(第6話)30代後半の殿方×社会人女性キャラがボツになった事情(後編)

 私が一人思い悩んでいる横で、Tさんは思い出したようにオヤジ男に尋ねた。


「そういえば、米留(米国の関係機関に研修に行くこと)するって聞きましたけど」


 すると、オヤジ男は初めて微かな笑顔を見せた。


「そうなんですよ。今日も、その関連でこっちに出てきてましてね」

「向こうにはどのぐらいの期間いる予定なんですか」

「一年です。ところで、英語を使う仕事をしていると聞きましたが、日常会話程度は問題ないですか?」


 おお、オヤジ男が会話を続けた。口の聞き方がちょっと不躾だが。


 やや面食らった感じのTさんは、「ええまあ……」と返した。

 実のところ、この「ええまあ」は大変な謙遜だった。彼女は、関東では私立御三家に次ぐ有名私立大学で国際関係学を専攻した才女で、留学経験もあれば、貿易会社に勤務したこともあるという剛の者なのだ。


 しかし、そんなことなど知らないオヤジ男は、「それなら安心です」と訳の分からない応答をした。


「渡米の際は家族帯同で行きたいと思っていまして。ああ、半年後には日本を出ることになるので、それまでに結婚してもらいたいんですが、大丈夫ですか」


 へ? 何のこっちゃ? びっくりしてTさんのほうを見ると、彼女も同じような表情で私を見つめ返してきた。私がぽかんと口を開けたまま首だけ横に振ると、彼女は眉を寄せて、やはり首を横に振ってきた。

 「こいつアカン」というサインである。


 私の職場では、海外関係機関への派遣留学は「エリートの証」の一つと見なされていた。経歴抜群というオヤジ男は、すっかり鼻高々の有頂天状態だったに違いない。エリートの自覚があるがゆえに、女は自分になびいて当然と慢心しているのか。


 そういえば、オヤジ男は、Tさんの質問には答えても、自分から彼女にものを問うことはほとんどなかった。彼女の人となりを知ろうとする意志がまるで見えなかった。二人の間にどのぐらい共通点があるのか、一緒にいて互いに楽しく過ごせそうか、というようなことに全く興味がなさそうだった。

 彼の興味は、Tさんが「自分の妻として使女か」という一点のみ。相手の意向を考慮することさえ思いつかないらしい。


 私の職場にわんさかいる既婚おじさんの中にも「エリート」はそれなりに存在するが、彼らは皆、部下思いで、下っ端の私のことまで何かと気遣ってくれる人たちだった。Tさんのボスもそういうタイプだ。


 彼らが持つ「人間力」のようなものが、オヤジ男には欠けている。先の「違和感」は、これだったのだ。

 このオヤジ男は、おそらくのエリートには成り得ない。


 そうと分かれば、このランチ見合いを潰すのが私のミッション。私は急いで料理を食べながら、Tさんにせっせと話しかけた。私の悪巧みを察したTさんも、同様にピッチを上げて食べつつ、私に向かってばかり喋る。


 オヤジ男は完全にシャットアウトだ。


 食後のコーヒーを慌てて飲み終わると、Tさんは、

「そろそろ戻らないと、午後はちょっと立て込んでますので」

 と、平然と嘘をついた。


 オヤジ男は、憮然とした顔で「じゃ、出ましょう」と言って立ち上がった。さすがはエリート、我々の意思を察したか。ランチ代は割り勘である。



 昼休みが終わるまでにはまだ二十分ほどあったので、私はTさんにくっついて、彼女の勤務部屋に顔を出した。

 中を覗くと、彼女のボスがヒグマのようにふんぞり返っていた。


「おう、どうだった?」

「それがそのー、やっぱり年上は嫌です……」

「なにぃ! 今日のはとびきりの出世頭だったんだぞ! だいたいお前なあ、何様のつもりなんだ! 贅沢言うのもほどほどにしとけっ」


 ヒグマのボスは大声で喚き散らしたが、Tさんは慣れているのか、「お前」呼ばわりされても全くたじろぐことなく「見合いランチ」の所見を語った。


「だって、若さのカケラもないんですもん。いくら出世しそうな人でも、ちょっと厳しいですよ。話もつまんないし」

「ペラペラ喋るような男はいかん。話がつまらないなら、お前が一人で喋ってればいいだろ。くだらんことばかりうるさく喋るのは得意だろうがあっ」


 そのまま口喧嘩に突入しそうだったので、私はおっかなびっくり「あのう……」と二人の間に割り込んだ。

 Tさんと違って、私はヒグマに慣れていない。ただでさえ背が小さいのに、ますますハリネズミのように縮こまってしまった。


 しかし、どうしてもヒグマの彼に言わなければならないことがある。


「相手の方、『半年後に米留するからそれまでに結婚してもらいたい』って言ってたんですよ。なんだか、冷蔵庫か何かを買って、配送予定をお店の人に確認しているみたいで……。結婚をお買い物のように考える人と結婚しても、幸せにはなれないと思います」


 ヒグマのボスは、逃げ腰の私をじろりと見て、「ふうむ」とクマの如く唸った。そして、やおら書棚から本を数冊取り出し、Tさんに手渡した。


「しょーがねーなあ。取りあえずそれ見て、気になる奴がいたら付箋紙でも付けとけ。俺の同期の下にいる奴だったら、何とか調整できるかもしれんから」


 分厚いその本は幹部名簿だった。平たく言えば、オヤジ男を含む幹部全員の顔写真付きデータ集のようなものである。生年月日も経歴もすべて掲載されているというシロモノだ。


 彼女はボスに礼を言い、早速その分厚い名簿を開いた。ページをペラペラとめくり、時々手を止めては、ほほーと感嘆の声を上げ、付箋紙をぺたっと貼る。なんだか、通販カタログを見ているような雰囲気だなあ……。


 そんなことを思っていると、ヒグマのボスが私に声をかけてきた。


「ほうら、あいつだって『お買い物気分』だろ。所詮、お互いさまなんだよ」

「はあ、確かに……」

「全く、仲介する俺の身にもなれってんだ」


 冗談半分に悪態をつくヒグマの横で、私はいよいよハリネズミになった。


     ******* 


 「お買い物気分」の出会いはこの世にたくさんあります。合コンだって、男女ともにそういうノリで参加します。しかし、そんなお気楽気分で彼氏彼女をゲットした人たちも、付き合いが深まるにつれ、胸キュン系の出会いをした人たちと同様に、相手に対して真剣になっていくものです。

 なぜそう断言できるかというと、何を隠そう、この私がを歩んできたからでございます。


 結婚しようかという話まで「お買い物気分」でする人は、いかなる時も己のことにしか興味のない狭量な輩といえましょう。そういう人間は、たとえ外見がどんなにシブいおじさんであろうと、リアルでもお話の世界でも、絶対に却下です。


 そもそも、「おじさん」という生き物は、長くこの世の諸々を見つめ、多くを思い悩んできたからこそ、シブい優しさに溢れるのです。「今ある自分の半分は実力、しかしもう半分はただの運」ということを、豊富な経験を通じて実感しているからこそ、良きおじさんは謙虚で温かい人柄なのです。


 あの独身オヤジ男は、どんなにエリートでも、おじさんの風上にも置けません。三十代も後半になるのに、一体世の中の何を見てきたのか。独身が長いと、一見柔軟そうに見えて、その実、己に凝り固まってしまうのかなあ。


 いやいや、そういうステレオタイプな見方は、他の独身おじさんたちに失礼です。

 きっと、独身おじさんは、家庭を持って日々苦労する既婚おじさんに比べ、「修行の場」が少ない分、子供っぽさを残しているのに違いない。件の独身オヤジは、「エリート」だったがために、その子供っぽさが鼻につく形で表に出てきたのかもしれません。


 これは、敢えて「非エリート」の独身おじさんをモデルにしたほうが吉かもしれません。年齢ももう少し引き上げて、「四十代前半」にすれば、子供っぽさも少し落ち着いて、私の理想のおじさん像に近くなるかも……。



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