出会いはパンをくわえた朝の遅刻から♡ その2

※現実


「って感じになってほしいんだけどな〜」


太陽も登りきっていない肌寒い早朝。

遅刻するというには早すぎる時間帯だ。

一本松夏実は外ハネしている短めの三つ編みの毛先を指で遊ぶ。

口先を尖らして何やら不満な様子だ。


「こんなか弱い女の子が、ちょぴっとかる〜くぶつかっただけなのに、何て軟弱な奴‼︎ それでもスポーツマンなの⁈ 」


「うぅ……」


夏実の頭からは怒りを表すように、プシュプシュと湯気が出ている。

怒られている相手は、返事のかわりに呻き声を上げた。夏実としてはここで、何だとブス! ぐらい言い返してほしいところなのだが。


相手の状態を見れば、そんな気力もないことは一目瞭然だった。


学生服を着た相手は、背が高く精悍な顔立ちをした少年だった。年は夏実と同じぐらい、学校ではさぞモテているだろうという容姿だ。

少年の横には肩にかけるタイプのスポーツバッグが転がっており、「右文字高校サッカー部」というロゴが印字されている。


右文字高校は、左文字町に隣接した右文字市にある公立高校である。運動部に力を入れている学校で、全国大会に出場した部活も多く、卒業生にはオリンピック選手もいるほどだ。

左文字町には高校がないため、この町の子どもたちは町外の学校に通わなければならない。

右文字市内にある白鳥沢学園か右文字高校だ。

大半は夏実と同じように白鳥沢学園に進学するが、右文字高校はスポーツ推薦枠を広く募るため、中学で部活動の実績がある者は、少数だが右文字高校を選択する。

少年もサッカーでプロ選手を目指し、右文字高校へ進学した一人だ。

エナメル製のスポーツバッグは一年半程度しか使っていないにもかかわらず、擦りきれたあとと土の汚れが目立つ。

今日も朝練のために、早朝から学校に向かう途中だったのだろう。


しかし、それは叶わない。

少年は民家の石壁にめり込み、口から血を流して気を失う寸前だ。

腹筋が浅く割れている腹には、半円の大きな窪みができていた。

玉状の何かが彼の腹に肋を砕く勢いで、突っ込んだような無残な傷である。

とてもこれから朝練に参加できる状態ではない。

それどころか、今後サッカーを続けていくことも難しいかもしれない重傷だ。


「はぁ〜、大袈裟すぎない? 頭突きぐらいで気絶しちゃうなんて」


膝裏にチェックのスカートを挟み、少年の前に屈む夏実。


「頭突きって足を止めてもらえるけど、みんな気絶しちゃうんだよね〜」


膝に頬杖をついてまじまじと少年の顔を見つめる夏実。血を流した半開きの口の中は、神経が糸のように垂れ、先にある奥歯がブラブラと揺れていた。

つい数分前まで、今度こそ理想の王子に出会えたと思っていた夏実だが、こんな醜い姿を晒す男が王子なわけがないと幻滅していた。


サッカー部の次期エースと呼ばれる少年が、朝練の時間帯にこの場所を通ることは調査済みだった。

トーストをくわえて彼が来るのを待ち構え、曲がり角を出てきた直後にぶつかり、出会い、恋が始まる。

何度も脳内再生を繰り返した理想のシュチュエーションを実現できるはずだった。


これまでの経験から、体が少しぶつかっただけでは、足を止めてもらえなかったため、夏実は勢いをつけて相手の腹に頭突きをするという考えに辿り着いた。

それをほぼ毎朝繰り返しているうちに、夏実の頭突きはスピードと回転がかかり、いわばコークスクリュー頭突きと化していた。

生まれながらに石頭ということも相まって、頭突きの威力は相手の腹を抉り、肋骨を砕くまでになっていた。

だが、当の夏実はその威力を全く意識しておらず、ただ軽めに頭をぶつけている程度にしか思っていない。

夏実にとって自分は、勝気でか弱い少女漫画のヒロインなのだ。

そんな自分の頭突きを受け流せない男は、彼女にとっては軟弱なのである。


「ゴホッ……‼︎ 」


少年は口から少量の血を吐く。

どうやら内臓にも損傷があるらしい。


「あ〜らら、もうしょうがないなぁ。119に連絡っと」


夏実はスカートにぶら下げているスマートフォンに手をかける。スマートフォンにはコード付きの黒電話の受話器が差し込まれていた。

昭和時代の家庭でよく見られた品である。

両親の出会いに影響されて古い少女漫画を読み漁った時に、主人公が友達と黒電話で会話し、コードを指でくるくると遊んでいるのに憧れて通販で購入したものだ。

受話器とスマートフォンには布製のピンク色のフリルのカバーが付いている。

こちらも黒電話カバーを模して夏実が手作りしたものである。

画面にはダイヤル式電話の画面が映り、119と指でなぞる。画面のダイヤルを回すたびにジーコジーコと鳴るこだわりのアプリである。


「もしもし、左文字町○丁目○番地に救急車一台お願いします。通りすがりの美少女で〜す」


必要最低限の情報だけ伝えると夏実は電話を切った。

ボロボロになった王子には目もくれず、乱れた衣服を整え始める。

缶ミラーを鞄から取り出し、針金を入れた短い三つ編みの毛先を上向きに、赤いベレー帽は斜めに被る。

襟のリボンをまっすぐにして、黒のストラップシューズに付いた土を軽く払った。

白鳥沢学園高等部の制服はチェックのスカートのみで、それ以外は自前の服を着ている。校則違反で何度も進路指導室に呼び出されているが、夏実がこのスタイルを変えることはない。

違反してでも憧れの昭和の少女漫画のヒロインに少しでも近づきたいというポリシーである。


「さぁてと‼︎ もう一人ぐらいぶつかれちゃうかな? 」


キャラ物の腕時計は午前六時半を過ぎた頃だった。確か七時の朝練に参加する野球部の一年生がこの近くに住んでいたと、夏実は記憶していた。


再び鞄の中を漁ると長細いタッパーを取り出す。中には食パンのトーストがギッシリと詰まっていた。

いつどこで出会いがあるかわからないので、母にお願いして毎朝一斤分のトーストを焼いてもらい、持ち歩いているのである。


「よし、次こそは運命の王子様‼︎ がんばるぞ‼︎ 」


夏実がトーストを一枚くわえて、走り出そうとした時だった。


「おはよう、おじょうさん」


(ん?)


すぐ近くで女性の声がする。

自分に声をかけたのだろうかと夏実は周囲を見回すが、誰もいない。

虫の息のサッカー少年を除けばだが、興味を失った夏実にとってはいないも同然だ。


「こっちよ、こっち」


後ろから頭をツンツン突かれる。

先ほど振り返った時には誰もいなかったはずだ。

さーっと血の気が引き、夏実の顔は青ざめていく。


(……う、嘘でしょ、誰もいなかったはずだよね?何よ、このホラー展開は。まだ恋も始まっていないのにありえないでしょ!)


今の状況は夏実が望む展開とは違う。

確かに少女漫画にホラー展開はつきものだが、それは初めからではなく、王子様とある程度互いを意識し始めてからの展開だ。

例えばクラスの肝試し大会で、くじ引きで男女の組み合わせが決まり、王子様とは別の男子と行くことになる。

しかし、パートナーの男子とは途中ではぐれてしまい、彷徨っていると同じくパートナーの女子とはぐれた王子様に遭遇するというものだ。


(肝試しから二人の仲は急接近♡っていうのが理想なのに、いきなりおばけだなんて……)


夏実の足は、背後にいる得体の知れない存在を意識するあまり、小刻みに震え始める。


「ほら、そっぽ向いてないで。こっちを向きなさいな」


「き、きゃぁぁぁぁぁ‼︎ おばけいやぁぁぁぁ‼︎ 」


恐怖のあまり持っていた鞄をブンブン振り回し、声をかけてきた何かを追い払おうとする夏実。


「ちょっと、危ないじゃない! おばけなんかじゃないわよ。目を開けてちゃんと見なさい」


「へっ?」


目を瞑っておばけを見ないようにしていた夏実はおそるおそる瞼を開き、声の主の方を見る。


「こんなセクシーなおばけいるわけないでしょ」


胸元が大胆に開いたドレスを着た女性が目の前にいた。緑色のクセのある髪、髪と同じ色の瞳、白い肌に映える赤い唇。

ハリウッド映画から出てきたような美女だった。

派手な容姿も目を引くが、奇抜な服装は彼女の華やかな雰囲気をより際立たせている。

ピンク色のドレスと同じ色のトンガリ帽子、長く黒いマント、そして何よりも驚くのは。


「ほ、箒に人が乗ってる‼︎‼︎‼︎ 」


そう叫ぶと驚きのあまり尻もちをつく夏実。


「魔女だからね、箒は自転車みたいなものよ。……えーっと、あなたの名前何だったかしら? 」


「あたしの名前は 一本松夏実、十七歳。白鳥沢が……」


「それは冒頭で聞いたから、結構よ。そうそう夏実ちゃんだったわね」


名前を聞かれ、反射的に自己紹介を始めようとした夏実だが、遮られてしまう。


「わたしの名前はルルカよ。大会のプレゼンターっていうのをしているわ」


「大会? ああ、この間のやつね」


「そう。あなたは予選を突破したから、本戦に出場できる権利とご褒美をもらえるのよ」


「はじめに言ってたやつよね。……それって本戦っていうのに出なくてもご褒美はもらえるの? 」


「ご褒美は本戦に出場しなきゃだめよ」


「え〜、そうなんだ。格闘技の大会だって聞いたから、さわやかなスポーツマンみたいな人たちが出るんだろうなって思ってたのに。ゴツくてむさ苦しいのばっかなんだもん。しかもぶつかっただけなのに気絶しちゃうし。出て損したって感じ。乙女に史上最強の称号なんて必要ないし、出たいとも思わないんだよねぇ。あたしは王子様と出会いたかっただけなのに‼︎ 」


もちろん、ぶつかっただけとは彼女の認識で、実際は不意打ちでコークスクリュー頭突きをお見舞いしたのである。


「じゃあ、その王子様とやらを出してあげましょうか? 」


「そ、そんなことできるの⁈」


「わたしは魔女よ、大抵のことは叶えられるわ」


「でも……だめよ‼︎ 王子様は自分で見つけてこそ価値があるんだもの。出会いのあと数ある試練を乗り越えてこそ、愛は深まるんじゃない。もう、あたしのバカバカ! 運命の人に出会うなら楽なんかしちゃダメじゃない‼︎ 」


ポカポカと自分の頭を叩く夏実を、興味なさそうに見るルルカ。


「わたしにはよくわからないけど……、他に叶えたい願いはないの?」


「う〜ん、急に言われてもなぁ。いっぱいありすぎて絞りこめないよ〜」


新しいサン○オのぬいぐるみ、オ○ムグッズのトートバッグ、香りつきペン、プレミアのついたり○んの応募者全員サービス、物欲は止まることを知らないし、綺麗にもなりたいし、人気者にもなりたい。


(ほしいものを手に入れたいならお金だけど、そんなあからさまなのはかわいくないし、綺麗になるのも人気者になるのも努力あってこそだよね‼︎ じゃあ……、努力で手に入れられないものなら?)


夏実は考えを巡らせているうちにピンときたらしく、パチンと指を鳴らす。


「ひらめいたわ、魔女さん‼︎ 」


「あら、決まったの? 」


「うん、もうバッチリ‼︎ 」


夏実は鞄のポケットから手帳を取り出し、ページをめくる。

手帳には『少女漫画のヒロインになるためのマル秘スケジュール』と書かれており、表紙にファンシーシールが貼られていた。


「えっと……、あった‼︎ これよ、これ‼︎ 絶対に努力じゃなれないヒロイン。でも魔女さんの力を借りれば.…」


夏実の目は期待が膨らみ、キラキラと輝き始める。そして手帳の該当ページをルルカに向けた。


「魔女さん、あたしをこんな感じにしてください‼︎ 」


「どれどれ……。ふーん、なるほどね」


「できますか」


「もちろんよ、任せて」


「やった〜! ありがとう魔女さん」


夏実はバンザイしながらジャンプをする。


「おやすい御用だわ。それじゃあ魔法をかけるから目を瞑って」


早朝の左文字町の住宅街に太陽よりもまばゆい光が輝いた。

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