(第8話)ガチな不倫はネタにするのも恐ろしい(Ⅲ)

 Eさんが不在中、彼女の担当所掌に関する急ぎの問い合わせが入ってきたのだ。内容自体は大したものではなく、彼女が保管している資料のひとつを確認して回答すれば済む程度のものだった。


 取りあえず、出勤者で対応しようとした。ところが、肝心の資料が見つからない。そこでやむなく、Eさんと連絡を取ろうということになったらしい。


 「我が社」では、緊急時に非常呼集をかけられるよう、休暇時の連絡先を事前申告することになっている。夏季休暇中はEさんは、もちろん、自宅の電話番号を連絡先として登録していた。

 ゆえに、彼女の仕事をカバーしようとした人間も、その番号に電話を入れた。


 電話に出たのは、Eさんの親だった。


 娘さんはご在宅ですか、という問いに、親御さんは躊躇なく

「娘は今、友人とハワイに行っておりまして……」

 と応答した。


 Eさんは親にも嘘をついていたのである。


 当然ながら、職場は大騒ぎとなった。「米軍の下士官と別れた」というEさんの言葉が嘘だったというのも問題だが、さらに重大なのは、「彼女が許可なく国外に出ていた」という事実だった。


 「我が社」では、旅行などの私用で国外に出る場合でも、事前に「渡航申請」を出して所属部長の許可を得ることが義務付けられている。しかし、米軍の下士官との関係が続いていることを職場に知られたくなかったEさんは、この申請をせずにハワイに行ってしまったのだ。

 明確な規則違反である。


 私は、D氏からの電話で一連の経緯を知った。


 Eさんに対する制裁措置が検討されている。依願退職を勧告するべきだ、少なくとも即刻異動させるべきだ、などと、手厳しい声が上がっている。そんな状況の中で、D氏は一人、異論を唱えているという。


「何かね、やり方が一方的で気に入らないんだよ。いいトシした連中が一人を集中攻撃してさ。確かに渡航申請を出さなかったのはマズイけど、今回それで『我が社』が何か不利益を被ったわけでもないし。だいたい、彼女が申請を出さなかった原因のひとつは、辞めろだのなんだのと因縁つけてたほうにあるんじゃないのか。そう思わない?」


 人が残業している最中に相変わらず内線でブツブツ言ってくるD氏だが、なかなかいい上司じゃないか。規則違反を犯した部下を庇えば、己のキャリアにも傷がつく可能性があるというのに、それを承知で、孤立無援のEさんのために戦おうとしているとは。


 Eさんの進退については、半月ほど議論されたらしいが、結局、「幹部であるD氏の顔を立てて」御咎めなしということになった。いや、今度こそ、めでたし、めでたし。



 ……と、思っていたら、いよいよ秋も終わる頃、おかしな噂を耳にした。D氏とEさんが不倫関係にある、というのだ。


 渡航申請の問題を巡って、D氏はかなり派手に立ち回っただろうから、それなりに敵を作った可能性は大だ。敵対勢力から嫌がらせ的な噂を立てられたとしても、不思議ではない。

 エグイ出世競争が展開されるのは、公務員も民間も同じである。


 勤続二十年のベテランであるD氏は、多少の中傷など慣れているだろうが、まだ二十代のEさんは辛いだろう。

 これからキャリアを積み上げていく時期、しかも、結婚適齢期と言われる年頃に、「既婚男性と不倫している」などと陰口を叩かれては、それが全くの事実無根であったとしても、受けるダメージは甚大だ。


 飲んで憂さでも晴らしたい心境かなあ、と思いEさんにコンタクトをとると、是非飲みに行こうという話になった。


 私は、職場のすぐ近くにあるワインバーに彼女を連れて行った。そこは、つまみはチーズとチョコレートぐらいしか出さないという店だったので、大食漢のオヤジどもは絶対に来ない。隠れ家には最適な場所だった。


 私とEさんは窓際の席に案内された。低いテーブルを挟んで、二人掛けのソファタイプの椅子がふたつ置いてある。そのひとつに座ったEさんは、実に妖艶に見えた。紫のアイシャドウが似合う顔立ちは、洗練された大人たちがアルコールを楽しむ風景に、とてもよく溶け込んでいる。

 童顔おチビの私からしたら、全くもって羨ましい。


 お美しく笑みを浮かべる彼女に、妙な噂を立てられて傷ついているような様子はなかった。少し安心して乾杯し、当たり障りのないことをひとしきり話した。 


 一時間ほど二人でのんびり飲んでいると、突然、頭上から、

「ああ、いたいた」

 と言う男の声が聞こえた。


 見上げると、D氏が脇に立っていた。Eさんは、私と飲むことを上司のD氏に事前に話していたのだろう。


「仕事のキリもついたから、ちょっと寄ってみたんだけど、いい?」

 と、D氏が言うと、Eさんは素早く端に寄って、一人分のスペースを開けた。


 躊躇なくEさんの横に座ったD氏は、ワインを注文した。


「なんだか、夏前からいろいろ世話になっちゃって」


 D氏は私に、会釈するように頭を下げた。Eさんはやや下を向き、恥ずかしそうな笑みを浮かべる。


 「いえいえ別に、私は何も……」と適当に言葉を返しながら、私は奇妙な雰囲気を感じ取っていた。


 二人掛けのソファタイプの椅子に、ぴったり並んで座る二人。お尻が接触しそうだ。三人で仕事絡みの話をしていても、ふとした沈黙が訪れるたびに、二人の視線が絡み合うように見えるのだが、それは気のせいなのか……。

 

 もう一時間ほどを三人で過ごした後、私は、「明日もあるから、そろそろ……」とお開きを促した。


 すると、D氏は、

「僕、もうちょっと飲んでくよ。今日はごちそうさせてもらいますから」

 と、気取った顔で片手を上げた。


 Eさんも、「私ももう少し」というようなことを言って、艶やかな笑みを浮かべた。


 私はD氏に「ごちそうさまでした」と礼を言い、その場を離れた。店の出口で彼らのほうを振り返ると、二人は上半身を完全に密着させ、ワイングラスを傾けていた。

 まるで、同居する恋人同士が、ソファに座って一緒にテレビでも見ているように……。


 二人は噂通り、不倫関係にあったのだろうか。しかし、不倫にしては、あまりにもあけすけだ。単に二人とも、密着することに無頓着な人間なのではないか。

 いやしかし、火のない所にナントカと言うし……。


 もし不倫なら、同年代の爽やか美男子と米軍の下士官殿はどうなったんだ?




(Ⅳに続きます)

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