第5話 30代半ばの殿方×女子大生キャラがボツになった事情


 主人公の設定をあれこれ検証してはじたばたしてきましたが、女子大生という立場なら、私にも経験があります。やはり、未知の世界に踏み込むような無理はせず、自分の過去をネタに主人公像を作っていくほうがいいか……。

 ということで、「現役女子大生」を主人公に設定を考え始めました。


 ところが、実はこれもかなり困難だということに気付きました。


 女子大生が出会う「おじさん」といえば、その筆頭は大学の先生。しかし、大学教員の生態はまたまた未知の世界です。学部生は、大きな教室でマイク片手に講義する先生を見ることはあっても、彼らが学者として己の研究活動に携わる姿を観察するチャンスには、そうそう恵まれないからです。


 おまけに、大学の先生が歩んで来た世界は、大抵の場合は大学院です。ゆえに、「大学の先生」であるおじさんキャラが作中で過去語りをするとしたら、「若かりし院生時代」や「苦労した助手時代」になってしまいます。


 これは私にはまず書けない分野です。大学院相当の世界をちらりと覗いたことはありますが、大学教員になることを志して院で学んだ経験はありません。博士論文を書くのがどれだけ大変か想像もつきませんし、よく耳にする「研究旅行」も「フィールドワーク」も、実際どんなものか分かりません。


 かと言って、「おじさんの過去話」をカットするなんてあり得ない。おじさんキャラは、渋くて切ない過去語りがあってこそ、萌えの度合いが各段にアップするのです。


 結局、大学を舞台とした学園ものは無理だ、という結論になりました。



 仕方がないので、「女子大生がバイト先でおじさんと出会う話」にトライすることにします。


 大学時代には私もアルバイトをしました。と言っても、その数はわずかに三つ。どれかひとつにでも、「おじさん」キャラが入り込めそうな余地はあるのか……。



 大学在学中に最も長くやった仕事は、個人指導塾の講師でした。正直なところ、それなりの実入りがありました。


 しかし、勉強に励む子供の相手をしてナンボの仕事なので、おじさんどころか、同僚となる学生との関わりすらほとんどありません。

 講師役の学生は皆、それぞれ担当の時間に顔を出し、出番が終わればさっさと帰っていきます。教室の管理者はまさに三十代半ばと思しき男性でしたが、管理上の用事がなければ、挨拶程度のやり取りがせいぜいです。


 こう書くと、実にお気楽そうな商売かと思われそうですが、決してそんなことはありません。

 その塾では、小学生向けの授業に限り、講師が四教科すべてを見ることになっていたので、文系学生でも算数や理科を教えなければならなかったのです。


 普段は、決まった子供を受け持つので何がしかの準備もできるのですが、長期休みになると、完全にカオスです。講師側も子供側も好きなようにスケジュールを組み、管理者がそれをマッチングするというイレギュラーな体制。どの子の何の教科を担当するのか、という状況でした。


 大抵の子は塾が用意する講習テキストを使うので、さほど大きな問題はありません。しかし、ごくたまに「特別授業」の子供がいて、その子たちが実に恐ろしい存在なのです。


 個人指導塾では、「お客様」の要望に合わせて授業内容をカスタマイズできます。そこが「個人指導」のウリなのですが、そういった要望の中には、「大手進学塾が出す宿題を教えてやってくれ」というものもありました。塾のために塾に行く、ということでしょうか。子供たちも大変です。


 しかし、講師の側は大変を通り越してパニックです。長期休みの「カオス期間」は、そういう「ご要望」のある子供を、その当日になって突然担当する羽目になるからです。

 私なんて、継続的に塾に通うことなく大学生になってしまったというのに、「塾の宿題」なんてどうしたらいいんだ。鶴亀算は塾で教えるようになって初めて知ったというのに、どうしたらいいんだ……。


 ちなみに、私が担当した中で最も恐ろしかった「お客様」は、授業に入ってから、「中学入試の問題で分からないところがあるから教えて欲しい」と言ってきた六年生の子でした。

 彼が示した算数の問題は、関東の私学トップの一つである開〇中学校の過去問。解答欄を見ると、まさに「答え」が載っているだけで、解き方の解説は全くなし。

 いや全く、どうしたらいいんだ……。


 この時は幸い「算数の神様」が私にご降臨くださり、受験勉強に励む彼に「ヒント」を与えることができました。私が問題の着目点について十秒ほど説明すると、彼は突然「分かったっ!」と叫んでものすごい勢いで式を立て、あっという間に正答しました。

 講師役の私のほうが感嘆しきりという有様です。


 お子さんを個人指導塾に入れようとご検討なさっている親御さん方、講師のラインナップには十分ご注意くださいませ。



 ついつい一つ目のバイト話が変な方向にそれてしまいましたが、二つ目のアルバイトは短期の仕事でした。大学一年の時にやった、一月後半から二月中旬にかけての三週間程度のバイト。デパ地下での「バレンタインデーのチョコ売り」です。


 なぜそんな仕事にエントリーしたかというと、ずばり、チョコレートが大好きだからです。


 着飾るかのように色とりどりに包装された可愛いチョコたちをずらりと並べ、「どうだ! 美味そうだろう!」とドヤ顔で売る。


 実に楽しいひとときでしたが、初日に販売チーフから「接客態度に難あり」と指摘を受けたので、二日目以降は大人しく人間ウォッチングに徹しました。


 連日ショーケースに群がる女子共の眼差しは皆、宝石バイヤーのように鋭く光っています。中には、ガラスに鼻を擦り付けんばかりにして品定めをする人もいます。


 いやあ、滑稽な風景だなあ。王様に献上するわけでもないのに、皆、何十分も売り場の周りをぐるぐるぐるぐる……。


 私が営業スマイルの中に微かな嘲笑を忍ばせていると、人の群れから少し離れたところで突っ立っているお姉さん二人の姿が目に留まりました。彼女たちは、こちらをちらっと見て、決して小さくない声で言いました。


「この時期にチョコを側ってどーなの? なんか、みじめっぽくね?」


 なんで? 

 いかにも「チョコ買う用事がありません」って風情に見えるのか?

 そーだよ! どうせその通りだーよ!

 あげる人いねーよ!

 買う用事ねーよ!

 てゆーか、余計な世話だっつうの!


 思いっきり憮然とした顔になった私は、またもやチーフに「接客態度がなっていない」と指摘されてしまいました。


 今思い出せば笑っちゃう、この哀れなバイト体験。もしかしたら使えるかも。以下、パッと浮かんだ冒頭設定です。


     *******


 主人公は何かと冴えない女子大生。受験が終わり、ようやく青春を謳歌しようと期待に胸を膨らませて大学に入ったものの、暗そうな第一印象が災いして、男の子たちには敬遠されてばかり。

 同級生と一緒にテニスサークルを覗きにいっても、先輩男子は可憐な雰囲気のにばかり話しかけ、自分は全く相手にされない。


 二か月もすると、常に一緒にいる友達は、漫画女とゲーム女とミリタリー女の三人。皆、見るからにオタク系で、男っ気など全くなし。


 しばしの間、女四人でアクの強い学生生活が展開される。しかし、年明けに主人公が「どうせバレンタインなんて暇だし、チョコの売り子さんのバイトでもしない?」と誘うと、オタクの三人は何と揃って断ってきた。

 漫画女はコミケで、ゲーム女はオンラインで、ミリタリー女はそのテのイベントで、それぞれオタクな彼氏をゲットしていたのだ!


 絶望に打ちひしがれた主人公は、一人チョコ売りバイトにエントリーする。

 そこでも、スタイル抜群の美人客が二人、

「この時期にチョコを売る側ってどーなの? なんか、みじめっぽくね?」

 と聞こえよがしに話している。


 バレンタインなんて早く終わってしまえ! と呪文を唱えながら日々バイトに臨む主人公は、二月に入ってから、奇妙なおじさんの存在に気付く。


 毎日、同じ時間に姿を現し、二十分ほどその場に佇み、何も買うことなく去っていくおじさん。生気のない顔とよれよれの薄いコートが、なんとも寒々しい……。


 二月十四日、やはりおじさんは現れる。バイト最終日。営業終了後にチョコ売り場も撤収される予定だが、あのおじさんはどうするつもりだろう。


 主人公は、膨らむ疑問を抑えられず、ついに声をかける。


 バレンタインデーに始まる、冴えない女子大生とくたびれたおじさんの、ピュアで切ないラブストーリー……。


     *******


 ダメダメダメ。私はダンディなおじさんがいいのっ! 

 渋くて強くて優しくてカッコイイおじさんとの年の差恋バナがいいのっ!


 「くたびれたおじさん」を「ダンディなイケメンおじさん」に変えてみますか。しかし、それではどうもしっくりしません。

 主人公は、「自分は冴えない」と自覚している非リア充です。しかも、ちょっといじけ気味。そんな子が、自分とはかけ離れた雰囲気のダンディ&イケメンに声をかけてみようなどと思うものでしょうか。


 相手が哀れをもよおすほどの風情だからこそ、冷え切った主人公の心にふと無償の優しさのような感情が生まれ、「声をかける」という展開につながるのではないかと思います。


 哀れみから始まるおじさんとの恋……。やっぱり、嫌だ。



 すっかり身もフタもない話になってしまったので、三番目のアルバイトの話に移ります。


 三つめは、やはり短期ですが、遺跡発掘の仕事でした。「掘って出てきたものをすべて水洗いして泥を落とす」という単純作業に時給九百円以上が支払われる、という実にオイシイ内容でした。

 幹線道路の建設工事中に遺跡が発見されたため、早急に調査した後に工事を再開しなければならない、という切迫した事情があったようです。


 早速エントリーして職場に行くと、プレハブみたいなチャチな建物の中におじさんたちが五、六人いて、事務仕事をしていました。


 しかし、我々バイトはその下の階にある作業場で、一日中アライグマのように何かを洗っているばかり。作業仲間の大半は女性でした。

 男性はもっぱら、屋外で一日掘りまくる作業に従事していたようです。もちろん、屋外作業のほうがさらに時給は上がります。


 職場環境は最高でした。アライグマの仕事さえしていれば、他の人と喋っていようが一人妄想に耽っていようが、怒られることはありません。大学四年生のバイトさんは、特定の企業へは就職せずに発掘現場を渡り歩いてご飯を食べるつもりだと言っていました。

 そんな人生もいいかもしれない。当時、二年次が終わったばかりの私は、そんなことを思いました。


 ところがある日、「掘ったもの」の中に、鳥の手羽中サイズの骨がたくさん入っているのを目にしました。

 次の日は「〇〇病院」という文字の入った瀬戸物の欠けらが多数。


 何だろう、と不審に思った数日後、大きな骨が一本出てきました。人間の大腿部を彷彿とさせる長さと太さ。


 これって縄文人とかの骨?

 どのあたりを掘って出てきたんだろう?


 発掘の現場では作業区画が細かく設定してあり、「掘ったもの」は出土場所の区画番号を明記したカゴの中に入れられた上で、アライグマ係に届けられます。カゴの番号を確認し、作業場に貼ってある発掘現場の全体図と照合すれば、出土地点がすぐ分かるようになっているのです。


 早速、大きな骨が入っていたカゴを見て、それから全体図を見に行きました。骨の出土場所は、発掘現場の一番端にありました。

 その場所には、数字とアルファベットで構成された区画番号の表示の下に、薄く「防空壕跡」という記載が……。


 ま、まま、まさか、このデカイ骨は、うわあああ!


 私を含めたバイト数人がぎゃーぎゃー騒ぎながら作業場をぐるぐる走り回った次の日、猫まるまる一匹分の白骨死体が出てきました。

 猫の骨と遺跡と防空壕跡の間に何らかの関係があるのか否かは分かりませんが、もう、ただひたすら、うわあああ!


 一応、契約期間が終わるまでは南無阿弥陀仏を唱えながら働きましたが、猫の骨から後のことはほとんど覚えていません。

 結局、上の階にいた事務のおじさん達とは、朝と帰りの挨拶だけを交わす仲で終わってしまいました。



 私の大学生活、ネタには全く使えない四年間だったんですね……。



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