第6話 30代後半の殿方×社会人女性キャラがボツになった事情(前編)


 「四大卒女性」を主人公にするなら、「入社したばかりの新人」もしくは「働き始めて数年目の社会人」という設定になるでしょうか。年の頃は、二二歳から二五歳。

 男性側は、それより十五から二十ほど歳上の「三十代後半から四十代前半のおじさん」となります。


 ヒロインとその周辺については、自分が勤め先で見聞きしたことを元ネタにすれば、そこそこ何とかなりそうです。

 気合いを入れて頑張る場面も、怒られて凹む心理も、己の経験をそのまま文章にしてしまえばOK。頼りになる上司もクソ上司も、些細な揉め事もエグい派閥争いも、リアルに目撃したことを脚色して書いてしまえば、お仕事シーンの描写はばっちりです。


 働きながら創作活動をしていらっしゃる方々、もし職場で不愉快な場面に遭遇したら、

「お前ら皆、ネタにして書いて投稿してやるわ!」

 と心の中で叫びましょう。とてもすっきりすること間違いなしです。


 一方の「おじさん」キャラも、モデルになりそうな人間がいたら、描写面でとても助かるんだけどなあ……。



 私が就職した先には、果たして溢れんばかりのおじさんがいました。二十代は数えるほどで、三十代半ばから四十代半ばにかけての層が、圧倒的多数で事務所を占拠していたのです。


 銀行業界では「二十代の若者は地方支店へ修行に出てしまい本店にはおじさん層しかいない」と噂に聞いたことがありますが、私の勤め先も似たようなシステムになっていました。

 イケメン兄さんとのオフィスラブに憧れる人にとっては、「不毛の職場」もいいところです。


 しかし、私はおじさんラブ。これはリアルに誘惑がいっぱい……、かと思いきや、現実はそうそう甘くありませんでした。

 妄想していたシブいダンディはほとんどおらず、大多数は「おっさん」もしくは「オヤジ」に分類されるレベル。何ということだ!


 打ちひしがれる私にさらに追い打ちをかけたのは、「おじさんに独身はほとんどいない」という事実でした。三十代後半から四十代半ばの「お年頃」の殿方たちは、揃いも揃って既婚者だったのです。シブい殿方もそうでない方も、おしなべて家庭持ち。全くもって、何ということだ!


 当時の私も大変失望いたしましたが、お話を書こうと思い立った今、これは実に由々しき問題です。

 嗚呼、恋バナのサンプルになりそうな独身おじさん、一人でいいからどこかにいなかったかなあ。



 当時の記憶を必死にたどったところ、該当者が二人だけいたことを思い出しました。


 一人は、同期に連れられてご対面の運びとなった三十代後半のお人。

 もう一人は、同じ部署で数年間一緒に勤務した四十代前半の殿方。


 まずは前者の三十代後半おじさんについて、その詳細をドキュメンタリータッチで是非ご覧くださいませ。


    ******* 


 あれは、就職して数年たったある日の午前中のことだった。私など足元にも及ばない酒飲みの同期Tさんが、内線でSOSを発してきた。


「今日のお昼空いてる? アタシを助けると思って、ランチに付き合ってくれない?」


 その日はさほど忙しくなかったので、近所のレストランに食事に行く程度の時間的余裕はあった。それにしても、一体何があったのか。


「うちのボスがさー。勝手に『お見合いランチ』なんかアレンジしちゃってさー」


 上司の紹介で見合い? そりゃあスゴイ。いくらカジュアルなランチスタイルだからといって、そんな大事な席にお邪魔できるわけないじゃないか。


 しかしTさんは、電話口で「頼むよー」と哀れな声を出した。


「アタシ独りで行きたくないよ。会ったことない人とサシでご飯なんて嫌だもん」


 意外に思った。なぜなら、普段の彼女は非常に豪胆かつ社交的で、いかなる場面でも決して物怖じすることのない性格だったからだ。相手が初対面だろうが階級の高いVIPだろうが、常にソツなく会話し、必ず何らかのコネを作って帰ってくる強者である。

 おまけに、四六時中「イイ男いないかなー」と、冗談とも本気ともつかない顔で呟いていた。だからこそ、彼女のボスも「見合いランチ」をアレンジしたのに違いない。


「上司のオススメなら、それなりに良い人なんじゃない?」


 適当に気休めを言ってみたが、Tさんの後ろ向き姿勢は変わらない。


「ボスの同期の部下らしいんだけどさー。写真見る限り、全然イケメンじゃないんだよねー。経歴抜群でかなりのエリートって感じだけど」


 顔より将来性のほうが大事でっせ。取り敢えず会う価値はありそうじゃないの。


「でも年がさー。アタシより十も上なんだよー」


 Tさんは心底嫌そうに言った。彼女は、留学経験のある中途採用者だったので、「同期」といっても私より四歳ほど年上だった。

 ということは、相手は三十八、九歳ということになる。おおう。妙齢のおじさまじゃありませんか。


 しかし、同期はそれが気に入らないらしい。


「アタシ、年下が好きなんだよね。同級生より上は絶対不可」


 なんとっ。そういう好みもあるのか。信じられん。


「なのにさー、うちのボス、いっつもアタシより五歳以上年上の人ばかり紹介してくるんだよー。『男は五歳ぐらい上がいい』って決めてかかっててさー。『若いほうが好きです』って言っても、全然ヒトの話聞いてないの」


 Tさんのボスは、四十代前半の既婚者で、ヒグマのように縦横が大きく、ついでに声も強烈にデカい強面の人だった。しかし、見かけによらず優しい性格で、部下の面倒見はとてもいいと評判だった。「イイ男いないかなー」と呟く部下のために、自らの人脈を活かして、と思う殿方をたびたび紹介してくれていたらしい。

 なんていい上司なんだ。己の価値観を人に押し付けるところはちと難アリだが、おじさん世代にそういうタイプは大勢いる。


「十歳上だって、ボスのチョイスなら期待できるんじゃないかなあ。取り敢えずお試しってことで、二人で会ったらいいのに」

「ヤだよ。アタシ、年上と付き合うなんて、絶対考えらんない。五歳上でもお断りなのに、十歳上とか、有り得ないでしょ」

「何で年上ダメなの?」

「だってさあ、男と女は平均寿命が五歳以上違うんだよ。それで男の方が十歳年上だったら、付き合ってもすぐに死んじゃいそうじゃん」


 な、な、なななな、何という無礼な! 貴様、たとえ同期でも、おじさんをコケにすると許さんぞ! 


 相手が目の前にいたら襟首掴んで締め上げてやるところだが、あいにく内線電話での会話だったため、喧嘩は昼休みまでお預けとなった。



 午前の仕事が終わり、まずTさんと落ち合った。先の発言について取り消しを求めようと思ったが、彼女が憂鬱そうに「嫌だなあ……」とこぼしてばかりなので、責め立てる気分も失せてしまった。


 年上のシブい殿方の魅力に気付かないとは、なんて不幸な奴なんだ。周囲にいる「くたびれたおじさん」は、家庭サービスに若さをすり減らしてすっかり所帯じみてしまった既婚連中だ。独身おじさんは、独身貴族を謳歌している分、ダンディに決まっている。

 年下好みのTさんも、ダンディおじさんを見たらコロリと態度を変えるに違いない。もし彼女が相手を気に入ったら、ここは友情を優先して私は早々に退散しよう。そうでなかった場合は、……私がそのおじさんをありがたくいただいてやる。


 徐々に邪悪化する妄想を抱きながら、Tさんと二人で、件の「見合い相手」との待ち合わせ場所に向かった。人が往来する中、背広姿で独り佇んでいたのは、私が高校生の頃から憧れていたおじさん王子様……。


 ……ではなくて、典型的なオヤジ顔をした中肉中背の男だった。「渋くてカッコ良くて、無口なのに優しくて(以下略)」という理想像とは、全くもってかけ離れた風情。


 現実の独身おじさんは、真四角な顔に黒ぶちの眼鏡をかけ、妙に黒々とした髪をテカらせながら、Tさんと私を怪訝そうにじろりと見た。愛想笑いの一つすら浮かべようとしない。

 な、なんだか、連ドラに出てくる「女性職員を小バカにするクソ課長」みたいな雰囲気だなあ。この人、ホントに三十代後半の独身なのか。まるで「若さ」を感じられない。


 やや青ざめながらTさんのほうをちらりと見ると、彼女は「ほら、やっぱりね」と言わんばかりの目を私に向けてきた。


 いやいや、見た目の印象だけで決めつけては気の毒というものだ。外見に恵まれないのは私も同じだから。

 それに、先方からすれば、「上司を通じて紹介された女性とサシで食事をするつもりでいたところに、変なチビのお邪魔虫が湧いて出た」という状況だろうから、にこやかな笑顔を浮かべるどころではないのかもしれない。


 社会経験が私より数年分豊富なTさんは、嫌そうなしかめっ面を素早く営業スマイルに切り替え、「一人ではちょっと緊張するので、友達を連れてきちゃったんですけど」と平然と嘘をついた。


 私が短く挨拶して会釈をすると、オヤジ顔の独身男は、にこりともせずに「どうも」と三文字であしらってくれた。

 そして、Tさんに向かい、

「場所はおまかせします。今日は出張でこちらに来ていて、この辺りのことは全然詳しくないので」

 と、ビジネスライクに言った。

 Tさんは、道路を挟んで職場の真向かいにあるイタリアンレストランを提案した。「じゃ、そこで」ということになり、三人でその店へ向かった。


 なかなか落ち着いた雰囲気のレストランに入り、窓際のテーブルを案内されると、窓を背にオヤジ男が座り、その向かいにTさんが着席した。

 お邪魔虫はTさんの隣である。


 注文が終わると、いよいよトークタイム! と思ったら、オヤジ顔の独身男は、無表情なまま何も話そうとしない。女の人と話すことに慣れていないシャイなおじさんなのかな。そういうのは、嫌いじゃない。


 会話を始めたのは、Tさんのほうからだった。


「普段のお仕事は、どういうことをしているんですか?」


 オヤジ男は、己の職場を簡単に説明すると、沈黙した。


「趣味とかってあります?」


 合コン的な場面では定番の質問だ。しかしオヤジ男は、「仕事が忙しくて休日は家でのんびりして終わってしまう」というようなことを言い、また沈黙した。


 その後、Tさんのリードで、芸能ネタから時事問題まで社交辞令的な話題がひととおり出たが、どうも会話が続かない。オヤジ男がまともに語ったのは、自身の経歴に関わる過去話くらいだった。


 強烈な違和感を覚えた。この独身オヤジ男、いわゆる口下手とは違う。無口なおじさんが好みの私には分かる。彼は、「口下手だけど優しい人」というタイプとは、何かが決定的に違うのだ。

 しかし、具体的に何が違うのか、判然としない。




(後編に続きます。「強烈な違和感」の正体は?!)

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