったら大変だもんね。あんな可愛い子、なかなかいないもんねぇ~」


「だから、そういうのじゃねぇって言ってるだろ! いいから教えてくれよ……! 頼むよ。俺、こういうの苦手なんだ」


 視線を足元に落としてため息をつく陽太。真剣に悩んでいる様子がうかがえる。頼子はつかつかと陽太の方へ歩み寄ると肩をポンと叩く。


「陽太、クリスマスだからって特別な自分になる必要はないんだよ。普段のままで接すればいいの。だって、奈々子ちゃんは普段のあんたが誘ってOKしてくれたんでしょ? それは、普段のあんたとクリスマスを過ごしたいと思ったからだよ」


「でも、せっかくのクリスマスなんだから、あいつに喜んでもらいてぇし……」


「じゃあ、思い出してみるの」


「思い出す? 何をだ?」


 陽太は首を傾げてじっと頼子の顔を見つめる。


「これまであんたがをだよ。『大切な誰かに見せたい』と思ったものでもいい。それを奈々子ちゃんに見せてあげればいいの」


「感動したものか……」


 陽太は腕を組んで眉間みけんしわを寄せる。


「あとは、女は、大人でも子供でも花をもらうとうれしいかな。サプライズがあれば、なおいいね。あんたみたいなからもらう花は効果抜群だよ。野獣が美女にいきなり花束を渡したら驚かない人はいないでしょ?」


「息子をつかまえて野獣って、あんた、本当に俺の親かよ?」


 頼子の冗談交じりの言葉にふくれっ面になる陽太。頼子は声を上げて笑う。


「でも、ありがとな。母ちゃんの言いたいこと何となくわかった。思い出したんだ。俺にも感動したものがあったこと」


「じゃあ、ひと安心だ。隠れてついて行こうかと思ったけど大丈夫だね?」


「な、何考えてるんだよ!? 『初めてのお使い』じゃねぇんだぞ! やめてくれよ!」


「冗談、冗談。あたしはそんなことするほど野暮じゃないよ。これでも『理解がある親』で通ってるんだからね」


 戸惑いを見せる陽太の肩をポンポンと叩きながら、頼子は笑顔で続ける。


「でも、二人きりになっても変なことしちゃダメだぞ」


「だから、しねぇよ!」


★★★


「お待たせ」


 携帯の時刻表示が「16:55」に変わったとき、聞き慣れた声がした。

 顔を上げた陽太の目に奈々子の姿が映る――陽太の言葉を借りるなら「奈々子らしき女の子」といった表現が正しいかもしれない。


 白いモヘアのセーターに黒いショートコート。肩から下げたアイボリーのショルダーバッグ。黒いショートパンツに柄の入った黒いタイツとリボンのついた黒のローファー。

 白い花をかたどったヘアピンで前髪をアップにして薄らと化粧をほどこした奈々子には「大人の女性」の雰囲気が漂っていた。

 身長が百六十センチで小顔の奈々子がお洒落をすれば映えるのは当然だ。一見地味とも思える、モノクロの服装もクリスマスカラーに彩られた、華やかな空間では逆に目立っていた。


 いつもとは別人の奈々子を目の前にして陽太の心臓がトクンと音を立てる。


「よ、よぉ……早いじゃねぇか。俺も今来たところだ」


 奈々子の姿を横目でチラ見しながら陽太は軽く会釈をする。


「すごい人だね。さすがはクリスマスイブ」


「そうだな。でも、少し歩けば人も少なくなる。じゃあ、行くか」


「陽太、今日はどこへ連れてってくれるの?」


 興味津々といった様子で奈々子は陽太の顔をじっと見つめる。


「つ、ついてこればわかる。はぐれるなよ」


 陽太は大通りに面した出口の方へクルリと身体を向ける。


「わかった。陽太について行く」


 奈々子は陽太の背中を見失わないように後に続く。


 自動ドアが開いた瞬間、きらびやかなイルミネーションが目に飛び込んでくる。 色とりどりの光に彩られた街は昼間のように明るく、街全体が光のドームにすっぽりと覆われているようだった。殺風景なオフィス街が別の空間に変わっている。

 スクランブル交差点で信号待ちをする二人。歩道はホテルのロビーと同じぐらいたくさんの人で溢れ、まるで満員電車のようだった。


 歩行者信号が青に変わると人波が一斉に動き出す。

 それぞれが持つベクトルが別の方向を向いているため自然と動きが交錯する。いつもなら二十秒もあれば横断できる交差点がなかなか前に進めない。


 そうこうしているうちに信号が点滅を始め人の動きが慌ただしくなる。

 前から近づいてきた、会社員風の男の肩がすれ違いざまに奈々子の肩に当たった。バランスを崩して後方に大きくよろめく奈々子――しかし、それはほんの一瞬だった。


「こんなに人が多いと危ねぇよな。怪我でもしたら大変だ。しばらくこのままでいくぞ」


 奈々子の左手を「グイッ」と引き寄せると、陽太は独り言のように呟く。

 陽太の手の温もりが瞬時に身体の隅々に行き渡った気がした。吐く息は白いのに身体は火照ほてっている。まるで陽太が自分の中に入ってきたみたいでとても恥ずかしかった――ただ、嫌ではなかった。その温もりは奈々子にとってとても心地良いものだったから。



 つづく

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