嘘⁈ 廊下のアイツが転校生‼︎ その2

「何もかも奴の手のひらの上か……」


朝飯をかきこみながら、一週間前のやり取りを思い出す絃四郎。苛立った彼がガチャンと乱暴に箸を置くと、小さなちゃぶ台に載った食器がガタガタと揺れ、空の茶碗は弧を描いて畳の上に落ちる。

絃四郎が住むことになったアパートは、築35年の年季の入った木造建築だ。間取りは1DK、私物がほとんどない絃四郎にとっては充分な広さであった。建物と同じく備え付けの家具や畳は使い込まれてはいるが、まだまだ十分に使える。これまでの修行生活を考えれば、贅沢なぐらいだ。

ある一点を除けば。

ゴールドバーグが引っ越し祝いと称して、居間に置いてったあれら。

どこぞの骨董屋で見つけてきたであろう鎧兜と刀、その後ろの壁には不撓不屈と書かれた掛け軸。鎧兜には白い髭のついた面が付いており、空虚な目でこちらを見ている。

ご丁寧に鎧兜の両脇には燭台を模したルームライトまである。火事が起きないようにというゴールドバーグなりの配慮らしい。

欧米人が日本人にこんな部屋に住んでいてほしいという願望を詰め込んだような一角だ。

せっかくそれなりのスペースがあったのに、鎧兜は気味が悪く、幅をとって邪魔だった。


「不撓不屈なんて、俺に対する嫌がらせかよ」


たまたま選ばれた掛け軸の四字熟語は、絃四郎を余計不機嫌にした。

しかし、無理矢理とはいえ、部屋を無料で借りている絃四郎に文句を言う資格はない。


(考えても無駄なことをいつまでも引きずるな)


絃四郎はそう自分に言い聞かせると洗面台で食器を洗い、登校の準備をする。

白鳥沢学園はアパートから徒歩10分の距離だ。教科書を詰めたリュックを背負い、絃四郎は部屋のドアを開けた。


※※※


白鳥沢学園高等部に着いた絃四郎は、1人で自分のクラスを探していた。

本来は担任と同行するはずだったが、担任は手が離せないとのことだった。


学校に着いてすぐに職員室に行くと、何か事件が起きたらしく、そこら中の電話が鳴り、パニック状態だった。

慌ただしく駆け回る教師たちの会話を拾うと、どうやらこの学校の生徒が他校の生徒に怪我をさせたらしく、相手は重体らしい。

絃四郎は悪いとは思いつつ、電話対応を終えて疲れている担任に声をかけると、「ああそういえばそうだった」と力ない声で返事をされた。

対応に追われて編入生の存在はすっかり頭から抜けてしまったようだ。

眼鏡をかけた優男の顔は少しやつれていた。始めて校長室で会った時も顔色は悪かったが、今朝はそれ以上である。

いや、顔色が悪かったのは調子が悪いからではなく、怯えていたというのが正しいだろう。校長を含め、3人で話をしている時にゴールドバーグの名前を出すと校長と担任はビクビクと震え始めた。ゴールドバーグに何をされたのか知らないが、絃四郎は彼らを気の毒に思った。


「あの恐そうな人が入れたいって子だから、一体どんな子だろうと不安だったけど、真面目そうでよかったよ。学力も普通科のレベルで問題ないし」


絃四郎の人となりを見て安心したのか、面談の後に担任はそう本音を吐いた。無理矢理編入させてくれと言われれば、どんな問題児を押し付けられるのかと不安になるのも当然のことである。

格闘家と言われると脳筋と思われがちだが、絃四郎は母親の言いつけで通信教育を受けており、勉強はそこそこできる。

そのおかげで無事に普通科2年C組に編入することが決まったが、普通科の校舎に着いたというのにまだ教室が見える気配はない。


「外から見て広いのはわかってたが、まだ教室に着かないのか」


広大な敷地内にある校舎は迷路ではないにしろ、やはりかなり大きい。

長い廊下が終わって、やっと1年生の教室がある1階から2年生の教室があると聞いている2階への階段が見つかる。

絃四郎が腕時計をみると、校舎に入った時に確認した時よりも10分は経過していた。

余裕を持って出てきてはいるが、このままでは始業ギリギリだ。担任はあの様子だとすぐに来られないだろうが、初日から遅刻はよくない。

生真面目な性格の絃四郎は、時間に遅れないように駆け足で階段を登る。HRの時間で生徒は教室にいるため、階段を登る音がよく響く。

1階と同じ構造ならば、階段を登って少し進めばA組があるはずである。この少子化の世の中で白鳥沢学園は1学年7クラスあり、1クラスに40人前後在籍しているというのだから驚きだ。教室も広めに作っているため、校舎がそれに合わせて大きくなるのも当然である。

階段を登り終え、廊下に出る。クラス名の書かれた表示を念のため確認すると、そこにはA組ではなく、なぜかS組と書かれていた。

見間違いかとも思ったが、その後ろの教室の表示を目を凝らしてみるとA組となっている。


(Aの手前にS?1年にはS組なんてなかったはずだが…… )


S組の前で首を傾げていると、


「きゃ〜‼︎ ちっこく、遅刻ぅ〜」


「ん、何だ?」


背後から女性の声がする。


「え、ちょっと‼︎ どいてどいて‼︎‼︎」


振り返ると、眼前にはこちらに勢いをつけて突っ込んでくる黒い塊があった。


「うおおおおお‼︎ 」


黒い塊を壁際に足をもつれさせながらも、何とか避ける絃四郎。


「きゃぁぁぁぁぁぁ‼︎」


絃四郎に突っ込んできた何者かは、勢いよく階段を飛び抜けるとそのまま窓ガラスを頭で割る。

ガラスの割れるけたたましい音が廊下中に響き渡る。


「いってぇ……」


避けた拍子に壁に頭をぶつけた絃四郎。頭を手でさすりながら立ち上がり、窓ガラスの方を見るが人はいない。


「きゃぁぁぁ‼︎ 落ちるぅぅぅぅ‼︎」


誰もいないかと思いきや、窓の縁には4本の指先が片方分だけ見える。


「お、おい‼︎ 」


絃四郎は慌てて割れた窓を覗き込むと、女子生徒が今にも落ちそうになっていた。片手で全体重を支えている彼女は、苦しげな表情を浮かべている。


「待ってろ! 今引っ張ってやる‼︎」


絃四郎は彼女が縁を掴んでいる腕を両手で掴み、思いっきり上に引っ張った。

女子生徒体重は思ったよりも軽く、引っ張った勢いで絃四郎は彼女ともども後ろに倒れる。


「うおっ‼︎ 」

「きゃぁ‼︎」


咄嗟に女子生徒を片腕でかばい、抱き込むような形になる。


「また頭が……、おい大丈夫か? 」


「はぁはぁ……うん、何とか」


絃四郎の胸の上で呼吸を整えた彼女は、彼を見上げる。


「き、きゃぁぁぁぁぁ‼︎ 近い‼︎ 」


「うぇっ‼︎ 」


絃四郎の顔が間近にあったこてにびっくりした女子生徒は、顔を真っ赤にして彼を突き飛ばした。


「やだ‼︎ バカ‼︎ エンガチョ‼︎ 女の子をいきなり抱き締めるなんてどういうつもりよ⁈」


「な! 助けてやったのに、何だその言い方は‼︎ 」


「こんな少女漫画らしくないむさ苦しい、いかにも脳筋な奴に抱き締められるなんて‼︎ 夏実一生の不覚だわ‼︎ 」


「何わけわかんないこと言ってるんだ?」


「うるさいわね‼︎ 脳筋にデリケートな乙女心がわかるもんですか‼︎ 」


夏実と名乗った女子生徒は、絃四郎に抱き込まれたことが相当嫌だったらしく、じわりと目に涙を浮かべている。


(げ‼︎ この子俺のせいで泣いてるのか?)


日頃同年代の女子とまともに会話を交わしたことのない絃四郎はどう対処していいかわからず、オロオロする。


「おい、何の音だ?」

「うわっ‼︎ ガラス割れてんじゃん」

「誰かいるぞ」


ガラスが割れた音に驚いた2年生が教室から、1人2人と扉を開け、周囲を確認しながら出てくる。


「やだ‼︎ 騒ぎになっちゃった‼︎ 」


夏実は涙を手で拭うと、プリーツスカートを翻して立ち上がる。


「ちょっとそこのあんた、あたしは2年B組の一本松夏実よ。乙女心を踏みにじった罪は重いんだから‼︎ 覚えてなさいよ‼︎」


意味のわからない怒りを絃四郎にぶつけると、夏実は教室へ走り去っていった。

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