第7話 40代前半の殿方×社会人女性キャラがボツになった事情


 第6話前編で、四十代前半の独身男性と数年間一緒に勤務したことがあると書きましたが、このお方は、高卒で「我が社」に入り、部内幹部候補生試験を受けて幹部になったという、いわゆる「たたき上げ」系の経歴の持ち主でした。しかし、アンパンマンを彷彿とさせる丸顔でいつもニコニコと愛想良く、とても気さくで、下っ端の私にも常に友達感覚で接してくれました。


 「エリート臭が鼻につく三十代後半のオヤジ顔」に比べたら、このアンパンマンのほうが、人間的に百倍も魅力的です。彼をモデルにすれば、苦労せずに「四十代前半の気のいいおじさん」キャラが出来上がりそう。


 ルックスにやや難がありますが、そこは格好良く脚色するのが創作の醍醐味というものです。

 まずは、アンパンマン的なお顔を、面長の輪郭と切れ長の目元に変更します。背丈は十八センチほど足しましょうか。愛想の良さは少し抑え、話し方は本物よりややゆっくりめにイメージし、子供っぽい言動をあまり入れないようにして……。


 そうでした。リアルに出会った貴重な「四十代前半独身男」のアンパンマンおじさんは、四十過ぎでありながら、本当に子供っぽい人でございました。第6話のオヤジ顔より五歳ほど年上だから少しは落ち着いているのかと思えば、童顔おチビの私も真っ青の無邪気な御仁でありました。

 以下その詳細は、例のごとくドキュメンタリータッチで、どうぞご覧くださいませ。



     *******



 アンパンマン顔の四十代前半独身おじさんは、私の向かいの席で勤務していたのだが、ある日の午前中、その彼が「ねえっ聞いて聞いてっ」とはしゃぐように私に話しかけてきた。彼は、面白いことを思いつくと、すぐハイテンションになって一人で盛り上がってしまうのだ。私はそんな彼が嫌いではなかった。

 しかし、その時は勤務時間中。当然ながら、他の面々は黙々と仕事をしている。私が小声で「何ですか?」と応じると、彼は弾けそうな笑顔で問いかけてきた。


「ふと思ったんだけどさあ、もし日本航空と全日空が合併したら、略称は何になると思う?」

JALジャルANAアナだから、『JANAジャナ』ですかね?」

「いいえ。ANAとJALで『ANAL』です」

「え~。『JANA』のほうが言いやすくないですか?」

「何と言っても、『ANAL』です!」


 日本語読みでは三音節になる「ANAL」より、二音節の「JANA」のほうが発音しやすいし、ダジャレも作りやすいだろうから、広告のキャッチコピーに利用することを考えても、「JANA」のほうが断然いいと思うのだが……。

 言語学的見地から、私は「JANA」を主張した。しかし、アンパンマンおじさんは、断固として「ANAL」説を譲らない。


 しばらく「JANA」か「ANAL」かで議論していると、アンパンマンおじさんとさほど年齢の変わらない老け顔オヤジが、

「お前ら、その話続けるなら職務怠慢で訴えるぞ」

 と、怖い顔で割り込んできた。


 何だよ、あんただって時々仕事中にグチグチ何か言ってるくせにさ……、と思ったが、老け顔オヤジはそれなりの階級の人間だったので、私もアンパンマンおじさんも静かにするしかない。


 私が「じゃ、この話はまたお昼休みにでも」と囁くと、アンパンマンおじさんが頷くより先に、老け顔がまた怒り出した。


「職場でそういう話したら、セクハラで訴えられるぞっ」


 セクハラ? もしかして、「ANAL」って、そのテの意味になるのか? 改めてアンパンマンおじさんを見ると、彼は心底嬉しそうに座ったまま腕をバタバタと振り回している。私をハメたというよりは、一世一代の己のギャグにひどくご満悦という風情だ。

 何のこっちゃ、と老け顔オヤジに視線を戻すと、老け顔は「オレに聞くな」という拒絶オーラを放ってくる。


 仕方がないので、家に帰って一息ついてから、アンパンマンおじさんが固執していた言葉を調べてみた。


 アルファベット四文字を入れて検索すると、真っ先に出てきたのは英単語サイトだった。ANALとは「肛門」という意味だと解説してあった。


 アンパンマンめ、こんなしょうもないギャグで喜んでたのか。どうもオヤジギャグのセンスは分からん。セクハラというよりはうんこ系のネタじゃないか。

 それにしても、高卒で幹部になった彼は物知りだなあ。私は四大英文科の卒業だが、ろくな学生ではなかったので、恥ずかしながらその生物学的用語は知らなかった。あんなにおちゃらけたフリして、ものすごく博学ではないか。


 己の無学を反省しつつ、なんとなく検索ページをスクロールした。すると、英単語系のサイトに続き、セクシャルな英文サイトが出るわ出るわ……。


 こ、これは、高校生の時に友達から借りて読んだ濃厚BL同人誌の描写そのままではないか! 視覚的には知っていたが、そのシーンに該当する専門用語を知らなかったとは、何たる失態、何たる不覚!


 しかし、このBL用語を承知していたということは、あのアンパンマンおじさんも濃厚BLの世界を知っているということなのか? 私と彼を叱責した老け顔オヤジも、老けた顔して実はBLを読んでいるということなのか? 

 もしそうなら、彼らに是非とも尋ねたいことがある。


 BL作品は、漫画であれ小説であれ、著者の多くは女性だと聞く。しかし、で、女は男の「感じ方」を体験することは出来ない。ゆえに、BL作品の中で描かれる少年なり青年なりのお耽美な姿は、実のところ、全くリアリティのない妄想的産物にすぎないのではないか……。


 私がなぜそのような疑問を抱くようになったかというと、高校生の頃、一歳年上の不道徳な従兄から、女子高生が主人公のR指定カラー漫画本を見せてもらい、その内容にドン引きした経験があるからである。

 倫理的に云々する前に、まず描写そのものが有り得ない。リアルの女子高生は、間違っても誰かを「ご主人さま」なんて呼んだりしないし、気安く男の顔を胸で挟んだりしないし、だいたい一般人は人間の顔を挟める巨乳なんか持っていない。そういう類の描写は、ファンタジー以上に非現実的である。


 当時女子高生だった私は、引きこもり気味で世間一般の事情に疎かった従兄にその旨を説明し、彼の夢を完全にぶち壊してやったのだが、BLを読む私自身、所詮は従兄と同じ穴の狢、という可能性は大いにある。


 世間に出回るBL作品には、それなりのリアリティがあるのか。それとも、話にならないものなのか。


 この長年の問いの答えを得る手段はただ一つ。BLを読む性の意見を聞けばいいのだ。

 何としても、老け顔オヤジの目を盗んで、アンパンマンおじさんにインタビューしなければならぬ。



 翌日、私は意気揚々として出勤した。事務所に入ると、すでにアンパンマンおじさんが自席に座っていた。私は朝の挨拶もそこそこに、本題に入った。


「あのう、昨日の日本航空と全日空の合併のお話なんですけど……」


 すると、アンパンマンおじさんは顔色を変えて立ち上がった。


「昨日は僕が悪うございました。ホントに悪うございました。どうか許してください」


 きょとんとする私に、アンパンマンおじさんはへこへこと頭を下げ、それから脱兎のごとく逃げ出してしまった。


 ちょっとちょっと、私、何も怒ってないから。それより、聞きたいことがあるんですが……。


 慌てて彼を追いかけようとすると、背後から、いないと思っていた老け顔オヤジがのそっと現れた。


「彼ね、その件で課長に呼び出されてかなり怒られたらしいんだよ。だからもう、勘弁してやってくれる?」


 何と、あの議論は、我々二人の席から少し離れたところにいる課長にまで聞こえていたのか。アンパンマンおじさんには気の毒なことをしてしまった。

 

「そんな細かいこと、別に気にしないですよ。気になると言えば、昨日の言葉をご存じということは、もしかして男性同士の……」

「これ以上話を蒸し返したら、あんたをセクハラで訴える!」


 老け顔オヤジは、好奇心丸出しの私を睨みつけると、大股でどこかへ歩いて行ってしまった。何だよ、まだ始業前なのにケチだなあ……、と思ったが、先に書いたとおり、老け顔はそれなりの階級の人間なので、表立って悪態をつくわけにもいかなかった。


 ちなみに、問題の用語が、殿方同士のみならず、異性間のカップルにも無縁ではない言葉だと知ったのは、かなり最近のことである。



     *******



 日本航空と全日空の合併話で一人盛り上がるおじさん……。仕事仲間としては楽しかったですが、恋バナのメインキャラクターとしては、やっぱり嫌でございます。

 「永遠の少年」などという言葉を耳にしたことがありますが、この場合は、「永遠のませガキ」という表現のほうが実情に相応しいのではないかと感じます。シブいおじさんがちらりと見せる子供っぽさ、なんて萌えポイントを描く時に、ネタが日本航空と全日空の合併話では、萌えるどころではありません。


 嗚呼、リアルの独身男性とは、おいくつになっても「永遠のませガキ」なのでしょうか。四十過ぎてあの様子では、あと五歳ほど年齢を引き上げても、さほどの違いはありますまい。

 そもそも私は、四十代半ば以降の殿方で「独身」という条件を満たす人にお会いしたことはありません。


 ついに、元ネタになりそうなものは完全になくなってしまいました。「やや影があって、渋くてカッコ良くて、無口なのに優しくて、物知りで強くて、何があっても動じない、包容力のある人」という条件を満たすおじさん王子様のモデルになり得る殿方は、この世には存在し得ないのか。

 「影」はともかく、残りのすべての要素を持ち合わせていそうな御仁、既婚男性の中にはそれなりにいたんだけどなあ。


 既婚おじさんキャラ……。


 そ、それはいかん。不倫になってしまいます。


 でも、そういう設定にしなければ、ベースとなる元ネタがない……。


 いやいや、ダメです。反倫理的なものは嫌だという以前に、不倫バナ自体、あまり好きではありません。略奪とか愛憎とか認知とか、そういうドロドロ系は大の苦手です。生まれてこの方、そのテのドラマなど全く見たことがありません。

 だいたい、理想のおじさんに「不倫」という設定を入れるのは不本意です。不倫する男が理想なのか?! ということになってしまいますから。


 完全に行き詰まってしまったので、もう一度、己の周辺を過去から振り返ってみました。すると、奇妙なことに気が付きました。私の身の回り、実は、普通の恋バナに負けないくらい、不倫話が多かったのです……。



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