(第8話)ガチな不倫はネタにするのも恐ろしい(Ⅱ)
「我が社」では、職員と部外関係者との色恋沙汰はかなり嫌われる。情報漏えいの可能性アリ、と危険視されてしまうからだ。
ギョーカイと全く無関係な人がお相手なら特に問題もないのだが、仕事上関わりのある分野で働く人間が相手となると、とたんに警戒されてしまう。職員の所属部署によっては、配置転換も取り沙汰されるのだ。
このような傾向は、相手が同盟国の人間の場合でも、だいたい同じようである。あまり詳しくは書けないが、過去には、某同盟国の軍関係者とW不倫した女性職員が、依願退職に追い込まれたケースもある。
この女性は、男社会の「我が社」において「極めて優秀」と評され、当時「入社」したての私ですらその名を知っていたという才女だった。彼女は、退職時に「家庭の都合で……」などと挨拶して回っていたが、数年後に「我が社」きっての才女の本当の退職理由を知った私は、真面目に震えあがったものである。
依願退職にまで至らずとも、突然の望まぬ異動を強いられれば、かなりのダメージを受ける。現職と近い場所、近い分野の職種に空きがなければ、全国各地どこにやられるか分からないし、全く未経験のポストに放り込まれる可能性もあるからだ。
D氏が部下のEさんを気にかけるなら、「彼女の結婚相手が気に入らない」などとくだらないことをブツブツ言う前に、彼女に少しでも有利な異動先を探して、早急に人事調整を始めるべきだ。
仕事がデキるとそれなりに評判だった彼は、どうも何かがズレている。もしかすると、このテの話は、地方部隊で純情な若者たちを率いてきた制服幹部の彼より、中央組織で数年以上ドロ臭い世界に首を突っ込んできた下っ端の私のほうが、かえって詳しいのかもしれないが……。
私が余計な心配をしていると、今度はEさんから「ランチに付き合ってくれ」と電話がかかってきた。
敷地内の食堂で会ったEさんは、とても深刻そうな顔をしていた。
「実は、横田(在日米軍司令部の所在地)にいる人と、付き合ってたんですが……」
この前の爽やかな日本人美男子はどうしちゃったのよ、と尋ねたかったが、そんな雰囲気でもないので、私は「あ、そうなんだ」と何食わぬ顔で続きを促した。
Eさんの話では、彼女と米軍の下士官殿は、将来のことを話し合う仲ではあったものの、まだ何も具体的なことは決めていなかった。
しかし、下士官殿は、よほど嬉しかったのか、自分の職場で勝手に「婚約発表」なるものをしてしまった。彼の上司は、おめでたい話を聞いてやはり嬉しかったのか、よりによって、Eさんの職場の実務者レベルが出席する会議の場で「二人の結婚はまさに日米の絆」などと余計な発言をしたらしい。
何も知らなかった日本側は、まず仰天し、次に保全上の問題を懸念した。
「彼のこと、別に隠してたつもりなんてないんですけど、周りからはそんな風に言われてしまって……」
そう嘆くEさんの所属部署は、先に書いた「依願退職を余儀なくされた才女」が所属していたところに比べれば、秘区分はかなり低かった。彼女の勤務する部屋には、部外のお客も頻繁に出入りする。
さすがに退職を求められることはないと思われたが、それでも、管理者が「配置転換すべし」と判断すれば、それに甘んじるしか道はない。
私は気の毒なEさんに、はっきりその旨を伝えた。すると、Eさんは意外にも、「それならまだいいんですけど」と返してきた。
「辞めるつもりなんかないのに、『いつ辞めるのか早く教えろ』って毎日のように言われるんです。彼は近々ハワイに転属することが決まったので、『どうせ辞めて彼についていくんだろう。後任者を早急に選ばないといけないから』って……」
何と! そりゃ、あんまりだ。Eさんが退職しなくても後任者は探せるだろうに。仮に辞めるとしても、人事管理者とEさんの間で退職の時期を事前に話し合っておけば、穴を開けずに平穏に処理できるじゃないか。
管理側のオヤジ連中、頭悪すぎだぞ。いや、逆にこれは巧妙な嫌がらせじゃないのか。
だんだん腹が立ってきた私は、抵抗作戦を提案した。
まず、Eさんの直属の上司であるD氏の名前を出し、
「あの人は味方になってくれそう?」
と尋ねた。
Eさんは首を傾げた。D氏は「米軍の彼と別れれば辞めずに済む」というような話ばかりをしているという。あのおじさん、相変わらず論点がズレている。
まあ、取りあえずD氏がEさんの「敵」でないことだけは分かった。とにかく彼に、人事管理者と話し合う場を取り持ってくれるよう、頼むのが先だ。米軍の下士官殿とも、今後のことを早急に決めたほうがいい。
できれば、配置転換という話が出た場合に備えて、めぼしい異動先も見つけておきたいところだ。そういったことも、D氏に内々に相談すればいい。私も心当たりを探してみるから。
そんなドロ臭い入れ知恵をして、Eさんと別れた。
その後、私のほうは、酒の席などを利用して、Eさんに向きそうな空きポストがないかとごそごそ嗅ぎ回った。
事務官人事をめぐる情報収集は、Eさんのみならず、同じ事務職の私自身にとっても極めて有益。まさに「情けは人の為ならず」である。
しかし、これはというネタが見つからないうちに、D氏から電話が入った。ついに件の下士官殿がハワイに旅立つに至り、Eさんはその彼と別れたのだという。
彼女の処遇については、「今後、同様のことがあった場合は、即刻報告するように」と念を押された上で、現職続投が決定されたとのことだった。それはよかった。結局私の出番はなかったが、とにかくめでたい。
……と、思っていたら、秋になって大変な騒ぎが起こった。
九月初頭に一週間の夏季休暇を取ったEさんは、「休暇中は両親と共に暮らす自宅でのんびり過ごす」と職場の面々に嘘をつき、米軍の下士官殿がいるハワイへ行ってしまったのだ。
つまり、彼とはずっと続いていたのである。
こっそり行ってこっそり帰り休み明けに何食わぬ顔で出勤する、という腹積もりだったのだろうが、彼女の企みは実に些細なことで露見してしまった。
(Ⅲに続きます)
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